日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

「神のものは神に〜生きている者の神」マルコの福音書12章13〜27節

f:id:kinokunizaka66:20180814001131j:image

 

"13さて、彼らはイエスのことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。
14その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」
15イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
16彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
17するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。
18また、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て質問した。
19「先生、モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』
20さて、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。
21次男が兄嫁を妻にしましたが、やはり死んで子孫を残しませんでした。三男も同様でした。
22こうして、七人とも子孫を残しませんでした。最後に、その妻も死にました。
23復活の際、彼らがよみがえるとき、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」
24イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。
25死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。
26死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。
27神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」"
マルコの福音書 12章13~27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 昔「一休さん」というアニメがありました。実在した禅僧、一休宗純をほぼフィクションで描いた番組でした。とんち小僧の一休に挑む人は「そもさん」と言い、それを受ける一休さんは「せっぱ」と言って難問に答えるということが毎回ありました。そして、そのとんちが効いた答えに皆んなが驚くわけです。

  この二つのイエスに対する質問も、まさにイエスにギャフンと言わせようとする、ユダヤ人たちの作戦でした。しかし、結果的に何れもイエスの鮮やかな答えに、「そもさん側」であるユダヤ人指導者たちがギャフンと言わされたというお話になっています。

 

1.誰の肖像か(13〜17節)

  普段、仲が悪くても、同じ目的のためには手を組んだパリサイ人とヘロデ党の面々。税金を納める事が良いのか悪いのかという、イエスがどっちを選んだとしても、揚げ足をとることができる問題を投げかけました。

 納めるべきだと言えば、ローマに占領されているユダヤ人の民衆が黙っていません。つまりパリサイ人側の突っ込みどころだと言うことです。しかし、納めなくても良いと言えば、それはローマへの反逆となり、イエスローマ帝国に訴える口実になるという、ヘロデ党の思うツボです。

  しかしイエスは、デナリ銀貨を持って来させて、そのコインに刻まれているのがカエサル(皇帝)の像ならばカエサルに返しなさいと言われたのです。それには、誰も反論できませんでした。しかも、それだけではなく、神のものは神に返せとも言われたのです。

  それは更に誰も考えていなかった答えでした。税金に使う通貨に皇帝の像があるなら、それは皇帝のものなので返さねばならないでしょう。しかし、神の像のものは神に返せとは、いったいどういうことょうか?そんな神の像のコインは当時あったのでしょうか。

  そうではありません。神の像というのは、神に似せて造られたはずの私たち人間のことです。かつて神は人を創造したとき、ご自身のかたちに人を造ったと聖書に書いてあります。

 

"神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。"創世記 1章27節

  ですから、イエスは彼らの「そもさん」に答えただけでなく、彼らに対する神のメッセージ、神からの招きを語られていたのです。

  神の像(かたち=イメージ)のものは神に帰らなければならないとです。

 

  神は全ての人が帰ってくることを、放蕩息子のお父さんのように待っています。もし、神に帰るなら、つまり悔い改めてイエスを信じるなら、漏れなく聖霊が与えられて、栄光から栄光へと主の栄光を反映させながら、主と同じ姿に変えられていくと聖書は約束しています。それが神のかたちを取り戻すことになり、罪によって断絶していた神との関係が修復され、新しい神の国の国民となることができるのです。

 

2.復活はある(18〜27節)

  次に「そもさん」と言ったのはサドカイ人でした。彼らは祭司などのユダヤ社会での宗教的身分の高い人たちでしたが、重んじているのがモーセ五書だけであり、復活を信じていない人たちでした。

  彼らの復活を信じない理由として、昔からの慣習に則って兄が死にその兄の嫁を弟が受け継ぐこと(創世記38:8)を繰り返すことになれば、皆んな死んで、復活のときにその嫁が誰のものかがわからなくなり、そこに矛盾が起こるということでした。復活信仰は矛盾があり、混乱を招くと思っていたようです。

  しかし、イエスの答えは明快です。そもそも結婚自体がこの世における一時的な関係であり、神の国においては最早、その婚姻関係がなくなることを明らかにされました。そして、彼らが重んじているモーセ五書の一つである出エジプト記の燃える柴のところから、神が仰せられたことば自体が復活について名言していることを読み取るように指摘したのでした。それは、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と主が仰せられたのは、既に死んだはずの彼らが、実は神の御許で生きており、かの日にはよみがえる証しであると言われたのです。

 

  この二つの難問に対するイエスの答えには繋がりがあります。

  神の前に悔い改めて、イエスを受けいれ、神に立ち返るなら、つまりイエスが言われたように、神のかたちに造られた者として、神に帰るなら、たとえこの地上のからだが朽ちても、終わりの日には新しいからだが与えられて、復活に与るということです。

  

  あなたも、この救いに招かれているのです。イエスのこの問答は、単にイエスが賢いお方であることだけを記しているわけではないのです。また税金を納めるべきことだけでもありません。このユダヤ人たちとの姑息な質問に対する応答を通してもなお、イエスは彼らを、そして、あなたを救いに招いているのです。

  私たちが罪を悔い改め、神のかたちに造られたものとして、イエスを信じ神に帰るなら、その歪んだ神のかたちを聖霊が新たに造り変えてくださって、御子イエスと同じ姿に変えてくださり、更に終わりの日には、完全な新しいからだが与えられてよみがえり、主とともに永遠に新しい完成された神の国の国民とされるのです。

 

  今日、もう一度、イエスの招きに答え、神に立ち帰り、罪の赦しをいただいて、神のかたちを、その御子の似姿に回復させていただこうではありませんか。

 

"御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。"
コロサイ人への手紙 1章15節

"私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。"コリント人への手紙 第二 3章18節

"愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。"ヨハネの手紙 第一 3章2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会