日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

天にまします我等の父よ


"ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。"
マタイの福音書 6章9節  

エスは弟子たちに、こう祈りなさいと言われて、「主の祈り」を教えられました。

そこで、神様に対して呼びかけるときに「天にいます私たちの父よ」と祈るように教えてくださいました。この祈りは約2000年前のことですが、現在でも十分通用する祈りであり、古今の多くの教派、教団、教会でも祈られて来ました。

神に対して、どのように呼びかけるかは基本的に自由でしょうが、主イエスご自身が神様のことを父と呼ばれたように、その深い父子の関係性に私たちも預からせようとしてくださった。主イエスが父なる神と親しく交わっていたように、私たちにもその祝福に預からせようとされたことは、主イエスによる重要な教えの一つであると思います。

つまり神に対してどのように呼びかけるかは、それ自体が信仰告白であり、私たちが信じる神が私たちにとってどんなお方かを明確にさせるものであるということです。

その告白は第一に神に対してすることであり、第二には、この世に対して行うものであるのです。

それは、私たちは神を告白することにおいて、天の父として神を愛していることを告白しているのであり、この世に対しては、独善性と排他性を必然的に宣言しているということだからです。

 

その呼びかけであり、信仰の告白でもある「天の父」と呼びかけることや「父」を削除したり曖昧にすることがあるとしたら、せっかく主イエスが具体的な関係へと招き入れてくださった恵みに対して修正をくわえることであり、主イエスが父と呼ばれるその御口を弟子である私たちが塞ぐことになると考えます。

 

大切なことは聖書が語る真理を真理として正しく告白し、それが御心であるなら、たとえ、その文言で躓く人があったとしても、必ずや主がその人に語ってくださり、御霊がその理解を助けてくださると信じます。

 

大切なことは、人の反応によって私たちの告白を変更するのではなく、どんな反応があったとしても真理からぶれない信仰の告白にある信仰の維持であり、神への誠実な愛の姿勢です。それが古来教会が貫いてきた信仰のあり方であります。

 

かつてイエスの復活を受け入れなかったユダヤ人の指導者たちに対して、当時の弟子たちは、その躓いたことを憂慮して、信仰告白を変更したでしょうか。そんなことはありません。ローマ皇帝の迫害に対して、躓いたからと言って復活はなかったとか、イエスは主ではないと言ってきたでしょうか。

 

そんなことはありません。教会はみんな命がけで信仰告白を守り、信仰を維持したのです。その彼らの信仰に倣い、是々非々で信仰を貫くべきであると思います。