日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

「サウル王に臨んだわざわいをもたらす、主の霊とは?」

「ときに、わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。」Ⅰサムエル19:9


この19章ではサウル王が、2度、霊が臨む体験をしています。1度目は、家で、いつものようにダビデの竪琴の演奏を聴いているとき。2度目は、ダビデを追ってナヨテに来たときに体験しました。しかし、その体験はそれぞれサウルに働く力が違っていました。1度目は、主の霊とは言っても「わざわいをもたらす」霊でした。この新改訳でも第2版では「主からの悪い霊が」と訳しており、新共同訳では「主からの悪霊」となっています。つまり、1度目の霊は、「主からの」とは言っても、それは悪い霊であったことがわかります。そして2度目は「神の霊」とあり、あきらかに後者の方が聖霊のことであることがわかります。そうなると、1度目のわざわいをもたらす悪い霊の「主からの」という言葉が気になります。主が、神が、悪霊を操っているかのような印象を受けます。しかし、本当に義なる神、聖なる神が悪霊を使ってサウルにわざわいを与えておられるのでしょうか。そうなると、この地上のあらゆるわざわいの根源が神にあるということにならないでしょうか。

そうではありません。神は真に義なるお方であり、悪を滅ぼされるお方です。ただ、この世においてはご自身のご性質にしたがい、また、ご自身のルールにしたがい、その力を制限されるのです。新約聖書ヤコブ1:13~15をお読みください。

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」

また、ローマ1:28

「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」

この地上に罪が入ってから、この地上は「呪われたもの」となり、神が良かったとされたときと一変してしまいました。だから災いが起こって当たり前であり、死と滅びが起こって当たり前の世界なのです。だから、主イエスは祈りの中で「御心が天で行われるように地でも行われますように」と祈りなさいと言われたのです。それは、放っておけば、悪霊が支配し、罪もどんどん広がるからです。だから、サウルに主からの悪い霊が臨んだという意味は、サウルがかたくなになって神に従わず、神の御心を損なったことによって、神様がサウルへの関与を止められたということです。しかし、主は、そんなサウルにも、再度「神の霊」を与えて、ご自分に従うように導かれたのではないでしょうか。それは、サウル自身の信仰によってではなく、サウルから逃れたダビデとその知らせを受けた預言者サムエルの祈りに答えた結果であると読み取ることができます。私たちも、主の導きに対してことさらに拒否続けるならば、主は導きの手を止めざるを得ないときがあることを覚えたいものです。どうか、祝福の主が、あなたの名を呼んでいる時を、十分に生かして、主が与えようとして待っておられる祝福を受け取っていただきたいと願います。

「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」Ⅱコリント6:2