日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

教会福音讃美歌401番「わが行く道」

   この讃美歌は、日本では旧讃美歌494番、讃美歌21では463番で同じ訳詞で使われています。聖歌では採用されませんでした。作詞者であるクック(Martha Ann Wood bridge Cook--1806-1874)は夫ホーリー氏(Mr. Hawley)亡きあと、コネティカット州ブリッジポート(Bridgeport, Connecticut)で、牧師で編集者であるパーソン・クック(Parson Cook)と再婚。彼の死後はマサチューセッツ州リン市(Lynn, Massachusetts)に移りました。ミネソタ大学には、その息子William W. Cook が、母親Martha Anne Cookを偲んで1915年に寄贈した女子寮があります。

英語の原詞(1節のみ)
   In some way or other the Lord will provide;
   It may not be my way,
   It may not be thy way;
   And yet, in His own way,
  “The Lord will provide.”
 (Refrain)
     Then, we’ll trust in the Lord,
     And He will pro-vide;
     Yes, we’ll trust in the Lord,
     And He will pro-vide.


作曲者Philip Phillips(1834-1895)は、「歌う巡礼者」“The Singing Pilbrim”として知られている。19歳で、歌唱学校で教え始め、シンシナッテイで友人とピアノやオルガンや教会学校唱歌集などを販売するPhilip Phillips商会を経営する傍ら、自らメロデイオンの車を引いて人通りの多い街角で素晴らしい声を聞かせた。1875年のオーストラリアでの百回を越える音楽伝道を皮切りに、1877年からスリランカ、インド,エルサレム,エジプト、イタリア、英国そして日本にも旅行し、これらの経験に基づいた歌を作っている。

 


「わが行く道」と私

この讃美歌の作曲者側の曲名は“PROVIDENCE”という題名がついています。日本語では「摂理」と訳すことができます。これはまさに作詞者の詩に込めた心に沿った曲名だと言うことができます。

(私訳)「歩むべき道は、主が何らかの方法で備えてくださる。それが私の思った方法でないかも知れないし、あなたが思った方法でもないかも知れない。それは主ご自身の方法である。主はみ旨のままに備えてくださる。」

 信仰者にとって主を信じて歩むことは、決して楽なことではありません。その先が見えない歩みという点で不安があるからです。しかし、この論理には矛盾があります。それは、「主を信じて歩む」と言っていながら、実は主に信頼していないことを同時に言っているからです。でも、私たちクリスチャンの歩みとは、常に罪人である私と、主によって罪赦された神の子どもとしての私とがいつも混在し、信仰と不信仰、希望と絶望、愛と嫌悪が常に闘っているのも事実です。天の御国の国民とされていながら、滅びに向かっているような想いに囚われることもしばしばです。しかし、この賛美歌は、そういう不甲斐ない私を励ます歌です。私自身を見れば、罪人であったときと現在との変化のなさにがっかりしますが、しかし、主がそんな私のためにいのちを捨てて下さった事実によって、私が主の道を歩む者とされていることも事実であることを覚えさせられるのです。いかに険しい道に思えても、主を信じ、主の十字架を仰ぐなら私は恐れることはないと。主にある者には主が必ず報いてくださる。主が私の保護者となって、必要を満たし、天で行われる御心をこの地でも為してくださるのです。
 これからも、信仰の道は先が見えません。でも確信をもって言えます。主の御心がなるということを。そして、それ以上に素晴らしい答えがないということを。
「備えたもう。主の道を。踏みてゆかん、ひとすじに」