のりさん牧師のブログ

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テモテへの手紙第二 1章

「力と愛と慎みとの霊」

この第二の手紙は、ローマの牢獄で殉教の死を目前にしたパウロからエペソにいるテモテに宛てて書かれたものである。パウロは弟子テモテを心に掛けつつ、テモテの涙をぬぐって喜びに満たされたいと願っている(4)。
一、あいさつと感謝(1~5)
 殉教の死が間近に迫ったことを悟ったパウロは、自らの使徒職について、「神のみこころに」よって「キリスト・イエス使徒」とされたことを再確認する(1)。それは、パウロ使徒職が人間に起源を持たず、父なる神の意志によることを示している。そのパウロから「愛する子」(2)としてその使命を受け継ぎ、既に同労者として働いているテモテの「純粋な信仰を思い起こして」(3)パウロは神に感謝をしている。その純粋な信仰も偶然にあるのではなく、祖母ロイスと母ユニケから受け継いだものである。
二、福音のために(6~18)
 同様にパウロによる按手をもって「神の賜物」(6)がテモテに与えられており、その賜物を「再び燃え立たせ」るようにパウロは願う。その賜物こそ「おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊」である(7)。臆病のためには、内なる人を強くする「力」が必要であり、また「力」だけでなく自分自身をわきまえる「慎み」も必要である。しかし、中心に「愛」がなければ全てむなしい(Ⅰコリント13・1~13)。その賜物こそ、福音のために受ける苦しみにも耐える「神の力」(8)なのである。
 私たちもまた「この福音のために」教会を通して任命され、それぞれの場所に遣わされている(11)。それは「力と愛と慎み」が「私たちのうちに宿る聖霊」(14)によって、それぞれの場所に置かれた私たちの中に実現するということである。自分がどんなに弱くても、聖霊が私たちの内にあってその弱さを覆い、私たちのものではなく聖霊ご自身の「力と愛と慎み」によって「主をあかし」(8)させてくださるのである。