のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

「ヨシュアの告別説教①〜主を愛しなさい」ヨシュア記 23章

1,主が、周囲のすべての敵からイスラエルを守って安息を与えられてから、多くの日がたち、ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。
2,ヨシュアは全イスラエル、その長老たち、かしらたち、さばき人たち、つかさたちを呼び寄せて彼らに言った。「私は年を重ねて老人になった。
3,あなたがたは、自分たちの神、主が自分たちのために、これらすべての国々に行ったことをすべて見てきた。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主である。
4,見よ。私はヨルダン川から日の入る方の大海まで、これらの残っている国々と、すでに私が絶ち滅ぼしたすべての国々を、相続地としてあなたがたの部族にくじで分けた。
5,あなたがたの神、主ご自身が、彼らをあなたがたの前から追い払い、あなたがたの目の前から追い出される。あなたがたの神、主があなたがたに告げたように彼らの地を占領しなさい。
6,また、モーセの律法の書に記されていることを、ことごとく断固として守り行いなさい。そこから右にも左にも外れず、
7,これらの国々、あなたがたの中に残っている、これらの異邦の民と交わらないようにするためである。彼らの神々の名を口にしてはならない。それらによって誓ってはならない。それらに仕えてはならない。それらを拝んではならない。
8,ただ今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがりなさい。
9,主は、大きくて強い異邦の民をあなたがたの前から追い払われた。だから今日まで、あなたがたの前に立ちはだかることのできる者は、一人としていなかった。
10,あなたがたは一人で千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。
11,だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。
12,しかし、もしも、あなたがたが再び堕落して、これらの異邦の民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っているこれらの者たちと親しく交わり、彼らと姻戚関係に入り、あなたがたが彼らの中に入って行き、彼らもあなたがたの中に入って来ることがあれば、
13,あなたがたは、このことをしっかりと知らなければならない。あなたがたの神、主は、もはやこれらの異邦の民をあなたがたの前から追い払われない。彼らはあなたがたにとって、罠となり、落とし穴となり、あなたがたの脇腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなる。そして、あなたがたは自分たちの神、主がお与えになったこの良い地から滅び失せる。
14,見よ。今日、私は地のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたがたは心を尽くし、いのちを尽くして、知りなさい。あなたがたの神、主があなたがたについて約束されたすべての良いことは、一つもたがわなかったことを。それらはみな、あなたがたのために実現し、一つもたがわなかった。
15,あなたがたの神、主があなたがたに約束されたすべての良いことが、あなたがたに実現したように、主はまた、すべての悪いことをあなたがたにもたらし、ついには、あなたがたの神、主がお与えになったこの良い地からあなたがたを根絶やしにされる。
16,主があなたがたに命じられた、あなたがたの神、主の契約を破り、行ってほかの神々に仕え、それらを拝むなら、主の怒りはあなたがたに対して燃え上がり、あなたがたは、主がお与えになったこの良い地から速やかに滅び失せる。」

 

1.戦ったのは主である(1〜5節)

  ヨシュアは年をとり、最期の時を迎えようとしていました。そこで、大きく三つのことを、残されるイスラエルの民に告げました。

  その一つ目は、戦ったのは主であると言うことです。イスラエルの多くの人は、主を信じていたとは言っても、つい目に見えるリーダーであったヨシュアに依存し、ヨシュアがいたから勝利して来たと思っている人がいたでしょう。人間は目に見えるものに囚われやすいからです。しかし、ヨシュアは釘をさします。

   これまでイスラエルが勝利して来たのは、ヨシュアでもなく、またイスラエル軍でもなく、主がともにおられ、主ご自身が戦ってくださったからこそ今があるということを確認しているのです。

  しかし、これからの歩みについて、だからと言って何もしなくても良いとは言っていません。5節。

 

「あなたがたの神、主ご自身が、彼らをあなたがたの前から追い払い、あなたがたの目の前から追い出される。あなたがたの神、主があなたがたに告げたように彼らの地を占領しなさい。」

 

  このみことばは、これこらも神が戦われるが、「彼らの地を占領しなさい」と命じています。これは、私たちが聖霊の助けによって日々歩む聖化の歩みと重なります。パウロも言いました。

 

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」
ピリピ人への手紙 2章13~14節

2. 律法を守りなさい(6〜11節)

  次にヨシュアが告げたのは、律法を守りなさいということです。

  律法は、モーセシナイ山で主から受け取った十戒であり、ヨシュアはその律法を「ことごとく断固として守り行いなさい」と命じました。その第一の理由は、イスラエルの民が異邦の民と交わり、偶像の神々に仕え、拝むようになることから離れるためでした。

  つまり、これもまた目に見えるものに寄りかかりやすい人間の弱さを考慮しての命令だったのです。

  ですから、念を押すように「今日までしてきたように、あなたがたの神、主にだけすがりなさい。」と語り、もう一度、主が「大きくて強い異邦の民を…追い払われた」と繰り返すのです。

  そして、その律法を守る目的をこのように語っています。11節。

 

「11,だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」

 

  主を愛すること。これが人間が律法を守ることの真の目的です。パッカーという神学者はこう言います。「私たちの救われた目的は、神を愛し隣人を愛するためだ」と。

  つまり、この究極の命題のために、神は律法を与えて、罪深い私たちが律法に達し得ないことを悟り、だからこそ神に救いを求め、神の救いを受けた者として、御霊の助けの中で、律法を全うされたキリストに倣って、キリストの弟子として歩むことが私たちの救われた意味だと言うことなのです。

 

"「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
エスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
これが、重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」"
マタイの福音書 22章36~40節

3.このことをしっかりと(12〜16)

  この23章における説教の終わりとして、ヨシュアは警告を与えます。

 

12,しかし、もしも、あなたがたが再び堕落して、これらの異邦の民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っているこれらの者たちと親しく交わり、彼らと姻戚関係に入り、あなたがたが彼らの中に入って行き、彼らもあなたがたの中に入って来ることがあれば、
13,あなたがたは、このことをしっかりと知らなければならない。あなたがたの神、主は、もはやこれらの異邦の民をあなたがたの前から追い払われない。彼らはあなたがたにとって、罠となり、落とし穴となり、あなたがたの脇腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなる。そして、あなたがたは自分たちの神、主がお与えになったこの良い地から滅び失せる。

 

  人間は神が用意された良いものをことごとく踏みにじる罪の性質を持っています。

  天地創造の非常に良かった世界も、アダムとエバの罪によって呪われた地となってしまいました。その罪の連鎖を断ち切るために主は、メシアを遣わそうとされ、その予備段階において、アブラハムから子孫を増やし、モーセによって律法を与え、イスラエルを通して救いをこの地にもたらそうとされたのです。

 私たちには、すでに、そのメシアである主イエス・キリストが与えられ、このお方によって真の救いに与り、神の御国を建設する民として招かれています。

 ですから、御国建設まで、私たちは更にこの信仰の旅路を行き、多くの信仰の戦いに勝利し続ける必要があるのです。

  だからこそ、今日聴いたヨシュアの説教を通して得た三つのことばを適用しましょう。

①人ではなく主が戦ってくださることを知る。

②神の律法(みことば)に聴いて立たされ、神を愛し神に仕える。

③警告を忘れない。(警告は単なる脅しではありません。主があなたを愛してるからこそ、祝福の中を歩むことを願っての命令です。)

 

"だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。"
ヨシュア記 23章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会