日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

2014/6/27 「パンくずをいただきたい」 聖書マタイ15:27

2014/6/27 「パンくずをいただきたい」 -

 

「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」マタイ15:27(新共同訳)


エスティルスとシドンの地方という、ユダヤ人から見れば外国に行かれたときのことでした。カナン人の女の娘が悪霊につかれているので、そのカナン人の女が癒しを求めて、イエスのもとにやって来ました。22節を見ると「叫んだ」と書いてありますので、かなり切迫した状況だったことがわかります。ところが、イエスは「何もお答えにならなかった」と言うのです。しかも、弟子たちもいっしょになって、「この女を追い払ってください」と言って、相手にしないように求めているのです。何という冷たさでしょうか。今までのイエスから考えても、いったいどうしちゃったのかと思うほどに、疑問がおこるイエスの態度です。しかし、その理由がイエスから示されます。それは24節の言葉です。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」これはどういう意味でしょうか。イエス様は、人種差別をしているのでしょうか。本当にイスラエルのためだけに来られたお方なのでしょうか。いいえ、そうではありません。なぜなら、もしそうであるなら、あえてこの地方を通る理由がないからです。だから、イエス様はこの女の人の娘を癒すために来られましたが、一つのテストをすることで、本当に大切なことは何かをお示しになるために、あえて冷たい態度をとられたのです。それでイエスは、神の祝福の約束の順番として、まずイスラエル人からだと強調することで、この女の人が、どのような信仰か確かめたのです。それでもカナン人の女は言いました。「主よ。どうか助けてください。」しかしイエスは「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と喩えを使って、イスラエル人を後回しにして、小犬であるあなたを祝福することはできないということをお語りになり釘を刺しました。すると、ここで今日の表題の言葉が、彼女から出てくるのです。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」イエスは、その彼女の答えと姿勢をご覧になって「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と仰せられ、彼女の娘を癒されたのです。イエスは、彼女を外国人だからと言って差別はしていませんでした。きちんと「婦人よ」と尊敬を表わす言葉で呼びかけています。そして、その信仰を賞賛されました。ここで、弟子たちの様子は記されていませんが、おそらく凄く驚いたと思うのです。弟子たちには、このカナン人の女は、婦人ではなく野蛮人でしかないのです。それはイスラエル人ではないからです。だから、イエス様の彼女に対する最初の方の態度で納得していたと思うのです。しかし、結果的にカナン人の女は「婦人よ」とイエス様に大切にされ「立派な信仰だ」と祝福を受けたのです。ここにイエス様のこの外国をお通りになった目的が示されています。それは、神様が求められていることの最も大切なものは、イスラエル人だという自慢や誇りではなく、また血筋でもなく、神様を心から信頼する信仰だったのです。弟子たちは、その光景を目の当たりにしたのです。イエス様が、決して冷酷に人種差別をするお方ではないことを知り、かえって、食い下がってでも祝福を求め続ける信仰の必要を学んだことでしょう。ここに、私たちに対する祝福と教えがあります。私たちも、イスラエル人ではない外国人です。でも日本人でも神様の救いを受けることができるということです。そういう意味で、霊的なイスラエル人だということができます。しかし、そういう私たちも、クリスチャンという肩書ができてしまったときから、その肩書だけで満足してしまう危険性があります。教会に毎週集っていること、聖書の知識があること、たとえば、クリスチャンホームで育っていることなど、表面的なことで思いあがっているなら、それは間違いです。大切なことは、あなたに、神だけを信頼する信仰があるかどうかです。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」ヨハネ3:16