のりさん牧師のブログ

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◎受難節 第24日 火曜日

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(映画"Passion"より)

 

サムエル記 第一
1章
1,エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人の一人で、その名をエルカナという人がいた。この人はエロハムの子で、エロハムはエリフの子、エリフはトフの子、トフはエフライム人ツフの子であった。
2,エルカナには二人の妻がいた。一人の名はハンナといい、もう一人の名はペニンナといった。ペニンナには子がいたが、ハンナには子がいなかった。
3,この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の主を礼拝し、いけにえを献げることにしていた。そこでは、エリの二人の息子、ホフニとピネハスが主の祭司をしていた。
4,そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、
5,ハンナには特別の受ける分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。
6,また、彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。
7,そのようなことが毎年行われ、ハンナが主の家に上って行くたびに、ペニンナは彼女の怒りをかき立てるのだった。こういうわけで、ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。
8,夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」
9,シロでの飲食が終わった後、ハンナは立ち上がった。ちょうどそのとき、祭司エリは主の神殿の門柱のそばで、椅子に座っていた。
10,ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。
11,そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」
12,ハンナが主の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。
13,ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。
14,エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
15,ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。
16,このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」
17,エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
18,彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。
19,彼らは翌朝早く起きて、主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家に帰って来た。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。
20,年が改まって、ハンナは身ごもって男の子を産んだ。そして「私がこの子を主にお願いしたのだから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。
21,夫のエルカナは、年ごとのいけにえを主に献げ、自分の誓願を果たすために、家族そろって上って行こうとした。
22,しかしハンナは、夫に「この子が乳離れして、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝して、いつまでもそこにとどまるようになるまでは」と言って、上って行かなかった。
23,夫のエルカナは彼女に言った。「あなたが良いと思うようにしなさい。この子が乳離れするまでとどまりなさい。ただ、主がそのおことばを実現してくださるように。」こうしてハンナはとどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。
24,その子が乳離れしたとき、彼女は子牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行った。その子はまだ幼かった。
25,彼らは子牛を屠り、その子をエリのところに連れて行った。
26,ハンナは言った。「ああ、祭司様。あなたは生きておられます。祭司様。私はかつて、ここであなたのそばに立って、主に祈った女です。
27,この子のことを、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。
28,それで私もまた、この子を主におゆだねいたします。この子は一生涯、主にゆだねられたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。

 

 

不妊の女ハンナは、祭司エリに答えました。

「15,ハンナは答えた。『いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。』」

 

 ハンナは「主の前に心を注ぎ出して」祈ったとあります。そして、自分のそのままを祭司エリに伝えたのです。

  神の前に自らを整え、正装し、最高の姿勢で礼拝することは大切なことです。しかし、自分の本当の姿を隠して、信仰深そうに装って礼拝することは、神の前において偽善であるでしょう。

  主イエスは、当時のユダヤ人指導者たちの信仰の姿勢を厳しく非難しました。それは、神の前に、まさに自分自身をよく見せるという立ち方だったからです。

  神は、私たちがいくら信仰深そうに振舞っても、全てをお見通しです。そうであるなら尚更、神の前における礼拝は、その心の中を裸にすることが何より大切なのです。

"神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。"
ヘブル人への手紙 4章13節

  ハンナは、苦しみの中にある自分自身を全知全能の神である「主」の前に、そのまま注ぎ出したのです。この祈りはゲツセマネで祈られた主イエスに通じる祈りでもあります。

  主イエスは、「この杯をわたしから取り除けてください」と祈りました。汗が血のしたたりのように、ドボドボと流れ落ちるほどに、心を注ぎ出して天の父に祈られたのです。しかし、御心がなるようにと祈られ、十字架への道に立たれたのでした。

  ハンナの夫、エルカナは妻の信仰を見てこう言います。

「あなたの良いと思うようにしなさい。…ただ、「主」のおことばのとおりになるように。」

  今日のあなたの歩みにおいても、今、まずあなたの心を主の前に注ぎ出して、あなたの思い全てを神に聞いていただきましょう。どんな苦しみの中にも、その全ての苦しみを通ってくださった主イエスが立っておられます。この主を仰ぐとき、その思い全てが、神の御心のままを願う平安へと導かれるのです。

 

【祈り】

ニコラス・ルードリッヒ・ツィンツェンドルフ( 1700年5月26日 – 1760年5月9日)は、モラヴィア兄弟団の監督。伯爵。)

 

愛する救い主よ。

あなたの体は私のために痛めつけられ、

刺し貫かれました。

あなたはご自分の体を隅々まで苦しみに引き渡され、

また、辱めと唾に顔を隠すことをなさいませんでした。

茨の冠をかぶらせられたままでおられました。

足のつま先から頭のてっぺんまで病んでいる者を救い清めるために、

あなたは足から頭まで傷ついた者、病む者となってくださいました。

今、わたしはあなたのもとにいます。

罪人のわたしをあなたの御傷による義の中に引き入れてください。

 

〈参考文献:小泉健「十字架への道 受難節の黙想と祈り」日本キリスト教団出版局,2019年