のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎特集:新約聖書におけるδιακονία (奉仕・任務)について

1. 解説
動詞形であるδιακονέω(ディアコネオー)は、新約に36回出てくる。使徒の働きも含む共観福音書で21回、ヨハネで3回、パウロ書簡で8回、ヘブル書で1回、Ⅰペテロで3回である。共観福音書で比較的頻繁に現れるもののうち大部分の箇所は、イエスのことばとたとえに属する。動詞によって表される活動は、抽象的に、名詞διακονία(ディアコニア)(もてなし・奉仕・任務・職務・務め)で表現される。このδιακονίαは、新約に33回出てくる。福音書に1回、使徒8回、パウロ書簡に22回、ヘブル書1回、黙示1回である。διάκονος(召使・奉仕者・執事)は、διακονέωとδιακονίαで言い表される活動を遂行する者のことである。この単語は新約に29回出てくる。福音書で8回、パウロ書簡で21回である。

 

2. 語群の意味内容
διακ語根をもつ語群の全体が、世俗のギリシャ語で使用される場合、その元来の関連範囲は「食卓で給仕する」ことである。そこから拡大されて「生活のために配慮する」という意味、そして最後には、全く一般的に「仕える」という意味が派生している。類似した語にδουλεύω(ドゥレイオー)があるが、この語根であるδουλの単語は、とりわけκύριος(主人)に対するδοῦλος(奴隷)の依存関係および従属を表現する。これに対してδιακονέω(仕える)とその語群は、だれそれの利益を図ってなされる奉仕という思想をずっと強く言い表すものである。ゆえにδιακονέω/διακονίαとその語群は、新約の特定の層で、イエスの言葉と振る舞いとに方向付けられている基本的なキリスト教的態度を表す中心的な表現となり、また、キリスト教的な教会内部の職分、即ち言葉の告知と教会における指導任務という慈恵的活動を表示するものとなる。

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3. 使用状況

①名詞形διακονία(ディアコニア)

Luke 10:40 ἡ δὲ Μάρθα περιεσπᾶτο περὶ πολλὴν διακονίαν· ἐπιστᾶσα δὲ εἶπεν· κύριε, οὐ μέλει σοι ὅτι ἡ ἀδελφή μου μόνην με κατέλιπεν διακονεῖν; εἰπὲ οὖν αὐτῇ ἵνα μοι συναντιλάβηται.
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」

Acts 1:17 ὅτι κατηριθμημένος ἦν ἐν ἡμῖν καὶ ἔλαχεν τὸν κλῆρον τῆς διακονίας ταύτης.
ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。

 

Acts 1:25 λαβεῖν τὸν τόπον τῆς διακονίας ταύτης καὶ ἀποστολῆς ἀφ᾿ ἧς παρέβη Ἰούδας πορευθῆναι εἰς τὸν τόπον τὸν ἴδιον.
ユダが自分の場所へ行くために離れてしまった、この奉仕の場、使徒職に就くためです。」

Acts 6:1 Ἐν δὲ ταῖς ἡμέραις ταύταις πληθυνόντων τῶν μαθητῶν ἐγένετο γογγυσμὸς τῶν Ἑλληνιστῶν πρὸς τοὺς Ἑβραίους, ὅτι παρεθεωροῦντο ἐν τῇ διακονίᾳ τῇ καθημερινῇ αἱ χῆραι αὐτῶν.
そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。

Acts 6:4 ἡμεῖς δὲ τῇ προσευχῇ καὶ τῇ διακονίᾳ τοῦ λόγου προσκαρτερήσομεν.
私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」

Acts 11:29 τῶν δὲ μαθητῶν, καθὼς εὐπορεῖτό τις, ὥρισαν ἕκαστος αὐτῶν εἰς διακονίαν πέμψαι τοῖς κατοικοῦσιν ἐν τῇ Ἰουδαίᾳ ἀδελφοῖς·
弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。

Acts 12:25 Βαρναβᾶς δὲ καὶ Σαῦλος ὑπέστρεψαν εἰς Ἰερουσαλὴμ πληρώσαντες τὴν διακονίαν, συμπαραλαβόντες Ἰωάννην τὸν ἐπικληθέντα Μᾶρκον.
エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。

Acts 20:24 ἀλλ᾿ οὐδενὸς λόγου ποιοῦμαι τὴν ψυχὴν τιμίαν ἐμαυτῷ ὡς τελειῶσαι τὸν δρόμον μου καὶ τὴν διακονίαν ἣν ἔλαβον παρὰ τοῦ κυρίου Ἰησοῦ, διαμαρτύρασθαι τὸ εὐαγγέλιον τῆς χάριτος τοῦ θεοῦ.
けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。

Acts 21:19 καὶ ἀσπασάμενος αὐτοὺς ἐξηγεῖτο καθ᾿ ἓν ἕκαστον, ὧν ἐποίησεν ὁ θεὸς ἐν τοῖς ἔθνεσιν διὰ τῆς διακονίας αὐτοῦ.
彼らにあいさつしてから、パウロは自分の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ説明した。
Rom. 11:13 Ὑμῖν δὲ λέγω τοῖς ἔθνεσιν· ἐφ᾿ ὅσον μὲν οὖν εἰμι ἐγὼ ἐθνῶν ἀπόστολος, τὴν διακονίαν μου δοξάζω,
そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受けとめています。

Rom. 12:7 εἴτε διακονίαν ἐν τῇ διακονίᾳ, εἴτε ὁ διδάσκων ἐν τῇ διδασκαλίᾳ,
奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、

Rom. 15:31 ἵνα ῥυσθῶ ἀπὸ τῶν ἀπειθούντων ἐν τῇ Ἰουδαίᾳ καὶ ἡ διακονία μου ἡ εἰς Ἰερουσαλὴμ εὐπρόσδεκτος τοῖς ἁγίοις γένηται,
私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるように、

1Cor. 12:5 καὶ διαιρέσεις διακονιῶν εἰσιν, καὶ ὁ αὐτὸς κύριος·
奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。

1Cor. 16:15 Παρακαλῶ δὲ ὑμᾶς, ἀδελφοί· οἴδατε τὴν οἰκίαν Στεφανᾶ, ὅτι ἐστὶν ἀπαρχὴ τῆς Ἀχαΐας καὶ εἰς διακονίαν τοῖς ἁγίοις ἔταξαν ἑαυτούς·
兄弟たちよ、あなたがたに勧めます。ご存じのとおり、ステファナの一家はアカイアの初穂であり、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。

2Cor. 3:7 Εἰ δὲ ἡ διακονία τοῦ θανάτου ἐν γράμμασιν ἐντετυπωμένη λίθοις ἐγενήθη ἐν δόξῃ, ὥστε μὴ δύνασθαι ἀτενίσαι τοὺς υἱοὺς Ἰσραὴλ εἰς τὸ πρόσωπον Μωϋσέως διὰ τὴν δόξαν τοῦ προσώπου αὐτοῦ τὴν καταργουμένην, 8 πῶς οὐχὶ μᾶλλον ἡ διακονία τοῦ πνεύματος ἔσται ἐν δόξῃ; 9 εἰ γὰρ τῇ διακονίᾳ τῆς κατακρίσεως δόξα, πολλῷ μᾶλλον περισσεύει ἡ διακονία τῆς δικαιοσύνης δόξῃ.
石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、 8 御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。

2Cor. 4:1 Διὰ τοῦτο, ἔχοντες τὴν διακονίαν ταύτην καθὼς ἠλεήθημεν, οὐκ ἐγκακοῦμεν
こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。

2Cor. 5:18 τὰ δὲ πάντα ἐκ τοῦ θεοῦ τοῦ καταλλάξαντος ἡμᾶς ἑαυτῷ διὰ Χριστοῦ καὶ δόντος ἡμῖν τὴν διακονίαν τῆς καταλλαγῆς,
これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。

2Cor. 6:3 Μηδεμίαν ἐν μηδενὶ διδόντες προσκοπήν, ἵνα μὴ μωμηθῇ ἡ διακονία,
私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、

2Cor. 8:4 μετὰ πολλῆς παρακλήσεως δεόμενοι ἡμῶν τὴν χάριν καὶ τὴν κοινωνίαν τῆς διακονίας τῆς εἰς τοὺς ἁγίους,
聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。

2Cor. 9:1 Περὶ μὲν γὰρ τῆς διακονίας τῆς εἰς τοὺς ἁγίους περισσόν μοί ἐστιν τὸ γράφειν ὑμῖν·
聖徒たちのためのこの奉仕については、これ以上書く必要はありません。

2Cor. 9:12 ὅτι ἡ διακονία τῆς λειτουργίας ταύτης οὐ μόνον ἐστὶν προσαναπληροῦσα τὰ ὑστερήματα τῶν ἁγίων, ἀλλὰ καὶ περισσεύουσα διὰ πολλῶν εὐχαριστιῶν τῷ θεῷ. 13 διὰ τῆς δοκιμῆς τῆς διακονίας ταύτης δοξάζοντες τὸν θεὸν ἐπὶ τῇ ὑποταγῇ τῆς ὁμολογίας ὑμῶν εἰς τὸ εὐαγγέλιον τοῦ Χριστοῦ καὶ ἁπλότητι τῆς κοινωνίας εἰς αὐτοὺς καὶ εἰς πάντας,
なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。13この務めが証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。

2Cor. 11:8 ἄλλας ἐκκλησίας ἐσύλησα λαβὼν ὀψώνιον πρὸς τὴν ὑμῶν διακονίαν,
私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。


Eph. 4:12 πρὸς τὸν καταρτισμὸν τῶν ἁγίων εἰς ἔργον διακονίας, εἰς οἰκοδομὴν τοῦ σώματος τοῦ Χριστοῦ,
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。

Col. 4:17 καὶ εἴπατε Ἀρχίππῳ· βλέπε τὴν διακονίαν ἣν παρέλαβες ἐν κυρίῳ, ἵνα αὐτὴν πληροῖς.
アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」と言ってください。

1Tim. 1:12 Χάριν ἔχω τῷ ἐνδυναμώσαντί με Χριστῷ Ἰησοῦ τῷ κυρίῳ ἡμῶν, ὅτι πιστόν με ἡγήσατο θέμενος εἰς διακονίαν
私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださったからです。

2Tim. 4:5 Σὺ δὲ νῆφε ἐν πᾶσιν, κακοπάθησον, ἔργον ποίησον εὐαγγελιστοῦ, τὴν διακονίαν σου πληροφόρησον.
けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。


2Tim. 4:11 Λουκᾶς ἐστιν μόνος μετ᾿ ἐμοῦ. Μᾶρκον ἀναλαβὼν ἄγε μετὰ σεαυτοῦ, ἔστιν γάρ μοι εὔχρηστος εἰς διακονίαν.
ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

Heb. 1:14 οὐχὶ πάντες εἰσὶν λειτουργικὰ πνεύματα εἰς διακονίαν ἀποστελλόμενα διὰ τοὺς μέλλοντας κληρονομεῖν σωτηρίαν;
御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。

Rev. 2:19 οἶδά σου τὰ ἔργα καὶ τὴν ἀγάπην καὶ τὴν πίστιν καὶ τὴν διακονίαν καὶ τὴν ὑπομονήν σου, καὶ τὰ ἔργα σου τὰ ἔσχατα πλείονα τῶν πρώτων.
わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。

 

◎ 動詞形διακονέω使用状況(日本語のみ)

Matt. 4:11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエス仕えた

Matt. 8:15 イエスは彼女の手に触れられた。すると熱がひき、彼女は起きてイエスもてなした。

Matt. 20:28 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」

Matt. 25:44 すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

Matt. 27:55 また、そこには大勢の女たちがいて、遠くから見ていた。ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人たちである。

Mark 1:13 イエスは四十日間荒野にいて、サタンの試みを受けられた。イエスは野の獣とともにおられ、御使いたちが仕えていた。

Mark 1:31 イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた。彼女は人々をもてなした

Mark 10:45 人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」

Mark 15:41 イエスガリラヤにおられたときに、イエスに従って仕えていた人たちであった。このほかにも、イエスと一緒にエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

Luke 4:39 イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

Luke 8:3 ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた

Luke 10:40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」

Luke 12:37 帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。

Luke 17:8 むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。

Luke 22:26 しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。

Luke 22:27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。

John 12:2 人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。

John 12:26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」

Acts 6:2 そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。

Acts 19:22 そこで、自分に仕えている者たちのうちの二人、テモテとエラストをマケドニアに遣わし、自分自身はなおしばらくアジアにとどまっていた。

Rom. 15:25 しかし今は、聖徒たちに奉仕するために、私はエルサレムに行きます。

2Cor. 3:3 あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。

2Cor. 8:19 そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わる私たちの同伴者になるようにと、諸教会の任命を受けています。私たちはそのわざに、主ご自身の栄光と私たちの熱意を現すために仕えています

2Cor. 8:20 私たちは、自分たちが携わっているこの惜しみないわざについて、だれからも非難されることがないように努めています。

1Tim. 3:10 この人たちも、まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事として仕えさせなさい

1Tim. 3:13 執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです。

2Tim. 1:18 かの日には主が、ご自分のあわれみをオネシポロに示してくださいますように。エペソで彼がどれほど多くの奉仕をしてくれたかは、あなた自身が一番よく知っています。

Philem. 13 私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。

Heb. 6:10 神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。

1Pet. 1:12 彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。

1Pet. 4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。

1Pet. 4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。

 

②名詞形δουλεία(ドゥレイア)

Rom. 8:15 οὐ γὰρ ἐλάβετε πνεῦμα δουλείας πάλιν εἰς φόβον ἀλλ᾿ ἐλάβετε πνεῦμα υἱοθεσίας ἐν ᾧ κράζομεν· αββα ὁ πατήρ.

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。


Rom. 8:21 ὅτι καὶ αὐτὴ ἡ κτίσις ἐλευθερωθήσεται ἀπὸ τῆς δουλείας τῆς φθορᾶς εἰς τὴν ἐλευθερίαν τῆς δόξης τῶν τέκνων τοῦ θεοῦ.

被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。


Gal. 4:24 ἅτινά ἐστιν ἀλληγορούμενα· αὗται γάρ εἰσιν δύο διαθῆκαι, μία μὲν ἀπὸ ὄρους Σινᾶ εἰς δουλείαν γεννῶσα, ἥτις ἐστὶν Ἁγάρ.

ここには比喩的な意味があります。この女たちは二つの契約を表しています。一方はシナイ山から出ていて、奴隷となる子を産みます。それはハガルのことです。


Gal. 5:1 ¶ Τῇ ἐλευθερίᾳ ἡμᾶς Χριστὸς ἠλευθέρωσεν· στήκετε οὖν καὶ μὴ πάλιν ζυγῷ δουλείας ἐνέχεσθε. 

 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。 


Heb. 2:15 καὶ ἀπαλλάξῃ τούτους, ὅσοι φόβῳ θανάτου διὰ παντὸς τοῦ ζῆν ἔνοχοι ἦσαν δουλείας.

死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。 

 

動詞形δουλεύω(ドゥレイオー)使用状況:日本語のみ

Matt. 6:24 だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。


Luke 15:29 しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。


Luke 16:13 どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」


John 8:33 彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」


Acts 7:7 また、神は言われました。『彼らが奴隷として仕えるその国民を、わたしはさばく。それから彼らは出て来て、この場所でわたしに仕えるようになる。』


Acts 20:19 私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました


Rom. 6:6 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。


Rom. 7:6 しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです


Rom. 7:25 私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです


Rom. 9:12 行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、「兄が弟に仕える」と彼女に告げられました。


Rom. 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい


Rom. 14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。


Rom. 16:18 そのような者たちは、私たちの主キリストにではなく、自分の欲望に仕えているのです。彼らは、滑らかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましています。


Gal. 4:8 あなたがたは、かつて神を知らなかったとき、本来神ではない神々の奴隷でした。


Gal. 4:9 しかし、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうして弱くて貧弱な、もろもろの霊に逆戻りして、もう一度改めて奴隷になりたいと願うのですか。


Gal. 4:25 このハガルは、アラビアにあるシナイ山のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、今のエルサレムは、彼女の子らとともに奴隷となっているからです。


Gal. 5:13 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。


Eph. 6:7 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。


Phil. 2:22 しかし、テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私とともに福音のために奉仕してきました。


Col. 3:24 あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。


1Th. 1:9 人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、


1Tim. 6:2 信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽んじることなく、むしろ、ますますよく仕えなさい。その良い行いから益を受けるのは信者であり、愛されている人なのですから。
あなたはこれらのことを教え、また勧めなさい。


Titus 3:3 私たちも以前は、愚かで、不従順で、迷っていた者であり、いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、悪意とねたみのうちに生活し、人から憎まれ、互いに憎み合う者でした。

 

4.互いに仕え合うのか、従属的に仕えるのか

 教会において、兄弟姉妹が仕え合うという場合は διακονέω/διακονία(ディカイオー/ディアコニア)が相応しいと言える。執事という職務を見ても明らかである。しかし、私たちが神に仕えるという場合は、そこに従属関係があるためδουλεύω/δουλεία(ドゥレウオー/ドゥレイア)が使われる。キリストの奴隷という表現もそれを証明している。しかし、ベタニアのマルタがイエスを「もてなした」という場合はδιακονέωが使われている。それはなぜだろうか。恐らくマルタやマリアとイエスの関係性に、主従関係というよりは、もっと親しい交わりκοινωνία(コイノニア)があったことを意味していると思われる。そのような水平的な親密性を表現する務めや奉仕に関してはδιακονέωが相応しいのである。διακονέωは、δια(与格を伴えば「~を通して、~の間に」という意味で用いられ、対格を伴えば「によって、~のため」という意味で用いられる前置詞とκοινόω(交わる)との合成動詞である。ゆえに、文脈において、親しみや横の交わり、繋がりを強調する場合にδιακονέω/διακονία(ディカイオー/ディアコニア)が用いられ、それ以外の「仕える」はδουλεύω/δουλεία(ドゥレウオー/ドゥレイア)が使用されていると分析できる。

 

【参考文献】

・荒井献・H.J.マルクスギリシャ語 新約聖書釈義事典Ⅰ』(教文館,2015年)

・ Accordance Bible soft ware.version. 12