のりさん牧師のブログ

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テモテへの手紙第二 4章

「時が良くても悪くても」

 パウロは、この手紙を書き終えるにあたり、「神の御前」、「イエスの御前」にある現実と、イエスの再臨によってもたらされる「その御国」を思って、まさに最期の命令をテモテに与える。
①宣教の使命(2~5)
 その命令の筆頭として「みことばを宣伝えなさい」と語る。しかも語るタイミングを計りすぎて尻込みするようなことがあってはならない。なぜなら、そうこうしているうちに、「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるから」だという(4)。教会が真理なるイエスではなく、人間的な価値に重きを置きすぎて、ただのサークル活動になっていないかチェックする必要がある。そのような隙を作ることなく「時が良くても悪くても・・・寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、勧め」る(2)ことを怠ってはならないのである。
パウロの証し(6~8)
 パウロは自らの死を意識して、その歩みを振り返る。その殉教を「注ぎの供え物となります」(現在形)と語り、それが確実に起こることであると示している。しかし、使徒パウロは悲観せず、むしろポジティブに事態を捉え、信仰のレースを完走して、決勝点で待っている神による義の栄冠があることを確信している。しかも、それはパウロだけのものではなく、「主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださる」(8)ことを明言し、テモテを励ましているのである。
③最期の挨拶(9~22)
 また、医者ルカが殉教の際に立つパウロの盟友として、なおも共にいる喜びをテモテに伝えつつ、かつて伝道旅行から離脱してしまったマルコに対して「私のために役に立つ」(11)として一緒に連れてくることを願い、プリスカとアクラ夫婦の献身的な働きも忘れず「よろしく」(19)と労う。
 私たちも、今日、このパウロの最期の姿に学び「どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果た」(5)す者として、神とキリスト・イエスの御前に整えられよう。