日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

「主に伺ったのに」士師記20章17〜35節

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士師記 20章17~35節

 神様に祈るときはどういうときでしょうか。食事前、受験前、手術前、困ったことが起きたときなど、何かの前や問題の渦中にあるときに熱心に祈ることが多いのではないでしょうか。でも、それ自体が悪いわけではありません。どんな時でも祈ることはやめてはいけません。

  しかし、いつも困ったときだけ祈るなら、必ず神様の訓練が行われるでしょう。それは、神様に本当に信頼して祈るのか、それとも、神様をドラえもんのように便利なものとして利用しているのかを問われるときが必ず起こるということです。そうでなければ、私たちの信仰は単なるご利益信仰になる危険があるからです。

 

1. ユダが最初だ〜攻め上れ

  前回の続きで、レビ人の訴えによって集まったイスラエルの人々は、ベニヤミン族と戦うことを決めてから主に伺ったことが、今日の箇所からわかります。

"17イスラエルの人々は、ベニヤミンを除き、剣を使う者四十万人を召集した。彼らはみな戦士であった。
18イスラエルの子らは立ち上がって、ベテルに上り、神に伺った。「私たちのうち、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。」主は言われた。「ユダが最初だ。」

  しかし主は、その伺いにお答えになるのです。イスラエルは、そのおことばの通りに戦いましたが、負けてしまいます。

19朝になると、イスラエルの子らは立ち上がり、ギブアに対して陣を敷いた。
20イスラエルの人々はベニヤミンとの戦いに出て行き、彼らと戦うためにギブアに対して陣備えをした。
21ベニヤミン族はギブアから出て来て、その日、イスラエルのうち二万二千人を滅ぼした。

  結局、イスラエルはもう一度主に伺うことを続けました。ここに、主によるテストがあることがわかります。祈りが聞かれなかったが、それでも主を頼るかどうか。そのテストにイスラエルは、再度臨みます。

22しかし、イスラエルの人々の軍勢は奮い立って、最初の日に陣を敷いた場所で、再び戦いの備えをした。
23イスラエルの子らは上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺った。「再び、同胞ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。」
24そこで、イスラエルの子らは次の日、ベニヤミン族に向かって行ったが、
25ベニヤミンも次の日、ギブアから出て来て彼らを迎え撃ち、再びイスラエルの子らのうち一万八千人をその場で殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。

  ところが、2度目の祈りにも関わらずイスラエルは、また負けるのです。ここで更に主のテストがあることが分かります。これでもか、これでもかと、主はイスラエルがそもそも、主に頼っていたのか、それとも主を利用しようとしていたのか。そのことが問われるのです。もし、ここで、2度も祈ったのに聞かれなかったとなると、一つ考えさせられることは、祈っていることが御心ではないのではないかということでしょう。的外れな願いであるなら、それは聞かれることがないからです。しかし、この場合、主はその都度、その祈りへの答えを与えています。「ユダが最初だ」とか「攻め上れ」ときちんと主はお答えになっているのです。そうであるならば、次に考えられることは、祈りとして信仰が足りない。つまり、忍耐強く祈り続ける信仰が不足しているからだと言えるでしょう。

 

2. 断食〜神の箱〜いけにえ

  イスラエルは、後者を選択して3度目の祈りをしました。

26イスラエルの子らはみな、こぞってベテルに上って行って泣き、そこで主の前に座り、その日は夕方まで断食をし、全焼のささげ物と交わりのいけにえを主の前に献げた。
27イスラエルの子らは主に伺った──当時、神の契約の箱はそこにあり、
28また当時、アロンの子エルアザルの子ピネハスが、御前に仕えていた──イスラエルの子らは言った。「私はまた出て行って、私の同胞ベニヤミン族と戦うべきでしょうか。それとも、やめるべきでしょうか。」主は言われた。「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたがたの手に渡す。」

  しかし、今回の祈りにはこれまでとの違いが明らかにされています。それは、全焼のいけにえと交わりのいけにえをささげたことです。そして、その補足として神の箱についての記述と祭司ピネハスについての詳細が明記されていることです。これは、明らかに、これまでの二回の祈りとは違うものであることを示しているのではないでしょうか。

  結果的にイスラエルはベニヤミンを攻めて、ようやく勝利を収めることになりました。

29そこで、イスラエルはギブアの周りに伏兵を置いた。
30三日目にイスラエルの子らは、ベニヤミン族のところに攻め上り、先のようにギブアに対して陣備えをした。
31ベニヤミン族は、この兵たちを迎え撃つために出て、町からおびき出された。彼らは、一方はベテルに、もう一方はギブアに至る大路で、この前のようにこの兵たちを討ち始め、イスラエルのうちの約三十人が野で剣に倒れた。
32ベニヤミン族は「彼らは最初の時と同じように、われわれの前に打ち負かされる」と考えた。しかし、イスラエルの子らは「さあ、逃げよう。そして彼らを町から大路におびき出そう」と言った。
33イスラエルの人々はみな、持ち場から立ち上がって、バアル・タマルで陣備えをした。一方、イスラエルの伏兵たちは、自分たちの持ち場、マアレ・ゲバから躍り出た。
34こうして、全イスラエルの精鋭一万人がギブアに向かって進んだ。戦いは激しかった。ベニヤミン族は、わざわいが自分たちに迫っているのに気づかなかった。
35主がイスラエルの前でベニヤミンを打たれたので、イスラエルの子らは、その日、ベニヤミンの二万五千百人を殺した。これらの者はみな、剣を使う者であった。"

 

3.  絶えず祈る大切さ

  このイスラエルの主への伺いは、私たちの祈りの訓練を教えています。

  私たちも、主に対する信仰のあり方を常に試されているのではないでしょうか。本当に神に信頼しているのか、それとも神をしもべのように利用できるものとして願うのか。

  それに対して、主はあなたの神として、あなたがこれから神の民として信仰が増し加えられるように導かれます。それは、最初の願いが間違っていたとしても、祈りの訓練の中で、主ご自身の恵みの御業の中に取り込まれて、最終的には、その方向性すら主の栄光のために益と変えてくださるのです。

  結果的に、私たちが選んでしまった誤った選択をも、私たちが神のかたちを回復するための教材として用いられるのです。

  私たちの選択はいつも正しいとは限りません。むしろ、いつも間違っている可能性が大です。そういう自分であることを認めるなら、初めから神に伺って、神の判断を仰ぐはずです。

  イスラエルの民は、主のもとに集まりながら、まず自分たちの感情や判断を優先して、ベニヤミン族との戦争を決断しました。その戦いを避けることよりも、憎しみや感情が先立った決断後に、どう戦うかでようやく伺うことをしました。

 その伺いに、主は身を低くして関わってくださり、二回の敗北を経験させていく中で、彼らに信仰の大切さ、どんなときにも主に祈り続けることの大切さを教えられたのです。

  私たちも今日、この主への祈りを篤くしたいと思います。まず主のおことばを伺ってから一歩踏み出す大切さを味わいたいと願います。

  主は真実な方。必ず主を愛し、主のことばに従おうとする者を顧みてくださるお方です。常に良いもので満たし、主の恵みに日々感謝する者として新しくされるように導いてくださるのです。

  今日も私たちに関わってくださる素晴らしい主のことばに聞きつつ、祈りをもって過ごさせていただきたいと思います。

 

※下記のダビデ祈りを、「主の祈り」とともに、祈りの生活に取り入れてみましょう。

詩篇 86篇    ダビデ祈り
1,主よ耳を傾けて私に答えてください。私は苦しみ貧しいのです。
2,私のたましいをお守りください。私は神を恐れる者です。あなたのしもべをお救いください。あなたは私の神。私はあなたに信頼します。
3,主よ私をあわれんでください。絶えず私はあなたを呼んでいます。
4,このしもべのたましいを喜ばせてください。主よ私のたましいはあなたを仰ぎ求めています。
5,主よまことにあなたはいつくしみ深く赦しに富みあなたを呼び求める者すべてに恵み豊かであられます。
6,主よ私の祈りに耳を傾け私の願いの声を心に留めてください。
7,苦難の日に私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。
8,主よ神々のうちであなたに並ぶ者はなくあなたのみわざに比べられるものはありません。
9,主よあなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て伏し拝みあなたの御名をあがめます。
10,まことにあなたは大いなる方奇しいみわざを行われる方。あなただけが神です。
11,主よあなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
12,わが神主よ私は心を尽くしてあなたに感謝しとこしえまでもあなたの御名をあがめます。
13,あなたの恵みは私の上に大きくあなたが私のたましいをよみの深みから救い出してくださるからです。
14,神よ高ぶる者どもは私に向かい立ち横暴な者の群れが私のいのちを求めます。彼らはあなたを前にしていません。
15,しかし主よあなたはあわれみ深く情け深い神。怒るのに遅く恵みとまことに富んでおられます。
16,御顔を私に向け私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与えあなたのはしための子をお救いください。
17,私にいつくしみのしるしを行ってください。そうすれば私を憎む者どもは見て恥を受けます。主よあなたが私を助け慰めてくださるからです。