のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

●出エジプト記1章「人ではなく神を恐れる信仰」

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Ex. 1:1 さて、ヤコブとともに、それぞれ自分の家族を連れてエジプトに来た、イスラエルの息子たちの名は次のとおりである。
Ex. 1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。
Ex. 1:3 イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン。
Ex. 1:4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。
Ex. 1:5 ヤコブの腰から生まれ出た者の総数は七十名であった。ヨセフはすでにエジプトにいた。
Ex. 1:6 それから、ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。
Ex. 1:7 イスラエルの子らは多くの子を生んで、群れ広がり、増えて非常に強くなった。こうしてその地は彼らで満ちた。
Ex. 1:8 やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。

Ex. 1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。
Ex. 1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」
Ex. 1:11 そこで、彼らを重い労役で苦しめようと、彼らの上に役務の監督を任命した。また、ファラオのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
Ex. 1:12 しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。
Ex. 1:13 それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、
Ex. 1:14 漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。
Ex. 1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。
Ex. 1:16 彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」
Ex. 1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。
Ex. 1:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」

Ex. 1:19 助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
Ex. 1:20 神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。
Ex. 1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。
Ex. 1:22 ファラオは自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」

 

 新しい2019年が始まりました。今年はどんな年になるでしょう。平成が終わる、一つの時代が終わり、また一つの時代が始まるとも言えます。さて私たち自身は何が変わるでしょう。

 ヤコブの12人の子どもたちからイスラエル民族は爆発的に増えていきました。まだエジプトに移住したままでしたが、その存在力は強くなっていきました。それはかつてアブラハムに主が約束された祝福の一つのかたちでもありました。

 しかし、その祝福をエジプトのファラオは喜ばず、ファラオの目には、自分たちの国を脅かす集団のようにしか映りませんでした。そこでファラオはお触れを出します。

Ex. 1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。
Ex. 1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」
Ex. 1:11 そこで、彼らを重い労役で苦しめようと、彼らの上に役務の監督を任命した。また、ファラオのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。

 ここでイスラエル人たちの増え方に脅威を覚えるのは理解できます。外国人が現地の人たちに匹敵するくらいの人数になってくると、国が乗っ取られる可能性が出てきます。人が増えればその発言力が生まれ、多数決では敵わなくなってくることも考えられます。

 ファラオはイスラエル人たちに重い労役で苦しめて、彼らの力を弱めようとしました。また、イスラエル人の助産婦たちに、イスラエル人の子どもが生まれたときに、もし男の子なら殺すように命令したのです。

Ex. 1:16 彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」

 しかし、イスラエル助産婦たちはファラオではなくイスラエルの神である主を恐れ、子どもたちを殺すことはなく、むしろ生かして、そのいのちを守ったのです。彼女たちの心の中心にはいつも神への恐れがあった。その信仰が彼女たちの歩み、生き方を突き動かし、同胞のいのちを救ったのです。もし、その行為がファラオの指摘を受ければ助産婦たちが殺される危険がありました。

 しかし、助産婦たちはファラオよりも、自分たちをつくり、いのちを与え、日々みことばをもって支え守ってくださる主を第一としたのです。

 その結果どういうことが起こったでしょうか。それは彼女たちに対する主の祝福です。そればかりでなく、益々イスラエル人たちを祝福し、その数を増えさせて、アブラハムへの祝福の約束を果たされたのでした。

Ex. 1:20 神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。
Ex. 1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。

 今日、この彼女たちの信仰に学びたいと思います。私たちの世界は移り行くもの、変わり行くものです。その価値観も変化し、私たち自身もその中で翻弄されます。しかし、そのような中で、その変わり行くものにカメレオンのように変化を合わせていくことが、果たして良いと言えるでしょうか。

 私たちの世界は、その川の流れのようにうねりとなって、私たちの意思にも働いて、大きな流れに任せるようになります。それは、そうすることが楽だし、平和に思えるからです。多くの人とも争わず、とりあえず和んでいられるからです。

  しかし、もしイスラエル助産婦たちがファラオが命じた当時のエジプトの体制派を優先していたらどうなっていたでしょうか。当時の流れに任せて、悪いとわかってても、まわりに波風立たせないことを優先してたらどうなったでしょう。

 間違いなく生まれたばかりの赤ちゃんたちは殺されたでしょう。それは、どういう意味でしょうか。そのイスラエル人たちの中に将来救い主を生み出す人も含まれますから、救い主を送ろうとする主の救いのご計画をも妨害することでもあるのです。

 しかし、助産婦たちは当時の体制派の動きに、その川の流れに任せず、信仰によって神を恐れ、神の御心を優先することを選んだのです。

 私たちもこの信仰を学びたいと思います。この新しい年に何をもって今進もうとしているのか。それは、ただ神を恐れ、神の御心、その御言葉に聞き、それを第一にする生き方ではないでしょうか。

 助産婦たちは、神を恐れることで自分の身にその家に祝福をもたらし、その民族であるイスラエルをも祝福に満たす役目を果たしたのです。

 2019年がはじまりました。政治も社会もどこに向っているでしょうか。どんどん、その価値観は変わり、一人ひとりが基準となり、そこに神の御心ですか人間の基準の下に置かれます。

  しかし大切なことは、神を第一にすること。神を恐れることです。

  だから私たちはその顔を主に向けていこうではありませんか。神の国とその義を第一に求めていこうではありませんか。そうすれば、その必要と主の祝福はあなただけでなく、あなたの周囲にももたらされるからです。

  その価値観に立った、主を恐れる歩みを今年もさせていただきたいと思います。

"助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。"
出エジプト1章21節

Matt. 6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。