のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎特集:キリスト教倫理「キリスト者と戦争についての考察」

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序論
 日本では、ほとんどのキリスト教会は平和主義に立つと言ってよい。それは先の大戦における罪、不甲斐なさへの反省と悔い改めの上に立つからである。ゆえに昨今、憲法改正集団的自衛権に関する問題に対して、多くの教会が危機感を覚え、政府の戦争に向かうような姿勢や、軍国主義を回顧するような態度に警鐘を鳴らしてきた。   
  しかし、世界においては、キリスト教国と呼ばれる国が存在し、キリスト教会が後ろ盾となって正義の戦争と称して、世界中に軍隊を送ることを、むしろ正当だとしている状態があるのも事実である。
 特に近年はアメリカが世界の警察と称して、世界中の紛争に首を突っ込み、正義を振りかざして、あたかも桃太郎が鬼ヶ島に鬼退治に行くような独善的な勢いで世界中を巻き込んでいる。しかも、そのような、一見「正義の戦争」と言わんばかりの正義の味方も、実際は民間人を巻き添えにして空爆したり、非武装の民間人だと知っていて、ゲーム感覚で射殺したり、捕虜をリンチしていたことを知ると、益々、「キリスト教国は酷い=キリスト教は惨い=聖書は危ない」と思われても仕方がない。
 そこで、あらためて聖書から、戦争ついてキリスト者はどういう態度で向き合っていくべきかを考えたい。

 

1.「キリスト教国と戦争」
 キリスト教会の歴史の中で、もともとキリスト教国というものは存在していなかった。それはローマ帝国時代にまで遡る。もともとキリスト教会は国家とは別々な存在であったが、ローマ帝国によって国教とされてから教会が国の一部となり、または国が教会の一部になって、教会に権力が入り、政治に、神のために戦うという大義名分が始まった(1) と言える。
  だから、一般にキリスト教国と言われる国は常にその中で「神」を持ち出し、戦争をする大義旧約聖書に置き、そこに教会をも参加させて正義の味方ぶりを演出してきた歴史がある。そして戦争に勝てば、一層自分たちの判断が正しかった。神が味方になったと豪語して、負けた国や勢力について極悪を倒したという優越感で世界にアピールする。結果、恐らくキリスト教国側にいればその高揚感を共有できるであろうし、負かされた側にいれば、憎き十字軍にやられたと憎悪を燃やし復讐を誓うであろう。
 つまりキリスト教国と言われる国や勢力がやっていることには聖書や教会を持ち出し、自らの優越性を主張するために利用しているという面を見ることができる。それは本当に神に喜ばれるキリスト者の姿なのか。そう考えるときに、キリスト教国イコール聖書とはなっていない現実があることがわかる。

 
2.「聖書は正義の戦争を支持するのか」
 しかし、ここであえてこの問いをしたい。自分の愛する者が危険にさらされているときに、敵のいのちを奪うことをためらって、愛する者のいのちを失わせても平気なのかと。弟子ペテロは師であるイエスを守ろうとしたが、その剣を収めるようにイエスによってたしなめられた。これが、個人レベルであると同時に国レベルで起こった場合、現実問題として、どのように判断すべきなのかが問われる。
 キリストはこう言っている。ヨハネ15:13
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
 この言葉から三浦綾子の著書「塩狩峠」を連想させられる。乗客のいのちを救うため、暴走する汽車を止めるために線路に身を投じた主人公の姿を。しかし、もう少し危険の種類を深めていくとする。たとえば愛する者が強盗に襲われるとか、または殺されそうになっている場合、愛する者を守るためにいのちをかけて敵を打ち倒すこともまた愛することではないのか。
 私は、目の前で、もし家族に危害が及ぶとしたら、不当にいのちが狙われたり辱められたりするとしたら、私自身がたとえ救いを失って地獄に行ったとしても、家族を救いたいと思うだろう。こういう考え方は、その正否を問うよりも、感情的に指示する人は多いのではないか。恐らく、この考え方の延長上に「正義の戦争」があるのだと推察する。
  しかし、これが国レベル、軍隊になると益々論点がぶれて来る。それはたとえ防衛戦争であったとしても、その判断をするのはその国の首長、または軍隊の長であり、実際にいのちを捨てて戦うのは兵士だからである。そういう兵士を従えて、自分ではなく兵士にいのちを懸けさせるには、平時から高い給料を与えたり、愛国心や指導者への忠誠を誓わせて士気を高めておく必要がある。そうなると、兵士一人ひとりの動機よりも組織としての一体性を保つ人間的手法が優先してしまい、信仰、希望、愛からかけ離れた決断をすることにならないだろうか。
  しかしカール・バルトは悪がはびこることを阻止するための抵抗とやむを得ない場合の武力による制裁を認め(2) 、カルヴァンも同様に合法であるとする(3) 。
  ここに考え方として、クリスチャン個人として国家を捉え戦争を考えていくのか、国家に置かれている教会に属する国民として戦争を考えていくのかにおいても、その視点の違いで導き出される答えも違ってくると言えるのではないか。
  そこで必要なのは聖書的な教会観で見ることであると考える。それは私たちがキリスト者として自分(個人)がどう考えるか以前に、神は私たち(集団・群れ・教会)をどう見ておられ、どう扱われるということを聖書に聴いていくことである。つまり集団から個を捉えていく考え方である。それは、聖書は旧新約一貫して共同体的信仰を教えているからである。救いは個人の信仰告白が求められるが、バプテスマはキリストとの結合と同時に、それは教会との結合も意味する。そして、群れにおいて定期的に集まり礼拝をささげるところに、個人が救われつつ集団として神への献身が問われるのである。
  それに基づいて、教会は歴史的にも集団としての共通した信仰告白に力を注いできた。その場合、バルトやカルヴァンの立場に説得力を見出す。それは狂暴化する国家に対する蔑視や批難で終わらず、自らもその一員としてのキリスト者であるという連帯性と責任感を意識させるものだからである。
  ゆえに国の指導者が聖書に聴いて、そこにキリストご自身を模範として自らの歩みを振り返る信仰者であることが望まれるし、信仰者でない場合においても同等の判断によって国を治めることを教会は祈り求めていく必要がある。それは、その指導者だけでなく国民も同様に、利己主義ではなく、地球規模での互いの平和を望み、神に委ねる生き方を選びとっていくときに、神が働いて事を行わせてくださるのである(ピリピ2:13)。それは究極的には神の国の建設に繋がる業である。ただし旧約聖書の聖絶の箇所(4) から、またダビデなどの信仰者が戦争によって敵に勝利していく姿から、現代でも自分たちの求める正義のため平和のために、犠牲も厭わないで武力によって制圧することに平然と賛成することは果たして正しいことなのか。聖書に書いてあるのだから、その目的のためには人を殺しても、それは神のためだと言えるのだろうか。しかし、聖書全体を見た時に、そして旧約聖書の律法も預言をも成就するために来られたイエス・キリストが示された視点で見るときに、人のいのちを大切にすることの大切さを学ぶ(5) 。また昔、日常的に行なっていたことを現代にそのまま適用することの危険も学ぶ。
  たとえば、旧約聖書の信仰者たちが多くの妻を持っていたことを取って、現代の私たちも一夫多妻を肯定できるだろうか。それは当時の文化の中では当たり前に行なわれていたことが記されていることであって、神の御心ではないことが、ダビデの家族に見るようにその顛末を見ると明らかである。そこに待つものは不幸である。それは戦争についても同様の視点で捉えることはできるのではないだろうか(6) 。

 

3. 「キリストに倣う生き方にある価値」
 次にイエスはどうであったかについて考察したい。イエスの殺人についての基準は、人に愚か者と言うことですでに殺人の罪を犯しているという、実行犯ばかりか、相手に腹を立てるなどの感情自体が殺人に等しいという基準である (7)。また自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れと言い、神の完全を弟子たちに求められた。そこにはもはや武器を所持し、それを前提とした戦いを肯定する思想はない。
 かつてエデンの園には剣は必要とされず、人間の食べ物も草や木の実であった(8) 。しかし人間は罪を犯して園を追い出された。その際、神はいのちの木への道を守るためにケルビムと炎の剣を置いた。それ以降、カインはアベルを殺し、憎しみ、妬み、暴力、殺人の歴史が始まり、その中で国家が生まれ(9) 、戦争が起こるようになった。つまり集団対集団の争い、殺し合いである。
 キリストがゲッセマネの園で祈ったあと集団が押し寄せる。彼らの手には、剣と棒があった。それは集団の権力と暴力を象徴している。それが丸腰の、たった一人の男を捕えるためにである。
 そのときキリストご自身は、「剣を取るものはみな剣によって滅びる」(マタイ26:52)と言われた。それはキリストが逮捕されたのを見て、弟子のペテロが師であるキリストを守ろうとして敵の耳を切ったときに発した言葉である。それはどういう意味だろうか。それは武器を取るならば必ずその報復を受けてしまう。それは自分が用意したもので同等の報復を受けることであり、これは創世記9章に見られる、いのちには血を要求するという命令にも合致する。だからキリストは相手と同じ土俵で戦うのではなく、自分で報復せずに神に全てのさばきを任せなさいというキリストの姿勢ではないだろうか。
  どうしてキリストは防衛のためでも剣を取ることを拒まれたのか。それは「正しくさばかれる方」である神に任せたからであると弟子ペテロがその手紙の中でも証言している(Ⅰペテロ2:22~23)(10) 。
 このキリストの姿勢は不当な攻撃を受け、死に至ったとしても、それは神に喜ばれることであり、すべてのさばきの主権は神にあるということを認めること。これが戦争や暴力に対する聖書の究極的な姿勢ではないだろうか。
  キリストは言われる。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるから。」(マタイ5:9)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」マルコ8:34~35
 キリストが求められていることは、後に来る完成した神の国を先取りした姿勢であり、視点である。現在は、いまだこの世の権力が支配しており、神の国が完成したとは言い難い。だから、一時的に、その権力を認めつつ、やがて訪れる完成した神の国を見据えた信仰が求められる。

 

結論
 現実的には、すべての人が主の弟子としてキリストの姿に倣おうとしない限り戦争は起こり、暴力も止まないと言える。しかし、それが完成するのはキリストの再臨後である。だから、その暫定的解決手段として神は、たとえクリスチャンでないにしても行政を行う指導者に権威を与えて、その権限で罪が蔓延せず、暴力がはびこらないように監視、警戒、防衛することを許している(11) 。それは、キリストの初臨において神の国が既に来ていると同時に、いまだ完成に向かっているという神の国、または救いが緊張状態にあることを意味している。
 最終的には、やがてキリストが再臨され神の国が完成するときまで、この世の為政者に任された権能としての剣が正しく扱われるように執成していく必要を覚える。またすべての人が真の神を知り、キリストの十字架の恵みのゆえに、キリストに倣う者とされていくことを祈り、伝え、責任感をもって、政治・社会情勢を注視しつつ関わり続けることが、キリスト者一人ひとりに与えられている使命であり、最善ではないだろうか。
 これからもキリスト者として聖書を通して考えていくべき点は、軍事力の是非と警察力の是非。国家機密の取り扱い。政府を起点とする憲法改正論議の正当性。再び獣化する国家権力に対する教会の姿勢と具体的な行動。
 世の終わりまで、教会はこの現実と向き合いつつ、祈りを怠らず絶えず神の御心を求めていくものでなければならない。

 

まとめ
キリスト者はキリストに倣い、第一義的に神の支配に置かれていることを認め、剣ではなく非暴力を第一に求めるように努める。(12) 
キリスト者は、キリストの再臨まで、神の国の「すでに」と「いまだ」の緊張状態にあることを認め、完全な神の国支配下にあるという絶対的平和主義もしかり、同時に神の国の予備的な期間としての、この世の暫定的な権能を認め、正しく治められるよう執成していく。(13) 
③ 為政者が暴走することを阻止するために、平和的手段によって抵抗する権利があり、どのように行使していくかを常に考え、心得ておく。(14) 

 

                                                   (文責:川﨑憲久)

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(1)AD.380年ローマ皇帝テオドシウス一世によってキリスト教ローマ帝国の国教とされたが多くの問題が始まったと言ってよい。第一に司教の任免権を皇帝が持ったことである。第二に、他宗教を禁じたため不信者も表面的な洗礼を受けることによって教会に加わり、そこに政治的、社会的地位・権力によって発言力を持つ者が増えることで、徐々に信仰から外れた判断、常識が教会全体に浸透していったことである。
(2)バルト,カール, 天野有訳『国家の暴力について』(新教出版社,2003)
(3)カルヴァン,J, 渡辺信夫訳『キリスト教綱要第四篇改訳版』(新教出版社, 2011)p.546
(4)ヨシュア6:17
(5)創世記9:6, 出エジプト20:13,
(6)ダビデは神殿建設を願ったが、戦争で多くの血を流したために主は許されず、その嗣業はソロモンに譲ることとなった。Ⅰ歴代誌28:2~3参照。
(7)マタイ5:21~22
(8)創世記1:29
(9)創世記11章
(10)「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」

(11)ローマ13:1~7、Ⅰペテロ2:13~15参照。
(12)マタイ5:21~24、38~48、26:52、ローマ12:19~21、Ⅰペテロ2:18~23
(13)ローマ13:1~7、テトス3:1、Ⅰペテロ2:9~18
(14)使徒5:27~42、25:1~26:32

◎特集:教父 「ユスティノス」 

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1.生涯
 ユスティノスは、紀元2世紀の教会教父であり、護教教父といわれるキリスト教会最初期の神学者。その生涯の詳細は、主に彼の著作に基づいたものである。ユスティノスは、AD100年、使徒ヨハネが死んだ頃に、北イスラエルに位置するフラウィア・ネアポリス (1)という町で、父プリスクスの子として誕生した。
 ユスティノスは、青年期に種々の哲学に真理を求めた。また、多くのキリスト者の迫害にも遭遇した。その後、回心し、人々をキリストに導き勝ち取るために、哲学者の衣服をつけて行動し、その中でいくつかの著作を書いた。150年頃 ローマに定住し、当時唯一のキリスト教的哲学学校を開設。その校長としてキリスト教を教えた。167年(2) 迄にローマで殉教した。

 

2.背景~キリスト者に至るまで
 ユスティノスが活躍した時代、その思想背景にはギリシャ哲学があった。特に、グノーシス主義思想(3) が盛んであった。彼の青年期も、アテネやローマにおいて、前述のとおり真理の追求に多くの労力を傾けたものであった。その真理の追求とは、フィロソフォス(知恵の愛好者=哲学者)と呼ばれる人々に出会い、学ぶことであった。
 ユスティノスはまず、ストア学派(4) の哲学者のもとで学ぶ。しかし、いつまで経っても神についての学びがないため、催促すると、神については知らないし、そのような知識は必要ではないとされ、ユスティノスはそこを去る。
 次にアリストテレスの流れをくむ逍遥学派(5) の哲学者のもとに学ぼうとしたが、報酬を要求されたため離脱する。金銭にこだわることは知恵を愛する者にあるまじきことだと判断したからである。それでも真理への追求は続き、次にピタゴラス派の哲学者のもとに行くが、幾何学・音楽・天文学などの予備的学問を修めていないという理由で入門を断られる。
 最終的に、プラトン学派で入門を許された。そこでイデアに舞い上がって、自分が賢者になったと思い込み、「神を観る」ことができることに期待をもつようになった。それがプラトン哲学の目的だったからである。
 そのような青年期は、ローマ帝国時代であり、キリスト教は非合法宗教として弾圧されていた。
 ある日、ユスティノスはいつものように思索にふけるべく、地中海を見渡す人里離れた野をめざして歩いていた。ふと気付くと、後ろの方に一人の柔和で上品な物腰の老人が、少し離れて歩いている。煩わされたくなかったユスティノスは、後ろを振り向き、老人を見やるが、その老人(キリスト者であった)は、彼に話しかけ始める。ユスティノスが哲学者だと知ると、今度は魂を探るような質問をはじめた。老人の問いは、ユスティノスをして、人間の作った哲学の不完全性に目を開かしめたのである(6) 。
 後にユスティノスは回顧している。「老人はその他にもさまざまなことを語った。そして別れ際、私に自分の語ったことをよく吟味するよう激励して、去っていった。それ以来、その老人に会っていないが、たちまちにして魂の内に炎が燃え上がった。私は預言者たち、そしてキリストの友への愛に圧倒された。老人の言ったことをもう一度熟考してみた。そして悟ったのだ。キリスト教こそが唯一まことの、真に価値ある哲学であることを 。」(7) 
 以上のことがあり、彼は132~135年にエペソで洗礼を受ける。このように、キリスト者になった後も、ユスティノスは「唯一真実なる哲学」を見出したことを象徴すべく、哲学者の外衣をまとい続けた。事実、彼は異教の哲学者たちへの伝道者となった。

 

3.神学的貢献
 ユスティノスの神学的な貢献として、第一のことは、不信者に対して、キリスト教こそ真の知恵・真理があることを伝える、弁証学的論証法が挙げられる。
 ユスティノスは、153~154年ごろ、キリスト教を擁護する書(護教論・弁明書)を書き上げ、当時の皇帝アントニウス・ピウスに宛てて送り、「真実を重んじ愛するよう」訴えた。それは、キリスト者は犯罪者ではないし、国家の敵でもなく、キリストの教えに従ってきよい生活を送っていることを証して、迫害を止めさせるためであった 。(8)
 第二には、宣教学的視点における貢献である。既存の思想背景を一方的に批判し排除するのではなく、最善を尽くして許容していく中で、その思想・文化にある人々の心を柔らかくし、キリストへと近づけたことは、宣教学的視点において、大きな貢献であったと言うことができる。知識階級のローマ人がキリスト教の意味を理解することができるよう尽力し、生涯をその道に捧げた。ユスティノスは、あえて「キリスト教にしか真理はない」とは言い切らず、キリストを知らないギリシアの哲学者や詩人が真理を語っていることを認めている。
 それはなぜか。ユスティノスは言う。「キリストは神の初子であり、神のロゴス(言葉、理性)です。すべての人はこのロゴスに預かっているのです。」だからこそ、考えたり語ったりすることができると。それは「ロゴスの種が全人類に植え付けられているからです。」それゆえ、真理を語る者はだれでも「その人の内に植え付けられたロゴスの種によって、おぼろげに、真に存在する「神」を観ることができるのです」と言っている。それでユスティノスはこう言っている。「あらゆる人が正しく語られることはすべて、私たちキリスト者のものなのです。」そして、更にこう言い切っている。「たとえ無神論者として思われている人でも、ロゴスによって生きている人はキリスト者なのです。」それで、ギリシャ哲学者の中ではソクラテスのような人がそうだと言う。
 ただし、真のキリスト者との違いも明らかにしている。それは「真のキリスト者は、私たちのために体とロゴスと魂をもって現れたキリストの内に、ロゴス全体を有しているが、彼らはロゴスの一部を見い出し、観想することで真理を習得したものの、キリストであるロゴス全体を知らなかったので、しばしば互いに対立し合っているのです。」とである。
 この解釈には大いに注意が必要であるが、ユスティノスはキリスト教ギリシャ哲学を融合させるかのような宣教により、多くの哲学者だけでなく、教養ある無しにかかわらず、多くのローマ人をキリストに導いたのである。
 
4.思想
 ゆえに、ユスティノスの思想の特徴は、キリスト教徒として初めてギリシア思想を真っ向否定せずに、キリスト教思想的視点を重ねしようとし、特に当時のギリシア哲学の用語でもあった「ロゴス」(9) と、ヨハネ神学にある「ロゴス」(10) を乖離させず結びつけたことにある。ユスティノスに先立ちアレクサンドリアフィロン(11) もユダヤ教徒としてユダヤ教思想にロゴスを取り入れ、「神はロゴスを通して自らを表す」と唱えた。ユスティノスはフィロンと異なり、キリスト教徒としてイエス・キリストこそが完全なロゴスであると考えた。イエスを「普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理」であると言っている。
 またユスティノスが残した著作に見られるスタイルは、ギリシア人に対してキリスト教思想を解説し、誤解や偏見をなくそうとする姿勢(これが護教論的といわれている)が根本にある。当時の一般的なキリスト教観と対話する形をとっている。
 さまざまな哲学諸派を遍歴し、最後にプラトン哲学を学び、キリスト教信仰に導かれ「人間の魂は本質的にキリスト教的なものである」として、キリスト教こそが唯一の真理であると考えた。そして古代の哲学はその真理にいたる前段階であると考え、それらの中に断片的に真理が存在するのは、その中にある「種子的ロゴス」のせいであると考える。(種子的ロゴス論)つまり、古代からある様々な哲学は真理の一部が示されていてその正体は、イエス・キリストそのものであるという事を解き明かされたという事になる。

 

5.知的・霊的遺産
 以下著書「弁証論」より抜粋。
①福音がエルサレムから全地に広がっていった。それゆえに平和を作り出すことができる。福音がわれわれを変えてしまった。かつては戦争を好んでいた。
しかし今は世界のすべての場所で、剣を鋤に、武器を農具に替えた。今は敬虔と正義の種を蒔いている。信仰や希望や兄弟愛の土壌を耕している。これらのことを我々は十字架につけられた救い主を通して、父なる神から教えられた(ユスティノス『第一弁証論』 23)

②クリスチャンの隣人の首尾一貫した生活という証しに動かされて、暴力や強圧的な生き方から離れていった人たちの実例を、我々は数多く示すことができる。その人たちはクリスチャンの知人が、人から傷つけられるときも奇妙なほどの忍耐を持っているのを見たのだ。またクリスチャンが自分たちとどんな商売の仕方をするのかを身をもって知っていた。キリストが教えられたように生活していない人は、たとえその教えを口にしていても、事実はクリスチャンでないことを、知らなければならない。
(ユスティノス『第一弁証論』 16)

③みことばによって真理を知らされたのちの我々は悪霊を捨て、今は、御子を通して(知るようになった)唯一の神に従って生きている。以前は肉欲を楽しむ者だったが今は自制にのみ喜びを見いだす。まじないのわざを用いていた我々が、今は天地創造の恵みの神に自分を献げる。他の何にもまして富と財産を集めることに夢中であった我々が、今は持てるものを共有財産につぎこみ、だれであろうと困っている人たちと分かち合う。以前は互いに憎み合い、殺し合い、同じ種族に属さない者に対しては、習慣が違うということで善意を示そうとしなかった。だがキリストが来られたのちは、他の人たちと食事をともにし、敵のために祈り、理由もなく我々を憎む人たちと和解しようと努めている。それは、彼らもまた、キリストの公正な戒めに従って生きるようになって、我々と同じものをいただく喜ばしい希望を我々とともにすることができるようになるためである……キリストの教えは簡潔であり、明確だった。キリストは哲学者ではなく、その言葉は神の力だったからである。(ユスティノス『第一弁証論』14)

④日曜日には町や村に住んでいる人々がみな集会をする。使徒の書いた者や預言者の書の一区分を時の許す限り読む。朗読が終わると、座長は説教、教えのうちにこれらの尊いことにならうようにとの勧告や教訓をする。この後にわれらはみな起立して共通の祈りをささげる。祈り終わると、すでに述べたようにパンとぶどう酒を持って来て、それを感謝し、会衆は「アーメン」と答える。その後、聖別されたものをおのおのに分かち食する。欠席している者には執事の手を経てこれを家に送る。富裕な者と志ある者は彼らの自由な意思に従って献金し、座長がこれを保管して孤児、寡婦、獄にある者、外国人などすべて困窮している者の用に供する。(ユスティノス『第一弁証論』65~67)

⑤同第二巻~キリスト教への批判とユスティノスの反論
a 神々を礼拝しないキリスト教徒は無神論者である。
 <反論>ギリシャ古代のすぐれた著述家も『神々は人間の考え出したものにすぎず、それを礼拝する人間よりももっと悪徳に満ちて邪悪だ』と言っている。
b 復活などというのは不合理だ。
 <反論>神がすべての人のからだを無から創造したのであるから、人が死んで撒き散らされても、神は彼を再び創造するというのは合理的だ。
c キリスト教徒は不道徳だ
 <反論>むしろ酒盛りや乱交をするギリシャローマの異教徒の方が不道徳である。
d キリスト教徒は皇帝礼拝を拒否して社会の絆を破壊する
 <反論>たしかにキリスト教徒は皇帝礼拝をはじめ被造物礼拝はしないが、帝国に対して忠実な民である。


◎以上のように、著作によってその弁証法だけでなく、使徒ヨハネの没後100年ほどの時代にあって、当時のキリスト者がどのように信仰生活を営んでいたのか、どのように礼拝し聖礼典を執行していたのかを詳細に知ることができることは、現代を生きる私たちにおいても有益である。
 このほかにも、『ユダヤ人トリュフォンとの対話』 -(ユスティノスの信仰を持つまでの歩みについての証しを示す著作)が現存しており、ユスティノスの思想と生き方が変えられていく様子がわかる。

 

⑴現在はパレスチナ自治区ナーブルス。
⑵生没年については、100~162、165、167等諸説ある。
地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の1つで、物質と霊の二元論が特徴。
⑷「ストア」はストイックの語源である。この名から分かるように、基本的には、欲望を厳しく節制して人格の完成と心の平穏を追及した思想。言いかえれば、自制心により人間としての内面を充実させることで、知的、道徳的な賢者になることを目指した思想。また運命論的でもあり、不幸が起きるのは制御出来ないから、あくせくと外の世界の事象に心をくだくよりは、この世で何があっても動じない心(アタラクシア)という真の宝を得るという考えでもあった。
⑸逍遙学派とは、アリストテレスが創設した古代ギリシアの哲学者のグループであり、彼の学園であるリュケイオンの学徒の総称。
⑹話は、フィロソフィアとは何か。幸福とは何か。といったことに進み、老人は答えた。「フィロソフィアとは真に唯一存在する方の知識であり、幸福とはそのような知識と知恵の報いです」それはユスティノスがこれまで出会ってきた哲学者からは教えられてこなかったものだった。
⑺詳細は『ユダヤ人トリュフォンとの対話』第二章~第八章参照。
⑻「第一弁証論」はキリスト教についての偏見や誤解を一掃することを目的としており、「第二弁証論」は短く情熱的な著書で、皇帝の不正に対する抗議である。
古代ギリシャでは、言葉というだけでなく概念、意味、論理、説明、理由、理論、思想等の意味がある。
キリスト教でのロゴスとは神のことば、天地を創造した神の御子としてのイエス・キリストを意味する。
(11)(紀元前20/30年? - 紀元後40/45年?)ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝時期にアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者。豊かなギリシア哲学の知識をユダヤ教思想の解釈に初めて適用した。ギリシア哲学を援用したフィロンの業績はユダヤ人には受け入れられず、むしろ初期キリスト教徒に受け入れられ、キリスト教思想のルーツの1つとなった。

 

【参考文献】
ハーレイ,H,ヘンリー,聖書図書刊行会編集部訳『聖書ハンドブック』聖書図書刊行会, 1984年。ヘマー,J,コーリン『カラーキリスト教の歴史~殉教者ユスティノス』いのちのことば社, 1979年。水草修治『古代教会史ノート⑥2世紀の護教家たち~水草牧師のメモ帳』苫小牧福音教会,2010年。小高毅『父の肖像‐古代教会の信仰の証し人』ドン・ボスコ社,2002年。柴田有, 三小田敏雄訳『キリスト教教父著作集 第一巻』教文館, 1992年。

 

 

「主に伺ったのに」士師記20章17〜35節

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士師記 20章17~35節

 神様に祈るときはどういうときでしょうか。食事前、受験前、手術前、困ったことが起きたときなど、何かの前や問題の渦中にあるときに熱心に祈ることが多いのではないでしょうか。でも、それ自体が悪いわけではありません。どんな時でも祈ることはやめてはいけません。

  しかし、いつも困ったときだけ祈るなら、必ず神様の訓練が行われるでしょう。それは、神様に本当に信頼して祈るのか、それとも、神様をドラえもんのように便利なものとして利用しているのかを問われるときが必ず起こるということです。そうでなければ、私たちの信仰は単なるご利益信仰になる危険があるからです。

 

1. ユダが最初だ〜攻め上れ

  前回の続きで、レビ人の訴えによって集まったイスラエルの人々は、ベニヤミン族と戦うことを決めてから主に伺ったことが、今日の箇所からわかります。

"17イスラエルの人々は、ベニヤミンを除き、剣を使う者四十万人を召集した。彼らはみな戦士であった。
18イスラエルの子らは立ち上がって、ベテルに上り、神に伺った。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。」主は言われた。「ユダが最初だ。」

  しかし主は、その伺いにお答えになるのです。イスラエルは、そのおことばの通りに戦いましたが、負けてしまいます。

19朝になると、イスラエルの子らは立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。
20イスラエルの人々はベニヤミンとの戦いに出て行き、彼らと戦うためにギブアに対して陣備えをした。
21ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエルのうち二万二千人を滅ぼした。

  結局、イスラエルはもう一度主に伺うことを続けました。ここに、主によるテストがあることがわかります。祈りが聞かれなかったが、それでも主を頼るかどうか。そのテストにイスラエルは、再度臨みます。

22しかし、イスラエルの人々の軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。
23イスラエルの子らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺った。「再び、同胞ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。」
24そこで、イスラエルの子らは次の日、ベニヤミン族に向かって行ったが、
25ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て彼らを迎え撃ち、再びイスラエルの子らのうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。

  ところが、2度目の祈りにも関わらずイスラエルは、また負けるのです。ここで更に主のテストがあることが分かります。これでもか、これでもかと、主はイスラエルがそもそも、主に頼っていたのか、それとも主を利用しようとしていたのか。そのことが問われるのです。もし、ここで、2度も祈ったのに聞かれなかったとなると、一つ考えさせられることは、祈っていることが御心ではないのではないかということでしょう。的外れな願いであるなら、それは聞かれることがないからです。しかし、この場合、主はその都度、その祈りへの答えを与えています。「ユダが最初だ」とか「攻め上れ」ときちんと主はお答えになっているのです。そうであるならば、次に考えられることは、祈りとして信仰が足りない。つまり、忍耐強く祈り続ける信仰が不足しているからだと言えるでしょう。

 

2. 断食〜神の箱〜いけにえ

  イスラエルは、後者を選択して3度目の祈りをしました。

26イスラエルの子らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座り、その日は夕方まで断食をし、全焼のささげ物と交わりのいけにえを主の前に献げた。
27イスラエルの子らは主に伺った──当時、神の契約の箱はそこにあり、
28また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた──イスラエルの子らは言った。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」

  しかし、今回の祈りにはこれまでとの違いが明らかにされています。それは、全焼のいけにえと交わりのいけにえをささげたことです。そして、その補足として神の箱についての記述と祭司ピネハスについての詳細が明記されていることです。これは、明らかに、これまでの二回の祈りとは違うものであることを示しているのではないでしょうか。

  結果的にイスラエルはベニヤミンを攻めて、ようやく勝利を収めることになりました。

29そこで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置いた。
30三日目にイスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをした。
31ベニヤミン族は、この兵たちを迎え撃つために出て、町からおびき出された。彼らは、一方はベテルに、もう一方はギブアに至る大路で、この前のようにこの兵たちを討ち始め、イスラエルのうちの約三十人が野で剣に倒れた。
32ベニヤミン族は「彼らは最初の時と同じように、われわれの前に打ち負かされる」と考えた。しかし、イスラエルの子らは「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう」と言った。
33イスラエルの人々はみな、持ち場から立ち上がって、バアル・タマルで陣備えをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバから躍り出た。
34こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かって進んだ。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気づかなかった。
35主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。"

 

3.  絶えず祈る大切さ

  このイスラエルの主への伺いは、私たちの祈りの訓練を教えています。

  私たちも、主に対する信仰のあり方を常に試されているのではないでしょうか。本当に神に信頼しているのか、それとも神をしもべのように利用できるものとして願うのか。

  それに対して、主はあなたの神として、あなたがこれから神の民として信仰が増し加えられるように導かれます。それは、最初の願いが間違っていたとしても、祈りの訓練の中で、主ご自身の恵みの御業の中に取り込まれて、最終的には、その方向性すら主の栄光のために益と変えてくださるのです。

  結果的に、私たちが選んでしまった誤った選択をも、私たちが神のかたちを回復するための教材として用いられるのです。

  私たちの選択はいつも正しいとは限りません。むしろ、いつも間違っている可能性が大です。そういう自分であることを認めるなら、初めから神に伺って、神の判断を仰ぐはずです。

  イスラエルの民は、主のもとに集まりながら、まず自分たちの感情や判断を優先して、ベニヤミン族との戦争を決断しました。その戦いを避けることよりも、憎しみや感情が先立った決断後に、どう戦うかでようやく伺うことをしました。

 その伺いに、主は身を低くして関わってくださり、二回の敗北を経験させていく中で、彼らに信仰の大切さ、どんなときにも主に祈り続けることの大切さを教えられたのです。

  私たちも今日、この主への祈りを篤くしたいと思います。まず主のおことばを伺ってから一歩踏み出す大切さを味わいたいと願います。

  主は真実な方。必ず主を愛し、主のことばに従おうとする者を顧みてくださるお方です。常に良いもので満たし、主の恵みに日々感謝する者として新しくされるように導いてくださるのです。

  今日も私たちに関わってくださる素晴らしい主のことばに聞きつつ、祈りをもって過ごさせていただきたいと思います。

 

※下記のダビデ祈りを、「主の祈り」とともに、祈りの生活に取り入れてみましょう。

詩篇 86篇    ダビデ祈り
1,主よ耳を傾けて私に答えてください。私は苦しみ貧しいのです。
2,私のたましいをお守りください。私は神を恐れる者です。あなたのしもべをお救いください。あなたは私の神。私はあなたに信頼します。
3,主よ私をあわれんでください。絶えず私はあなたを呼んでいます。
4,このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。
5,主よまことにあなたはいつくしみ深く赦しに富みあなたを呼び求める者すべてに恵み豊かであられます。
6,主よ私の祈りに耳を傾け私の願いの声を心に留めてください。
7,苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。
8,主よ神々のうちであなたに並ぶ者はなくあなたのみわざに比べられるものはありません。
9,主よあなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て伏し拝みあなたの御名をあがめます。
10,まことにあなたは大いなる方奇しいみわざを行われる方。あなただけが神です。
11,主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
12,わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。
13,あなたの恵みは私の上に大きくあなたが私のたましいをよみの深みから救い出してくださるからです。
14,神よ高ぶる者どもは私に向かい立ち横暴な者の群れが私のいのちを求めます。彼らはあなたを前にしていません。
15,しかし主よあなたはあわれみ深く情け深い神。怒るのに遅く恵みとまことに富んでおられます。
16,御顔を私に向け私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与えあなたのはしための子をお救いください。
17,私にいつくしみのしるしを行ってください。そうすれば私を憎む者どもは見て恥を受けます。主よあなたが私を助け慰めてくださるからです。

◎教会教育レポート 「キリスト教の教育についての考察」

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18~20)
 キリスト教宣教の中核をなす「教育」において、その原点はやはりイエス大宣教命令にあると考えることができる。イエスご自身が「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」 ように、弟子たちにもそのようにせよと仰せられたのである。
 この「教える」つまり教育というテーマは、この一般社会でも重視されていることは誰も否定しないだろう。しかし、何に基づいて何を教えるかを考えることは大切なことである。そもそも、私たち人間社会の歴史を遡っても、その原点はキリスト教会にあると言っても過言ではない。なぜなら、現代教育学において、その思想や哲学も教会を中心に形作られていったからである。しかし、今日、ポストモダンの時代に突入し、神を抜きにした教育がはびこり、人間の理性や合理的な解釈が先行して、教育本来の意義を失っていると言わざるを得ない。だからこそ、教育の本領を取り戻すためにも、キリスト教教育について再度みことばから確認し、教会におけるぶれない教育の実践に繋げていくためにも、この考察は大変意義深いことである。

 

1.キリストの模範と教育
 教会において、教育の任にあたる者はキリストの権威によってそれを為す。それは、その教える者が、自分の力や知恵や能力に頼んで行うことではなく、キリストご自身の力、知恵によって行うべきであることを言っている。それがキリストの権威によって教えるということである。だから教える者はキリストによって教えられなければならず、教えを受ける者も、その教えにはキリストを知ることが第一の目的であることを忘れてはならない。
 それは、キリストご自身がこの地上において歩まれたその歩みは、まさに神を愛し隣人を愛する歩みであったからである。それは、神の律法を全うした歩みであり、すべての人に神が求めている生き方だからである。だからこそ、キリストはその歩みを通して、この世をどう生きるか。神に造られた者として何のために生きるかという模範になられたのである。
 私たちはその足跡を辿りつつ、キリストご自身に似たものとなることを願い、教えられ、教える歩みを身に着けていきたい。ロイスE・ルバーは言う。
「神のひとり子を、それぞれの特殊な形でその身に表すために、私たちは偉大な造り主によって形造られたのです。」
  ここに教育の基本があると考えられる。キリストはその全人格を表わすために、私たち一人ひとりを必要としておられる。だからこそ、自分自身の欠点や弱点がキリストに取り扱われて、新しくされることを願うのである。それによって、教える者も、教えられる者も相互に、神の真理によって次第に内面生活が統制されていくのである。

 

2.福音伝道と教育
 しかし、私たちがキリストに似せられていくということは、すなわちキリストが罪のないお方であったように、私たちは罪の問題を解決する必要がある。そのためには、福音伝道との連続性にある教育が不可欠である。
 近代において、日曜学校教育が進み、欧米ではキリスト教家庭を土台にした教会教育が確立されていった。それが日本にも輸入されたが、異教文化の中にある日本では同じカリキュラムは馴染まなかった。それで、常に福音伝道との連続性、または融合の中で教会教育がなされてきた歴史がある。異教社会に住む私たち日本人は、神の概念がGodとは異なる。つまり救いに至るまでの、まず唯一絶対の真の神について学ぶことが必至である。
 これまでの「カミ」から聖書が示す神を知ってようやく、人間とは何かが見えてくる。神の聖なる光に照らされて、私たちは自分の罪が明らかにされていくのである。それまでは、見つからなければ、また考えるだけなら、罪に対して特に後ろめたいこともなかった人が、神を正しく捉えることで、アダムとエバがイチジクの葉で腰に覆いを作ったように、自分の存在そのものに恥を覚え、神の光に痛みを覚えるのである。しかし、聖書を学ぶことによって、その痛みをキリストが十字架の上で負ってくださった事実に向き合わされ、痛みを覚えた神の光にある真の安らぎを味わう者とされていく。
 つまり救いに与るのである。日本の教会教育においてこのプロセスを通ることは重要である。それは、現代においてもしかりであり、むしろ実際のキリスト教人口が減少している欧米において、これまで日本で培われてきた教会教育が必要とされる時期に来ているのかも知れない。

 

3.実践と教育
 上記のことを踏まえて、教会教育は、教課計画を形式主義的な型どおりに行っているようなことを排除して、創造的な観点でみことばを生活に実践的に結び付けていく必要があると考えられる。
 そのために私たちは、自分自身に心を奪われず、主にある自由を生きることが重要である。そうでなければ、だれかにキリストを知らせることはできない。なぜなら、私たちは自分自身でキリストと生き生きとした交わりを持ち、みことばと御霊に満たされなければ、ほかの人に教えることなどできないからである 。
教会教育は、聖霊の業であるということである。だからこそ、キリストの十字架と復活によって贖われた私たちは、その霊に満たされることを願い、御霊に導かれて日々歩む訓練を続けるべきだと考える。その訓練にみことばは欠かせない。アンドリュー・マーレーはこう言っている。
「重要なのは、神のもとから来られた御霊なのです。キリストがもたらそうとされた御霊、私たちのいのちとなり、みことばを受け取り、それを生活の中に溶け込ませる御霊が、みことばを私たちのうちにあって、真理と力のあるものとされるのです。」

   教育の実践こそ、私たちは自分たちの武器を置き、神の武具によって再武装することが必要なのである。御霊の与える剣であるみことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができるからである。

 

マタイ9:35
ロイスE・ルバー「キリスト教の教育」多井一雄訳(いのちのことば社, 1982)p.169
ロイスE・ルバー前掲書p.235
ロイスE・ルバー前掲書p.289

「主のもとに集まったのに」士師記20章1〜16節

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士師記20章1〜16節



 

  一人のレビ人が行ったことはどういう意味があるのでしょうか。19章において、自分が愛していたはずの側女をベニヤミンの地に住むギブアのよこしまな者たちに渡して暴行の後に死なせてしまい、更にはその遺体を12部族分に切り分けてそれぞれに送るということから、この話しは続いています。

 

  このレビ人によって、ダンからベエル・シェバまでのベニヤミンを除く全イスラエルがミツパに集まりました。それには「主のもとに集まった」とあるように、彼のしていることが正当であるという意味なのでしょう。

 

1〜7節

1,そこで、イスラエルの子らはみな出て来た。ダンからベエル・シェバ、およびギルアデの地に及ぶその会衆は、一斉にミツパの主のもとに集まった。
2,民全体、イスラエルの全部族のかしらたちが、神の民の集会に参加した。剣を使う歩兵も四十万人いた。
3,ベニヤミン族は、イスラエルの子らがミツパに上って来たことを聞いた。イスラエルの子らは、「このような悪いことがどうして起こったのか、話してください」と言った。
4,殺された女の夫であるレビ人は答えた。「私は側女と一緒に、ベニヤミンに属するギブアに行き、一夜を明かそうとしました。
5,すると、ギブアの者たちが私を襲い、夜中に私のいる家を取り囲み、私を殺そうと図りましたが、彼らは私の側女に暴行を加えました。それで彼女は死にました。
6,そこで私は側女をつかみ、彼女を切り分け、それをイスラエルの全相続地に送りました。これは、彼らがイスラエルの中で淫らな恥辱となることを行ったからです。
7,さあ、あなたがたすべてのイスラエルの子らよ。今ここで、意見を述べて、相談してください。」

  しかし、彼の言動を見て、このレビ人が自らの愚かさを隠して、ただ一方的に悲惨な目にあったかのように証言しているのがわかります。彼は、自分で側女をよこしまな者たちに与えたことは言わずに、ただ被害を受けたことだけを、ギブアの人々の悪行だけを強調して語っているのです。そして、主のもとに集まったはずなのに、一切、祈ったとも記されていません。

  そして、それを聞いた他のイスラエルの人々も聞いたことを鵜呑みにして、主に尋ねることもなく、それぞれの感情に任せて、ベニヤミンとの戦争に向かおうとしています。

 

8〜10節

8,そこで、民はみな一斉に立ち上がって言った。「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。
9,今、私たちがギブアに対してしようとすることはこうだ。くじを引いて、向かって行こう。
10,私たちは、イスラエルの全部族について、百人につき十人、千人につき百人、一万人につき千人を選んで、兵たちのための食糧を持たせよう。そしてベニヤミンのギブアに行かせ、ベニヤミンがイスラエルで犯したこのすべての恥ずべき行いに対して、報復させよう。」

  つまり、このレビ人も他のイスラエルの人々も、主のもとに集まったことの意味を虚しくして、主のもとに集まったという大義名分によって自らの怒りや感情を正当化したのです。

  これは、日本の歴史にもよくあることです。古来日本の権力者たちは、勅令を重んじました。それは天皇の権威を傘に自分こそ正義であると他の勢力との差別化を図り、他の民衆に対しても納得させるだけの価値をそこに置いていたということです。

  このミツパでの主のもとに集まったということも、主にお伺いを立てるとか、礼拝をするのではなく、主のもとに集まったことによる、精神的に団結がほしかっただけなのです。

  それが結果的に同胞である「イスラエルの子ら」の中に分裂を引き起こしたのです。

 

11〜16節

11,こうして、イスラエルの人々はみな団結し、一斉にその町に集まった。
12,イスラエルの諸部族は、ベニヤミン部族全体に人を遣わして言った。「おまえたちのうちに起こったあの悪事は何事か。
13,今、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう。」しかしベニヤミン族は、自分たちの同胞イスラエルの子らの言うことを聞こうとしなかった。
14,それどころか、ベニヤミン族はイスラエルの子らと戦おうと、町々から出て来てギブアに集結した。
15,その日、ベニヤミン族は、町々から剣を使う者二万六千人を召集した。そのほかに、ギブアの住民から七百人の精鋭を召集した。
16,兵全体のうちで、この七百人の精鋭が左利きであった。彼らはみな、一本の毛を狙って石を投げても、的を外すことがなかった。

  今日の箇所では、イスラエルの子ら」と繰り返し言われています。それは、同じ「イスラエルの子ら」なのに、主をないがしろにして争うことの悲しさ、虚しさ、愚かさを強調しているためでしょう。

  この出来事は、現代においても教会に適用できます。

  私たちは、主の名のもとにいつも集まり礼拝をささげています。しかし、そのことが本当に主のもとに集まった意味を理解しているのか、それとも人間的な思いで集まっているのかを吟味することが必要ではないでしょうか。

  私たちが現代において、霊的な「イスラエルの子ら」であると言えます。それは、一方的に神様が選び与えてくださった救いのゆえです。

  しかし、与えられたその恵みに胡座をかき、主のもとにある幸を忘れてしまっては元も子もありません。主のもとに集まったならば、そこで主の御心を聞くことが大切だからです。それぞれが自分の基準で、自分の物差し、自分の感情ではなく、神のことばに聞くなら、そこには分裂はありません。

  レビ人も他のイスラエルの人々もベニヤミン族も、誰も、主のもとに集まったのに、主のことばをないがしろにして分裂が起きてしまいました。

 

   今日、私たちはまず神のことばに聞くものとされていることを確認しましょう。人間の考え、人間の感情は真実を知る心を失わせます。しかし、主のみことばに聞いていくことこそ、新しいいのちに与った者にとって、何よりも喜ばしい御国への凱旋なのです。

  今日も主のもとに集まった意味を味わい直し、心からの感謝と賛美をささげてまいりましょう。

 

"多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。"
イザヤ書 2章3節

  

 

●番外編「立ち上がる弟子として」マタイの福音書9章9節

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"イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。"
マタイの福音書 9章9節

 

1.罪人を招くために

  マタイは、十二弟子の一人ですが、もともとの職業はローマの税金を同胞のユダヤ人から取り立てる徴税請負人でした。彼がいつものように収税所に座っていると、主イエスがお通りになり、マタイをご覧になった上で、「わたしについて来なさい。」と招かれました。ご自分の弟子とするためにお選びになったのは、人々から蔑まれている取税人だったのです。この選びには、主イエスならではの基準があるようです。この世の基準で選ぶなら、やる気があって、高学歴の人を選ぶはずです。8章の後半に一人の律法学者がやる気満々で来たのに、イエス様からついて来なさいとは言われませんでした。

"そこに一人の律法学者が来て言った。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」エスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」"
マタイの福音書 8章19~20節

  主イエスの基準はこの世の基準、価値観とは違っていたからです。主イエスは、義人ではなく罪人を招いて悔い改めさせるために来たからです。

"わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」"ルカの福音書 5章32節

 

2.イエスの弟子となること
  私たちも主の弟子として招かれました。私たちも、やる気のない罪人でした。しかし、主はそんな私たちを愛を持って一方的に選んでくださったのです。ただし、大切なことが一つあります。イエス様に選ばれ、召されているからといって、自動的に弟子とされるのではないということです。それは、マタイが立ち上がって従ったように、私たちも立ち上がる必要があるからです。マタイの召命の記事は、マルコとルカの福音書にも載っていますが、いずれも単純に従ったのではなく、立ち上がって従ったマタイの姿を捉えています。それでは、立ち上がるとは何でしょうか。それは、ルカの福音書の方を参考にするとわかります。

"するとレビは、すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った。"ルカの福音書 5章28節

  ルカは、「何もかも捨て、立ち上がって、従った。」と記し、立ち上がったことの説明を添えています。そうです。立ち上がるとは、何かを捨てることなのです。主に従うために何かを捨てることです。ちなみに、他の弟子のペテロとアンデレは網を捨てて従ったと聖書は記しています。ゼベダイの子、ヤコブヨハネは、舟と父を残して従ったと記しています。

"イエスガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
エスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。
エスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。
彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。"マタイの福音書 4章18~22節

  私たちは何を捨てたでしょう。私たちにとっての立ち上がるとは何でしょう。私たちにとっての網とは何でしょう。また、舟や父とは何でしょう。

  今日のみことばは、イエスの救いとはイエスの弟子になることに繋がっていることを示します。そして、その歩みは決して簡単ではありません。なぜなら、そこにまず自分を捨てるというプロセスがあるからです。イエスは、このあとで弟子から更に12使徒を選んだあとでこう言われました。

"それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。"マタイの福音書 16章24節

  主の弟子となるとき、私たちは座ったままでは従えません。何もかも捨てて、立ち上がるのです。それは、つまり自分を捨てるということです。それは、主イエスの歩み自体がそうだったように、私たちも主の御足跡に従うということです。

 

3.神の愛と霊を受ける

  しかし、弟子たちはこのあと、ユダの裏切りがあり、他の弟子たちも全員がイエスを捨てて迯げました。

"そのとき、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。"マタイの福音書 26章56節

  つまり、イエスに従うことは、私たちの単なる努力や頑張りではできないことを表しています。では、どうしたらイエスの弟子となることができるのでしょうか。それは、自分自身の力では無理であることを認めることです。自分自身の弱さを知り、従うことすら神に求めることです。そして、そのようなものをも招いてくださる神の愛に気づくことです。

  弟子のリーダーであったペテロは、死んでもイエスに従うと断言しましたが、結局は「イエスを知らない」とイエスのことを三度も否定してしまいました。しかし、そのとき、それでもなおそういうペテロを憐れむ主の眼差しに出会ったとき、彼は外で激しく泣いたのです。それは、どういう涙でしょう。それは、自分がどれほどの思い上がりでイエスに従うことを考えていたか、どれほど自分自身の力で従おうとしていたか、その無力さを知らされたからでしょう。ペテロは、ここから変えられていきます。それは、ペテロに代表されるように、マタイも他の弟子たちも同じだったと言えます。

  彼らは彼らの罪深さと弱さのゆえに十字架に架けられた主イエスに出会い、死んで墓に葬られたイエスに出会い、その墓から復活されたイエスに出会います。そして、その七週間後に聖霊を受けて新しくされます。

  それは、イエスの弟子とは自分の頑張りや力ではなく、神の霊によって従うものであることを意味しています。そこから初めて、イエスが言われたことばに生きるものとされるのです。そこから、ようやく自分自身を捨て、立ち上がって従うことができるのです。

  あなたも今日、もう一度神の前に、御子を与えるほどの愛を注がれた神のあなたへの真実を知りましょう。御子を十字架に架けて私たちの身代わりにするほどに、私たちを愛しておられるその現実を知りましょう。その愛はあなたを変えます。その愛はあなたを立ち上がらせます。なせならそこには主の御霊が注がれ、あなたがイエスの弟子として、日々自分の十字架を負ってついていくための信仰と希望と愛さえも与えられていくからです。そこから、私たちは立ち上がっていくのです。

 

"この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。"
ローマ人への手紙 5章5~11節


"しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」"
使徒の働き 1章8節

◎特集レポート「原初史(創世記1章~11章)において、神はどのように描写されているか」

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●序論

 私たちに伝えられているものは、聖書の最初の十一の章において人類創生の全歴史を貫く、世界と人類の起源についての問いの奥深い部分にその根を持っている。聖書の原初史には、初期の段階における人類の諸宗教と聖書を結びつける共通のものが見える。
 問題は、創世記1~11章の個々のテキストが、その他の地域または他の宗教から伝えられてきた個々のテキストと類似性があるということではない。むしろ問題は、創世記1~11章に見られるいくつかの主だったモチーフが、全世界の諸民族の初期の時代に広く見い出されることである。この点において、それらが、人類の歴史における何らかの普遍的なものを表しているということではないだろうか。

 

1.全宇宙の創造者である神
 ユダヤ人の間では、伝統的に創世記はבְּרֵאשִׁ֖ית (ベレシート)と呼ばれる。また「創世記」というタイトルは七十人訳に由来している。それは「起源」を意味するγένεσις (ゲネシス)であり、モーセ五書のうち第一番目に位置する最も重要な書である。それは、神について、神がどんな存在で、私たち人間とどのような関わりがあるのかが、そこに明らかにされているからである。
 まず1章に表されている神は、創世記の名の通り創造の神である。しかも、このときにはまだ主(יהוה)ヤハウェ ではなく神(אֱלֹהִים)エロヒームである。神は心の声か独り言をもって光を造られた(1:3)。以降、同様にそのことばを発して、その他の被造物を創造した。そしてついに人間を、ご自身のかたちに創造された(1:28)とき、独り言でも心の声でもなく「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ…すべての生き物を支配せよ。」と人間に命じられたのである。
 そのように、著者は、創世記第一章の創造物語(narrative)を、天地創造に始まり、族長たちの物語、エジプトからの救済、シナイでの啓示、荒野の導きを経て、約束の地への進入にまでいたる歴史著作の導入部としている。これを祭司文書とするならば、この歴史物語は、エルサレムで行われる礼拝の基礎付けを目標とするものであるが、創造物語はその冒頭で、この道を通じてその民を導いてきた神が、世界と人類を創造し、すべての生物を祝福した神に他ならないことを表現するのである。聖書のこの最初の章では、世界の創造に二つのことが含まれている。一つは、すべての業において常に同じ形で繰り返されることばによる創造であり、もう一つは、個々の創造の業における神のそれぞれ特別の働きである 。

 

①ことばによる創造
 神は、その命ずることばによって世界を創造した。まず「神は…仰せられた」 という文章で命令のことばが導入され「あれ」という命令が発せられる 。続いて「するとそのようになった」と命令の実行が報告される 。そして、締めくくりに、神の判定が「神は見て、それをよしとされた。」と記される 。これに時間的位置づけが加わる。「夕があり、朝があった。」 この時間配列による枠組みは、区分された時間の全体像を指し示す。すべてのことは神の命ずる言葉によって起こる 。

 

②個々の創造の業における神のそれぞれ特別の働き
 神は「区別」 し、「名づけ」 、「造り」 、「祝福」 する。これらの動詞は、次のように個々の創造の業に配分されている。すなわち、「区別」と「名づけ」は最初の三つの業について語られ(3~5,6~8、9~10節)、「造り」は天体(14~19節)に関して語られ、また天蓋と陸生動物(24~25,26節)に関して語られ、創造と祝福は、動物と人間の場合に語られている 。
もしここに、より古い伝承が取り入れられていると想定するなら、いくつかの調和しない事柄が生まれる。このことは、バビロニアの創造叙事詩等に見られる創造の業の順序との一致に示されているが、光の創造が後の天体の創造とどう関係するのか等についても、個別釈義で扱われるべき事柄なのか説明は困難である。

 

2.全人類の創造者である神
 創世記を読むとき、2章4節と5節の間で文章の性格が変化していることに気がつく。新改訳聖書はこの部分で本文を大きく区分することによって示している。第一章は構成の点で、入念に讃歌のような定型句で様式化されていると言うことができる。たとえば、「神は・・・名づけた。・・・夕があり朝があった。」というふうに鍵となる言葉が繰り返しあらわれる。

 

①創世記1章~2章「人の創造物語」
 その言葉を反復させて注意深く用いている箇所が1章27節にある。
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
 この章全体にわたって、神を現わすのに用いられている言葉は限られており、更に厳粛さを与える。しかし、それは「神である主が地と天を造られたとき」(2:4)という言葉以後とかなり違っている。それは、2章4節以後の言葉は物語的であり、簡潔ではあるが際立って生き生きと描かれている。第一章で用いられていた鍵の言葉等は使われていない。「創造した」(ברא)バラーの代わりに「形造った」(יצר)ヤツァルという表現を用いていることはその良い例である。
 神を現わすために用いられている、そのような表現は素朴である。たとえば神は、まるで陶芸家のように土地のちりでかたち造った人間の鼻にいのちの息を吹き込む。またエデンに園を設け、「そよ風の吹くころ・・・園を歩き回られ」、主の声(または音)を響かせるという、まさにそのような表現の変化が始まるところで、神を表す新しい名前、すなわち「神である主」(יְהוָ֥ה אֱלֹהִ֖ים)ヤハウェ・エロヒームという名が現れる。

 

②創世記6章~8章「ノアの洪水物語」
 この箇所において描かれている神は、異なった神の名を用いる文章からなるパッチワークとなっている。6:5~8、7:1~5、8:20~22では、神の名は主(יְהוָ֥ה)である。しかし、1節のうちに神と主(יְהוָ֥ה)の両方が登場する7:16を除いて、他のところでは神(אֱלֹהִ֖ים)である。その上、7:1~5で神がノアに語ることは、奇妙にも、6:9~22で神がノアに語っている言葉の繰り返しである。反復は古代の物語のテキストではごく当たり前のこととはいえ、矛盾でもありうる。ノアは、6:19で、どんな種類の生ける被造物も「それぞれ二匹ずつ、雄と雌とを」彼と共に箱舟に乗せるように語りかけられている。しかし、7:2では、主はノアに、犠牲として用いることのできる「すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがい」を彼と共に箱舟に乗せるように命じている。7:4では、再び主がノアに「四十日四十夜、地上に雨を降らせ」と警告をするが、これは7:12で起こったこととして記述されている。しかし、7:24では、神は「水は、百五十日間、地の上に増え続けた」とき、ノアのことを心にとめる 。
神の命令は命を意味し、その命令に従うことは、命の獲得を意味している。ノアと、その家族とすべての生き物は、その家族ごとに箱舟から出て、新生した大地における新たに授かった生へと入っていく。ノアの犠牲奉献は、多くの洪水物語に見られる特徴に合致している。それぞれシュメール、バビロニアギリシャの洪水物語の主人公であるジウスドラも、ウトナピシュティムも、デウカリオンも、洪水の後に犠牲を捧げる。それは、古代世界において、生死に関わる危険を切り抜けた者の当然で自然な反応である。救済を祝って、救い主に捧げられる犠牲には、救済に対する感謝と、新たに始まる生における救い主への信頼との双方が表現されている。原初の物語においては、宗教史全体において基本的な犠牲の二つの動機が現れている。すなわち、カインとアベルの犠牲は祝福をめぐるものであった。ノアの犠牲は、救済をめぐるものである。それは、死ぬほどの危険の中で守られた者の捧げる犠牲である。犠牲は、救いと祝福を与えられる神に捧げられる 。
 「主(יְהוָ֥ה)は、そのなだめのかおりをかがれ…」(8:21)という表現は、定式的なものだと言われている。それは「ギルガメシュ叙事詩」でも同じような文脈に見られ、イスラエルでは、後期の時代に至るまで、犠牲奉献の用語であり続けた。そこで言われているのは、神が恵み深くノアの犠牲を顧みたということである。
 
3.原初史における聖書と他の資料
 原初史において、神の描写は他の歴史資料に類似する点が多く、特にギルガメシュ叙事詩は、驚くほど創世記の記事に似ている。類似点は以下の通り。


①両方において、洪水が人間の罪に対するさばきであった。
②1人の人が警告を受け、舟を造って救われたこと。
③両方ともとどまったところを山とし、二羽の鳥のことを書き、二番目に放った鳥が帰らなかったと言っている。
④両方とも救われた者たちの礼拝と、彼らに対する祝福を語っている。


相違点は以下の通り。
①義なる神の高貴な概念と粗野な多神教思想。
②罪の観念が違う。主なる神は罪を裁くが気まぐれではない。
③聖書では、事実が慎みをもって、高貴な神学と道徳的内容をもって記録されているが、バビロンの記事は、神話と迷信に覆われ、道徳的な内容の多くを失ってしまった核だけが残っている。

●結論 

神は創世記1~11章において、全人類の神(אֱלֹהִים)である主(יְהוָ֥ה)として啓示している。原初史において、多々ある資料で類似することも含めて、罪とそれに対する責めを全人類が負っていることが示されていると考えられる。しかし、1~11章で「堕落と救い(祝福)」が繰り返されている祝福の完成型として、神は罪の負い目から人類を解くために完全なる救いを用意された。その具体的な救いの計画と業を12章以降のアブラハムにおける契約の中に、そして、そこから始まるイスラエルの歴史を通して啓示されたのである。

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1.Westermann, Claus, 山我哲雄訳『創世記Ⅰ』(教文館, 1993)p.34
2.創世記1:3,6,9,11,14,20,24,26節
3.同上
4.創世記1:3,7,9,11,15,24,30節
5.創世記1:4,10,12,18,25,30
6.創世記1:5,8,13,19,23,31
7.アブラハムに対して:創17章, モーセに対して:出25章。
8.創世記1:4,7
9.創世記1:5,8,10
10.創世記1:7,16,25
11.創世記1:22,28
12.Westermann, Claus,前掲書,p.35
13.日本語訳聖書では明確になっていないが、NEBでは、7:24を時を表す副詞節に訳し、8:1を主節としている。したがって、神は洪水開始の後、150日してノアのことを考えたということになる。→大野恵正訳『創世記 ケンブリッジ旧約聖書注解』(新教出版社,1986),p.6
14.Westermann, Claus,前掲書,p.150~151
15.ヘンリーH. ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社, 1984),p.80