日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。」

"14 イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟りなさい。
15 外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」"
"17 イエスが群衆を離れて家に入られると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。
18 イエスは彼らに言われた。「あなたがたまで、そんなにも物分かりが悪いのですか。分からないのですか。外から人に入って来るどんなものも、人を汚すことはできません。
19 それは人の心には入らず、腹に入り排泄されます。」こうしてイエスは、すべての食物をきよいとされた。
20 イエスはまた言われた。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。
21 内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、
22 姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、
23 これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」"
マルコの福音書 7章17~23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

  当時のユダヤ人たちは、病気の人に触れることや、異邦人に触れること、また汚れた動物に触れることなどによって、汚れると思っていました。だから、自分自身は神の律法を正しく守っているから、守れているからきよくて、汚れはあくまで外から入ってきて、自分自身が問題ではないと思っていたのです。

 それに対してイエスは、外から入ってくるものはトイレで排泄すれば出てしまうものしかないが、本質は私たち自身の中にあることを指摘したのです。

  それは、罪の種は人間なら誰でも持って生まれてくるものだからです。アダムの罪以来、私たち人間は罪の性質をもって生まれてくるようになりました。だから、誰も教えていないのに、悪い考えを持ち、知らず知らずのうちに、「淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさ」が出てくるのです。これからの罪は、トイレで排泄できるものではありません。捨てようと思って頑張っても内側から湧いてくるものだからです。

  イエスは、「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。」と二回繰り返されました。それは、これらの罪の根が私たちのうちに棲みつき、それが簡単には排泄できないことを強調されているということです。

「私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。」
ローマ人への手紙 7章20節

  だから、その事実に気がつき、その罪にまず悲しむことが求められているのではないでしょうか。そして、その罪がもたらす結果を知る必要があるのです。

聖書は言います。

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」ローマ人への手紙 6章23節
 罪がもたらすものは死であり滅びです。それは神との断絶、永遠の刑罰を意味しています。ところが、神はそれでよしとせずに、御子イエスをこの世にお遣わしになり、その御子を私たちの身代わりとして、十字架で処刑することで、救おうとされたのです。

  そのイエス・キリストは、神から断絶され死んで陰府にくだりましたが、神は3日目にそのイエスをよみがえらせてくださり、このイエスを信じる者をも、そのよみがえりに預かる者としてくださったのです。

   イエスは罪の報酬である死に打ち勝ち、信じるあなたをもその勝利に与らせてくださったのです。

 「あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。
ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。
しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。」ローマ人への手紙 6章20~22節
「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」
ローマ人への手紙 8章37節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会