のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

「朝明には喜びの叫びがある」詩篇 30篇

賛歌。家をささげる歌。ダビデによる。
1,主よ私はあなたをあがめます。あなたは私を引き上げ私の敵が喜ばないようにされたからです。
2,わが神主よ私が叫び求めるとあなたは私を癒やしてくださいました。
3,主よあなたは私のたましいをよみから引き上げ私を生かしてくださいました。私が穴に下って行かないように。
4,主にある敬虔な者たちよ主をほめ歌え。主の聖なる御名に感謝せよ。
5,まことに御怒りは束の間いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。
6,私は平安のうちに言った。「私は決して揺るがされない」と。
7,主よあなたはご恩寵のうちに私を私の山に堅く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠されると私はおじ惑いました。
8,主よあなたを私は呼び求めます。私の主にあわれみを乞います。
9,私が墓に下っても私の血に何の益があるでしょうか。ちりがあなたをほめたたえるでしょうか。あなたのまことを告げるでしょうか。
10,聞いてください主よ。私をあわれんでください主よ。私の助けとなってください。
11,あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました。私の粗布を解き喜びをまとわせてくださいました。
12,私のたましいがあなたをほめ歌い押し黙ることがないために。私の神主よ私はとこしえまでもあなたに感謝します。

 

1.あがめます。

  私たちはいつも「主の祈り」の中で、「御名を崇めさせたまへ」と祈ります。主イエスは弟子たちに祈りを教えるとき、天の神を「父よ」と呼びかけるとともに、まず何を求めるように言われたか。それは、天の父を崇めること。これが、私たちの神に対する一番の願いだと言うことです。

  崇めるとは、取り分けることであり、聖別を意味する言葉です。だから神に対して「あがめます」とは、神が唯一真の神である主として、他に類を見ないお方であることを告白して、主よ、神はあなただけですと賛美することなのです。

  ダビデは、この歌を読みながら、自分を取り巻く敵を意識して、神に叫ぶのです。そうすることで、状況が変えられるよりも前にダビデ自身の心が癒され、どんなに地獄のような事態の中にあっても、主はそのたましいをよみから引き上げるという体験をしたということです。

 私たちも神の存在をどのように捉え、どのように位置づけているかで、多くの試練の中にあってもその状況に対する対応の仕方が変わってきます。神を神として、その聖なるお方、唯一絶対の私の保護者、天の父として崇めるとき、神は、私たちの思いがどん底にあっても、それを絶望の穴へ下っていかないように生かしてくださるのです。

 

 2. 恩寵のうちに~感謝します

 更にダビデは、主を礼拝する者たちに呼びかけます。「主にある敬虔な者たちよ」と。そして、願い事ではなく、まず感謝せよと呼びかけるのです。

 私たちの不義によって神の怒りを買うことになってしまったとしても、神はその聖なる御名のゆえに、ご自分の民を放っておくことはしません。なぜならば、神はご恩寵の主だからです。

 主の民は御顔を隠されると、おじ惑い(7節)、粗布(11節)を纏い、押し黙ってしまいます(12節)。しかし、私たちがその聖なる御名を呼び求め、主にあわれみを乞うなら、(8節)、神はご恩寵のうちに、私たちを私たちの「山に堅く立たせてくださ」るのです。私たちは塵に過ぎません。だから死んで墓に下ったとしても、そうなってはただの塵です。塵となってしまっては主をほめたたえることができません。

 ですから、神のご恩寵のうちに私たちは今置かれているところから、神に感謝し、その聖なる御名をほめたたえるのです。

「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。(5節)」

 神とともにあるあなたの歩みがいつもこのみことばのように、神によって喜びを味わうものであるように願います。

 

3. 私の助けとなってください

 神への感謝は、喜びを引き起こし、私たちに大きな希望を生み出します。それは、私たちの叫びが空気に向かって放っているものではなく、主が、私たちを心からあわれみ、私たちの真の助けである生ける神だからです。

 だから、私たちの人生には大逆転が起ってきます。先程も夕暮れに涙を宿っても朝明けには喜びの叫びがあると言ったように、11節においてもまた同じ意味のことを表現を変えてダビデは語ります。

「あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました。私の粗布を解き、喜びをまとわせてくださいました。」

 神はあなたの人生を良いもので満たそうと待っておられるお方です。あなたがどんなにどん底の人生を歩んでいても、あなたと愛しあなたを日々憐れんでおられる主は、あなたの魂を生き返らせ、今まで沈んでいた心に神への感謝を起こさせ、嘆きしか知らなかった人生が喜び踊るものへと変えられるのです。

 ダビデはこう言って、この詩篇を閉じます。

「私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」

 神への感謝で溢れる人生、しかも神のことを「私の神、主」と親しく呼び、親しく交わることができる歩みは、何と心強いでしょう。その心強い歩みがあなたにも用意されているのです。ぜひ、あなたにも「私の神、主」といつでも呼び、祈り、助けが与えられる歩みを選んでいただきたいと思います。

 

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」ペテロの手紙第一1章8節