のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎新約聖書における 「貧しい」 poorとは?

 「貧しい」 poor
1. 【新約聖書】でのpoor
① πτωχός [34] 形容詞 「貧しい」        ●語源《πτωσσω うずくまる、ちぢこまる》
(共観福音書20回、ヨハネ4回、パウロ書簡4回、ヤコブ4回、黙示録2回。)
 ※πτωχεύω[1]動詞   πτωχεία[2]名詞  

② πένης[1]形容詞 (Ⅱコリント9:9)名詞的用法「貧しい人、貧乏人」 LXX.詩篇112:9引用。
πενιχρός[1] 形容詞(ルカ21:2)「貧しい…やもめ」 ●語源《πόνος 労働、苦痛、苦しみ》

2.πτωχόςが使用されている箇所から「貧しい」を考える。
① 福音書における「貧しい」
   福音書においては、山上の説教のマタイ5:3「心の貧しい者は幸いです。」から始まる。しかし、時系列的に見るならば、ルカ4:18「ナザレの会堂」における主イエスによるイザヤ書の朗読が最初に来ると考えられる。つまり「貧しい人々に福音を伝える」メシアであるご自身をまず旧約聖書から明らかにし、宣言されたということができる。
   ここで使われている「貧しい」は、第一義的には文字通りの生活困窮者であると言える。特にルカ6:20「平地の説教」においては「山上の説教」にある「心の」が使われず、直接的に生活困窮者のことを指していると思われる。しかし、ギリシャ語で「貧しい」を表わす単語が二つある中で、πτωχόςが使用されているのはなぜだろうか。
   πτωχόςの語源は、うずくまる、ちぢこまる(πτωσσω)である(1)。一方、πένηςにおいてはⅡコリント9:9でしか使われておらず、πενιχρόςもルカ21:2(貧しいやもめ)にしか使用されていない。ただし、πένηςもπενιχρόςも語源がπόνος(労働・苦痛)であることにより、「うずくまる、ちぢこまる」が「労働・苦痛」の結果もたらされる状態を表わしていることから、πτωχόςの方が「貧しさ」のレベルが重いことがわかる。バークレーによると、「πένηςは、豊かに暮らしている人の反対側の人々を単純に指している。…πτωχόςは、本当に餓死する危険が内在している情けない貧乏を言う」と解説されている(2)。
   野上綾男師が釜ヶ崎の生活困窮者について、貧しさの極限状態にある人たちにとって、お金は問題解決の手段にならないと語られたことを思い出す。単なる経済的困窮者であれば、お金があれば生活を軌道に乗せて、生活の安定につなげていけるかも知れないが、そこに社会的、民族的な傷が加われば、その傷は簡単には癒せないということだろう。
   そのような貧困の現実を鑑みれば、ここで言う第一義的な「貧しい」とは、手の施しようもなく落ちぶれた状態。その困窮ぶりが生命に関わるほどの窮まった、お金では解決できない状態であると言うことができる。そういう意味で、ルカの福音書に見られる「平地での説教」での「貧しい者」に語られた主イエスの言葉は、非常に強い慰めと励ましに満ちた革命的なメッセージが込められていることがわかる。
さらに、ここに「心の(πνεύματι)」が入ると更にその意味が変ってくる。直訳すれば「霊的に」という意味であるから、ここでの「心の貧しい者」とは経済的、社会的貧困ではなく、霊において苦しみ、うずくまっている状態ということになる。それは、言うなれば神から遠ざかって苦しみ、行き場を失っている人すべてということはないだろうか。それが神との断絶まで含んでいるとしたら、それはもう人間の力ではどうすることもできない。
だからこそ、そこに神の御子が立っておられる。だからこそ、キリストがその貧しさを自ら負い、十字架にかかって死んでくださった。その贖いの業が「心の貧しき者」を天の御国に近づけたのである。あとは、その救いを用意された神の前に、そのままの自分を認めて、その救いを受け取るだけである。それが福音である。
この箇所の解釈は新聖書注解では、「富の多少ではなく、自分の心の破産状態を知って神により頼む者」という意味があると言われている(3)。W・バークレーも「絶望的なほどの窮乏を自覚し、神においてのみ、その窮乏が満たされることを心から確信している人は幸いである」と言っている(2)。
  ⇒ヤコブ2:5「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
 
 ② キリストのへりくだりを表わす「貧しい」…Ⅱコリント8:9
  「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
   ここでも、主イエスが実際に金持ちだったか貧乏だったかという話ではなく、ピリピ2:6~8にあるように、主は神としての栄光のお立ち場を捨てて、仕える者の姿をとって来られたという意味であると言える。つまり、へりくだられたということである。

 ③ 「貧しい」と訳されていない唯一の箇所…ガラテヤ4:9
  「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」NIV「weak and miserable…」(弱くて惨めな)、新共同訳「無力で頼りにならない」⇒役に立たない、どうしようもない最低な状態を意味していると思われる。
 
④ 黙示録で解き明かされる「貧しい」の意味の深さ
 Rev.3:17「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」
 ⇒ただ貧乏だというよりも、みじめ、哀れ、盲目、裸といっしょに使うことにより、価値のない者を強調している。これまで見て来た新約聖書の「貧しい」πτωχός=poorの使用状況から、ここで使用されている「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」とは、すべて「貧しい」に置き換えることができる言葉であると言うことができる。
 
 ⑤ マタイの福音書における「貧しい」で繋がるエピソードの連続性
  Matt5:3~Matt11:5~Matt19:21~Matt26:9~Matt26:11
  前述したように、主イエスのメッセージは革命的であった。それは「貧しい者」が天の御国に入る
 という、当時の常識を根底から覆すことであったからである。バプテスマのヨハネはヘロデに捕えら
れたとき、イエスが本当にメシアなのか、弟子を通してその真意をイエスに尋ねた。答えは「貧しい
者たちに福音が伝えられている」ことがその証拠であった。それでは、その貧しい者とはだれなのか。
そこに現れた金持ちの青年は、自らを完璧だと思いつつも確信がないため、永遠のいのちを得てい
 ると主イエスからのお墨付きを期待した。しかし、彼はイエスよりも高い場所に自分を置いていることに気がつかず、全財産を手放すチャレンジに悲しみながら去ってしまった。そのあと、ナルドの香油の事件があり、ベタニヤのマリアの行為に憤慨する弟子たち。しかし主は、彼女の行為を喜ばれた。それは主への油注ぎであり、そのために聖別して、主への愛を具体的に表わしたからである。「貧しい人たちに施しができたのに」という弟子たちの言葉は、そのまま自らに返って来る。その言葉には貧しい人たちに対する愛はなく、また主に捧げようとするマリアのような主への愛もなかったが、主にいのちをかけているという自信があった。しかし、十字架を目の当たりにして、その自身は打ち砕かれた。ペテロは復活の主に三度も「わたしを愛するか。」(ヨハネ21:15)と問われ心を痛める。
彼らは体験をもって自分の貧しさを知った。そこで真の油である聖霊の注ぎを受けることになる。

 

Πτωχός  poor  「貧しい」>πτωσσω うずくまる、ちぢこまる

Matt. 5:3 ¶ Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι· ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」
「心の貧しい者は幸い。天の御国はその人のものだから。」
Matt. 11:5 τυφλοὶ ἀναβλέπουσι, καὶ χωλοὶ περιπατοῦσι, λεπροὶ καθαρίζονται, καὶ κωφοὶ ἀκούουσιν, νεκροὶ ἐγείρονται, καὶ πτωχοὶ εὐαγγελίζονται·
「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」
「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。」
Matt. 19:21 ἔφη αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς· Εἰ θέλεις τέλειος εἶναι, ὕπαγε πώλησόν σου τὰ ὑπάρχοντα καὶ δὸς πτωχοῖς, καὶ ἕξεις θησαυρὸν ἐν οὐρανῷ· καὶ δεῦρο, ἀκολούθει μοι.
「 イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」
「イエスは、彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」
Matt. 26:9 ἠδύνατο γὰρ τοῦτο τὸ μύρον πραθῆναι πολλοῦ, καὶ δοθῆναι πτωχοῖς.
「高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」
「この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
Matt. 26:11 πάντοτε γὰρ τοὺς πτωχοὺς ἔχετε μεθ᾿ ἑαυτῶν, ἐμὲ δὲ οὐ πάντοτε ἔχετε.
「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。」
Mark 10:21 ὁ δὲ Ἰησοῦς ἐμβλέψας αὐτῷ ἠγάπησεν αὐτόν, καὶ εἶπεν αὐτῷ, Ἕν σοι ὑστερεῖ·
ὕπαγε, ὅσα ἔχεις πώλησον, καὶ δὸς τοῖς πτωχοῖς, καὶ ἕξεις θησαυρὸν ἐν οὐρανῷ· καὶ δεῦρο, ἀκολούθει μοι, ἄρας τὸν σταυρόν.
「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」
「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。『あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」

Mark 12:42 καὶ ἐλθοῦσα μία χήρα πτωχὴ ἔβαλε λεπτὰ δύο, ὅ ἐστι κοδράντης.
「ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。」
「そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。」
Mark 12:43 καὶ προσκαλεσάμενος τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ, λέγει αὐτοῖς, Ἀμὴν λέγω ὑμῖν ὅτι ἡ χήρα αὕτη ἡ πτωχὴ πλεῖον πάντων βέβληκε τῶν βαλόντων εἰς τὸ γαζοφυλάκιον·
「イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。』」
「すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。』」
Mark 14:5 ἠδύνατο γὰρ τοῦτο πραθῆναι ἐπάνω τριακοσίων δηναρίων, καὶ δοθῆναι τοῖς πτωχοῖς. καὶ ἐνεβριμῶντο αὐτῇ.
「『この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。』そして、彼女を厳しくとがめた。」
「『この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。』そうして、その女をきびしく責めた。」
Mark 14:7 πάντοτε γὰρ τοὺς πτωχοὺς ἔχετε μεθ᾿ ἑαυτῶν, καὶ ὅταν θέλητε δύνασθε αὐτοὺς εὖ ποιῆσαι· ἐμὲ δὲ οὐ πάντοτε ἔχετε.
「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。」
Luke 4:18 Πνεῦμα Κυρίου ἐπ᾿ ἐμέ, οὗ ἕνεκεν ἔχρισέ με εὐαγγελίζεσθαι πτωχοῖς· ἀπέσταλκέ με ἰάσασθαι τοὺς συντετριμμένους τὴν καρδίαν· κηρύξαι αἰχμαλώτοις ἄφεσιν, καὶ τυφλοῖς ἀνάβλεψιν, ἀποστεῖλαι τεθραυσμένους ἐν ἀφέσει,
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、」
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、」
Luke 6:20 ¶ Καὶ αὐτὸς ἐπάρας τοὺς ὀφθαλμοὺς αὐτοῦ εἰς τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ ἔλεγε, Μακάριοι οἱ πτωχοί, ὅτι ὑμετέρα ἐστὶν ἡ βασιλεία τοῦ Θεοῦ.
「さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。』」
「イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。『貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。』」
Luke 7:22 καὶ ἀποκριθεὶς ὁ Ἰησοῦς εἶπεν αὐτοῖς, Πορευθέντες ἀπαγγείλατε Ἰωάννῃ ἃ εἴδετε καὶ ἠκούσατε· ὅτι τυφλοὶ ἀναβλέπουσι χωλοὶ περιπατοῦσι, λεπροὶ καθαρίζονται, κωφοὶ ἀκούουσι, νεκροὶ ἐγείρονται, πτωχοὶ εὐαγγελίζονται·
「それで、二人にこうお答えになった。『行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。』」
「そして、答えてこう言われた。『あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。』」
Luke 14:13 ἀλλ᾿ ὅταν ποιῇς δοχήν, κάλει πτωχούς, ἀναπήρους, χωλούς, τυφλούς·
「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。」
「祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい人、不具の人、足なえ、盲人たちを招きなさい。」
Luke 14:21 καὶ παραγενόμενος ὁ δοῦλος ἐκεῖνος ἀπήγγειλε τῷ Κυρίῳ αὐτοῦ ταῦτα. τότε ὀργισθεὶς ὁ οἰκοδεσπότης εἶπε τῷ δούλῳ αὐτοῦ, Ἔξελθε ταχέως εἰς τὰς πλατείας καὶ ῥύμας τῆς πόλεως, καὶ τοὺς πτωχοὺς καὶ ἀναπήρους καὶ χωλοὺς καὶ τυφλοὺς εἰσάγαγε ὧδε.
「僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』」
「しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や、盲人や、足なえをここに連れて来なさい。』」
Luke 16:20 πτωχὸς δέ τις ἦν ὀνόματι Λάζαρος, ὃς ἐβέβλητο πρὸς τὸν πυλῶνα αὐτοῦ ἡλκωμένος
「この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、」
「ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、」
Luke 16:22 ἐγένετο δὲ ἀποθανεῖν τὸν πτωχόν, καὶ ἀπενεχθῆναι αὐτὸν ὑπὸ τῶν ἀγγέλων εἰς τὸν κόλπον τοῦ Ἀβραάμ· ἀπέθανε δὲ καὶ ὁ πλούσιος, καὶ ἐτάφη.
「やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。」
「さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。」
Luke 18:22 ἀκούσας δὲ ταῦτα ὁ Ἰησοῦς εἶπεν αὐτῷ, Ἔτι ἕν σοι λείπει· πάντα ὅσα ἔχεις πώλησον, καὶ διάδος πτωχοῖς, καὶ ἕξεις θησαυρὸν ἐν οὐρανῷ· καὶ δεῦρο, ἀκολούθει μοι.
「これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』」
「イエスはこれを聞いて、その人に言われた。『あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」
Luke 19:8 σταθεὶς δὲ Ζακχαῖος εἶπε πρὸς τὸν Κύριον, Ἰδού. τὰ ἡμίση τῶν ὑπαρχόντων μου, Κύριε, δίδωμι τοῖς πτωχοῖς· καὶ εἴ τινός τι ἐσυκοφάντησα, ἀποδίδωμι τετραπλοῦν.
「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」
「ところがザアカイは立って、主に言った。『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。』」
Luke 21:3 καὶ εἶπεν, Ἀληθῶς λέγω ὑμῖν, ὅτι ἡ χήρα ἡ πτωχὴ αὕτη πλεῖον πάντων ἔβαλεν·
「言われた。『確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。』」
「それでイエスは言われた。『わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。』」
John 12:5 Διατί τοῦτο τὸ μύρον οὐκ ἐπράθη τριακοσίων δηναρίων, καὶ ἐδόθη πτωχοῖς;
「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
John 12:6 εἶπε δὲ τοῦτο, οὐχ ὅτι περὶ τῶν πτωχῶν ἔμελεν αὐτῷ, ἀλλὰ ὅτι κλέπτης ἦν, καὶ τὸ γλωσσόκομον εἶχε, καὶ τὰ βαλλόμενα ἐβάσταζεν.
「彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」
「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。」
John 12:8 τοὺς πτωχοὺς γὰρ πάντοτε ἔχετε μεθ᾿ ἑαυτῶν, ἐμὲ δὲ οὐ πάντοτε ἔχετε.
「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
「あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」
John 13:29 τινὲς γὰρ ἐδόκουν, ἐπεὶ τὸ γλωσσόκομον εἶχεν ὁ Ἰούδας, ὅτι λέγει αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς, Ἀγόρασον ὧν χρείαν ἔχομεν εἰς τὴν ἑορτήν· ἢ τοῖς πτωχοῖς ἵνα τι δῷ.
「ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、『祭りに必要な物を買いなさい』とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。」
「ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、『祭りのために入用の物を買え。』と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。」
Rom. 15:26 εὐδόκησαν γὰρ Μακεδονία καὶ Ἀχαΐα κοινωνίαν τινὰ ποιήσασθαι εἰς τοὺς πτωχοὺς τῶν ἁγίων τῶν ἐν Ἱερουσαλήμ.
マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。」
「それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。」
2Cor. 6:10 ὡς λυπούμενοι, ἀεὶ δὲ χαίροντες· ὡς πτωχοί, πολλοὺς δὲ πλουτίζοντες· ὡς μηδὲν ἔχοντες, καὶ πάντα κατέχοντες.
「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」
「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」
Gal. 2:10 μόνον τῶν πτωχῶν ἵνα μνημονεύωμεν, ὃ καὶ ἐσπούδασα αὐτὸ τοῦτο ποιῆσαι.
「ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。」
「 ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。」
Gal. 4:9 νῦν δέ, γνόντες Θεόν, μᾶλλον δὲ γνωσθέντες ὑπὸ Θεοῦ, πῶς ἐπιστρέφετε πάλιν ἐπὶ τὰ ἀσθενῆ καὶ πτωχὰ στοιχεῖα, οἷς πάλιν ἄνωθεν δουλεύειν θέλετε;
「しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。」
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」
James 2:2 ἐὰν γὰρ εἰσέλθῃ εἰς τὴν συναγωγὴν ὑμῶν ἀνὴρ χρυσοδακτύλιος ἐν ἐσθῆτι λαμπρᾷ, εἰσέλθῃ δὲ καὶ πτωχὸς ἐν ῥυπαρᾷ ἐσθῆτι,
「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。」
「あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、立派な服装をした人がはいって来、またみすぼらしい服装をした貧しい人もはいって来たとします。」
James 2:3 καὶ ἐπιβλέψητε ἐπὶ τὸν φοροῦντα τὴν ἐσθῆτα τὴν λαμπράν, καὶ εἴπητε αὐτῷ, Σὺ κάθου ὧδε καλῶς, καὶ τῷ πτωχῷ εἴπητε, Σὺ στῆθι ἐκεῖ, ἢ κάθου ὧδε ὑπὸ τὸ ὑποπόδιόν μου·
「その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、」
「あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、「あなたは、こちらの良い席におすわりなさい。」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、」
James 2:5 ἀκούσατε, ἀδελφοί μου ἀγαπητοί. οὐχ ὁ Θεὸς ἐξελέξατο τοὺς πτωχοὺς τοῦ κόσμου τούτου, πλουσίους ἐν πίστει, καὶ κληρονόμους τῆς βασιλείας ἧς ἐπηγγείλατο τοῖς ἀγαπῶσιν αὐτόν;
「わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。」
「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
James 2:6 ὑμεῖς δὲ ἠτιμάσατε τὸν πτωχόν. οὐχ οἱ πλούσιοι καταδυναστεύουσιν ὑμῶν, καὶ αὐτοὶ ἕλκουσιν ὑμᾶς εἰς κριτήρια;
「だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。」
「それなのに、あなたがたは貧しい人を軽蔑したのです。あなたがたをしいたげるのは富んだ人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。」
Rev. 3:17 ὅτι λέγεις ὅτι Πλούσιός εἰμι, καὶ πεπλούτηκα, καὶ οὐδενὸς χρείαν ἔχω, καὶ οὐκ οἶδας ὅτι σὺ εἶ ὁ ταλαίπωρος καὶ ἐλεεινὸς καὶ πτωχὸς καὶ τυφλὸς καὶ γυμνός·
「あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」
Rev. 13:16 καὶ ποιεῖ πάντας, τοὺς μικροὺς καὶ τοὺς μεγάλους, καὶ τοὺς πλουσίους καὶ τοὺς πτωχούς, καὶ τοὺς ἐλευθέρους καὶ τοὺς δούλους, ἵνα δώσῃ αὐτοῖς χάραγμα ἐπὶ τῆς χειρὸς αὐτῶν τῆς δεξιᾶς, ἢ ἐπὶ τῶν μετώπων αὐτῶν,
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。」
「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。」