日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

「御顔をしもべの上に」詩篇 31篇

指揮者のために。ダビデの賛歌。
1,主よ私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。あなたの義によって私を助け出してください。
2,私に耳を傾け急いで私を救い出してください。私の力の岩となり強い砦となって救ってください。
3,あなたこそ私の巌私の砦。あなたの御名のゆえに私を導き私を伴ってください。
4,あなたは私を狙って隠された網から私を引き出してくださいます。あなたは私の力です。
5,私の霊をあなたの御手にゆだねます。まことの神主よ。あなたは私を贖い出してくださいます。
6,空しい偶像につく者を私は憎みます。この私は主に信頼しています。
7,あなたの恵みを私は楽しみ喜びます。あなたは私の悩みをご覧になり私のたましいの苦しみをご存じです。
8,あなたは私を敵の手に引き渡さず私の足を広いところに立たせてくださいました。
9,私をあわれんでください。主よ。私は苦しんでいるのです。私の目は苦悶で衰え果てました。私のたましいも私のからだも。
10,悲しみのうちに私のいのちは尽き嘆きのうちに私の年は果てました。私の咎によって私の力は弱まり私の骨は衰えてしまいました。
11,敵対するすべての者から私はそしられました。わけても私の隣人から。知り合いには恐れられ外で私を見る者は私を避けて離れ去ります。
12,死人のように私は人の心から忘れられ壊れた器のようになりました。
13,私は多くの者がささやくうわさを聞きました。「恐怖が取り囲んでいる」と。彼らは私に対して謀議をめぐらし私のいのちを取ろうと図りました。
14,しかし主よ私はあなたに信頼します。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」
15,私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。
16,御顔をしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。
17,主よ私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。悪しき者どもを辱めてください。彼らが黙ってよみへと下るように。
18,偽りの唇を封じてください。それは正しい者に横柄に語っています。高ぶりと蔑みをもって。
19,なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。あなたを恐れる者のためにあなたはそれを蓄えあなたに身を避ける者のために人の子らの目の前でそれを備えられました。
20,あなたは彼らを人のそしりから御顔の前にひそかにかくまい舌の争いから隠れ場に隠されます。
21,主はほむべきかな。主は堅固な城壁の町の中で私に奇しい恵みを施してくださいました。
22,私はうろたえて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と。しかし私の願いの声をあなたは聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。
23,主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。

24,雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

 

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1. 救出を願う(1〜4節)

  苦難は私たちを弱らせます。それは、その状況によって、私たちを恐れさせ、神への信頼を揺さぶろうとするからです。

  強い風が吹くと、私たちは被っている帽子が飛ばないように押さえるでしょう。その風がおさまると手を離します。しかし、風が止まなければ押さえ続けなければなりません。

  あとは、帽子を取ってしまうか、押さえることをやめて飛ばされてしまうかです。

  ダビデは神に助けを求めます。敵が彼を打ち滅ぼそうとしているからです。ダビデは神に身を避け、神の義に訴えて、その正しさのゆえに、今起こっている不義から救い出し、贖い出してほしいと願うのです。そう、それは風から身を守る防風林のように、自分ではどうすることもできない状況の中で、その苦難を遮ってくださる存在に身を任せることなのです。

 

2.  苦しみをご存知です(5〜8節)

  ダビデは経験上、神がどんなお方で、どのように自分を守ってくださるのか体験済みでした。その経験の中で味わった様々な神の業を思い出しながら、神に祈ります。

「私の霊をあなたの御手にゆだねます。」は、神への信頼に基づく祈りであり、主イエスの十字架上の祈りとして用いられています。歴史的には多くの信仰者の最期の祈りとして用いられているほど、この祈りにある神への信頼と希望と愛が表されているのです。

  ですから、今苦境にあっても、過去の神からの多くの恵みを振り返り、その経験の中で味わった多くの恵みを覚えるときに、ダビデは「あなたの恵みを私は楽しみ喜びます。」(7節)と楽しみ喜ぶのです。これは、信仰者の特権であるでしょう。状況はまだ変わらなくても、神への信頼のゆえに、その苦難をも跳ね除ける力を、信仰上の歩みを重ねていく中で、平安の保証となっているのです。

 

3.  私をあわれんでください。主よ。(9〜13節)

   そして、ダビデはまた苦境にあることを訴えます。それは、現実の苦難の力が強ければ強いほど、信仰者であっても揺さぶられるからです。現実の苦しみと、既に体験をもって知っている神への信頼との行ったり来たりの中にあるからこそ、そこから叫ぶ祈りがあるということです。

   ダビデは主にあわれみを求め、主よ、私はあなたに信頼しているのだから、この苦難を知ってほしい。どれだけ今辛いか、どれほど今苦しいか、神よ、あなたに聞いてほしいと、そのままの姿で、そのままの弱さを認めて訴える。つまり、小さな子どもとなって、父親や母親にありのままのをぶつけるのです。この人格的交わりを神は求めておられるということなのです。

 

4.  あなたに信頼します(14〜18節)

  ダビデは、もう一度信仰に立って、「しかし、主よ」と、神への訴えを整理させます。

  時間は神の御手の中にあり、それを人はどうすることもできません。15節

 

"私の時は御手の中にあります。私を救い出してください。敵の手から追い迫る者の手から。"

  敵はなおさら、どうすることもできません。しかし、主は全能のお方。私の時間を支配して、過去も未来も現在もすべては、私自身の救い主なる神の御手の中にあると確信するとき、私たちの心は不思議な安心に満たされるのです。

   ダビデもその心境に至り、こう言います。

16節。

 

"御顔をしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。"

   この祈りは、神の御顔に照らされる喜びと絶対的安心感を既に味わっている者の願いです。神の御顔に照らされるとき、私たちは子どもが日向ぼっこするように、その陽だまりの中で安心するのです。その安心を既に知ってるからこそ、またその安心を求めるのです。それこそ、神の絶対的恵みであり、真の救いです。

 

5.  主はほむべきかな〜主を愛せよ(19〜24節)

  最後にダビデは、神の救いの素晴らしさを告白します。まだ、周囲の状況は変わらなくても、主ご自身の救いも変わらず目の前にあるのです。その現実にあらためて気づかされ、ダビデの心は神の恵みへの賛美に溢れます。19節。

 

"なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。あなたを恐れる者のためにあなたはそれを蓄えあなたに身を避ける者のために人の子らの目の前でそれを備えられました。"

  今日、私たちもこの確信に満たされたいと思います。私たちにはできないこと、また弱い者であることを認め、自分自身では、風にすぐに飛ばされてしまう者であることを認めましょう。私たちは疲れ果て、帽子のつばを押さえる気力さえ続かない者です。

  だからこそ、主はその全存在をもって、あなたを包み、あなたの防風林となって、あなたを守ってくださっているのです。その存在にきづかさせ、その御顔の輝きに照らされるとき、まだ周囲の状況が変わらなくても、また自分自身が弱くて貧しくて、最低な者であったとしても、あなたは、その御顔に照らされて、揺るぎない平安に満たされるのです。 

 この詩篇の最後の言葉は、ダビデの主への真実な告白です。

 

"主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが高ぶる者には厳しく報いをされる。
雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。"23~24節

  その確信と告白から、具体的な神の業が行われるということです。それは私たちの信仰の究極的な目的は神を愛することだからです。神を愛する歩み、生き方。そこに心を強くし、主を待ち望む信仰が養われます。

  主を愛するからこそ、その御顔に照らされることを喜べるからです。

  今日、あなたは、主の御顔を恐れるでしょうか。それとも、その輝きに照らされて、主の御顔の陽だまりの中にいたいと願うでしょうか。

 

"主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』"
民数記 6章24~26節
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