のりさん牧師のブログ

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「御翼の陰に」詩篇36篇

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詩篇
36篇

指揮者のために、主のしもべダビデによる。

1,私の心の奥にまで悪しき者の背きのことばが届く。彼の目の前には神に対する恐れがない。
2,彼は自分の判断で自分を偽り自分の咎を見つけてそれを憎む。
3,彼の口のことばは不法と欺き。思慮深くあろうともせず善を行おうともしない。
4,彼は寝床で不法を謀り良くない道に堅く立ち悪を捨てようとしない。
5,主よあなたの恵みは天にありあなたの真実は雲にまで及びます。
6,あなたの義は高くそびえる山。あなたのさばきは大いなる淵。主よあなたは人や獣を救ってくださいます。
7,神よあなたの恵みはなんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。
8,彼らはあなたの家の豊かさに満たされあなたは楽しみの流れで潤してくださいます。
9,いのちの泉はあなたとともにありあなたの光のうちに私たちは光を見るからです。
10,注いでください。あなたの恵みをあなたを知る者に。あなたの義を心の直ぐな人たちに。
11,高ぶりの足が私に追いつかず悪しき者の手が私を追いやることのないように。
12,そこでは不法を行う者は倒れ突き倒されて立ち上がれません。

 

  私たちは弱さを覚えるとき、不安に陥るとき、自分を匿ってくれる大きな存在に包まれたくなります。それは、かつて子どもだったときに、父親、または母親の胸に逃げ込んだときのような安心感に憧れるからだと思います。

  しかし、大人になるとそうはいきません。日々仕事に追われ、会社も休めず、不安を抱えたまま、また更に不安の中へ飛び込むことになるのです。しかし、いよいよダメだと、力尽き、無断欠勤するようなとき、もはや自分を包んでくれるのは、自分の暗い混沌とした部屋に置かれた布団だけになっているのではないでしょうか。

   その布団にくるまり、ただ涙するのです。誰も助けてくれない。自分は一人ぼっちだ。もはや光が見えず、絶望感だけが頭の中をこだまするのです。

 

1. 悪しき者のことばで

  ダビデという人は、どんな辛いときも、どんなに悲しいときも、いつも彼の前には神さまがおられました。それはダビデ自身が神さまを目の前に常に意識したということです。

"私はいつも主を前にしています。主が私の右にれるので私は揺るがされることがありません。"詩篇 16篇8節

  神を信じるとは、神の存在を信じることだけではありません。それは当たり前のことです。それよりも、もっと神さまが身近にあることに信頼すること。そこに迫る神さまの愛の深さ、高さ、広さに信頼することです。

 今日の詩篇ダビデは、敵の悪しき者のことばが心の奥にまで突き刺さるほどダメージを受けていました(1節)。それは、その人自身が神を恐れていないからです。神を知らず、神を信じていないということは、本当の恐れを知らないということです。自分の存在、自分の価値観が基準(2節)であり、真の神ではなく、いつも自分自身が神になるからです。 神を恐れないので、好き勝手なことを語り、どんな恥ずべき言葉も臆せず語ります。思慮に欠け、悪に更に悪を重ねても良心の呵責すら起こらない。これが、神を恐れない者の究極の姿なのです。

  ダビデは、そのような敵を前に、心が疲れ果て、まさに布団に包まっていたくなるくらい、心が折れてしまいました。

   しかし、どんな逆境にあっても、そこから立ち上がれるのが、真の神を恐れ、真の神に信頼する者の祝福です。どんなに敵が自分のことを悪く言って攻撃してきても、そのような悪しき者さえも支配しておられるお方が、私にはついているではないか。この神の臨在の現実に向き合わされるとき、私たちの心は、不思議と180度変えられるのです。

 

2. 神の恵みに気付かされ

5,主よあなたの恵みは天にありあなたの真実は雲にまで及びます。
6,あなたの義は高くそびえる山。あなたのさばきは大いなる淵。主よあなたは人や獣を救ってくださいます。
7,神よあなたの恵みはなんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。
8,彼らはあなたの家の豊かさに満たされあなたは楽しみの流れで潤してくださいます。
9,いのちの泉はあなたとともにありあなたの光のうちに私たちは光を見るからです。

  ダビデは、神の恵み、その真実、義、さばき、救いに気付かされます。どんな危機にあっても、神の絶対的な存在と自分に対する恵みの真実、義なるさばき。そしてもう一度恵みに戻って来ます。しかも、その恵みを救いによって経験させられます。信仰者は、この神との様々な歩みを既に味わってきた証しがあります。救いは、単に将来起こることだけでなく、現実的に、今、ここでも行われる祝福の先取りなのです。

  その救いこそ、神の御翼の陰に隠れることです。それは布団にくるまるのとは訳が違います。

  これまで、ダビデは自分に襲ってくる悪しき者の言葉で傷つき、その状況に苦しんでいました。しかし、ダビデを愛し、日々恵みをもってともにおられる神が一緒にいることを確認したとき、状況が全く変わらない中にあって、神への信頼が、悪しき者からの苦しみから解放し、ダビデを神への祈りこそ最高の力であるという確信に導き、悪しき者、不法を行う者は神によって倒されると宣言するのです。

 

3. 神によって立ち上がる

10,注いでください。あなたの恵みをあなたを知る者に。あなたの義を心の直ぐな人たちに。
11,高ぶりの足が私に追いつかず悪しき者の手が私を追いやることのないように。
12,そこでは不法を行う者は倒れ突き倒されて立ち上がれません。

  私たちの神は叫ぶと答える方です。祈ると響くお方です。辛いとき、苦しいときもいつも傍にいて、あなたを愛し、多くの恵みで満たし、変わらない真実、義とさばきの主として、信頼する確信に導いてくださるお方なのです。この地上での歩みがある限り、悪しき者の攻撃は尽きません。しかし、もはや、その攻撃も既に神の恵みによって救われた者にとっては、何の意味もなさないことも知る必要かあります。

  ダビデを御翼の陰に隠して救った主は、あなたをも、その偉大な御翼の陰にかくまい、あなたが苦しみで負けないように支えてくださるのです。

  今日も主はあなたを既にその御翼の陰にかくまい、慈しんでおられる事実に気がついているでしょうか。神の恵みはさばきに優って、常に先行しています。私たちが望むよりも前にすでに恵みは与えられているのです。

  私たちがまだ神を知らなかったときに、神は御子を遣わし、この方によって神の愛を明らかにされました。それがイエスによる十字架の御業です。ここに愛があると聖書は言います。この神の恵みがどんなときにも味わえる、そして、その状況さえも変えて、私たちの一生を良いもので満たそうとするのです。

  これが神が愛する者のために備えてくださった救いであります。あなたも、この神様に心を開き、その御翼の恵みを日々味わうものとされてまいりましょう。

 

"主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やしあなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせあなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは鷲のように新しくなる。"
詩篇 103篇3~5節