日本メノナイト 白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

◎受難週 棕櫚の聖日

f:id:kinokunizaka66:20190413230015j:image

"その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスエルサレムに来られると聞いて、
なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
エスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。"
ヨハネ福音書 12章12~16節

 イエスイスラエルの王として迎える大勢の群衆は、祭りに来ていた人々でした。それはユダヤの三大祭の一つである「過越の祭り」です。みんな熱心なユダヤ教徒で、外国に住んでいるユダヤ人だけでなく、近隣に住む割礼を受けた異邦人ユダヤ教徒もいます。

  彼らはメシアの到来を待ち望んでいるのです。そのメシアこそナザレのイエスであることを認め、旧約の預言どおりにロバの子に跨って入城するイエスを喜んで迎えたのです。

  このときは、誰もこのメシアが捕らえられて十字架に磔にされるとは思ってもいなかったでしょう。イエスとともに入城した弟子たちですら、イエスダビデのような政治的な王となることを信じていたでしょう。

  もちろん、このあとにイエスは逮捕されるのですが、このエルサレム入城は将来起こるキリストの再臨の予型(モデル)でもあることを、この棕櫚の聖日では受け取りたいと思います。

  私たちも、これから雲に乗って来られる私たちの王、真のメシアを大喜びで迎える者でありたいと思うのです。そして、そのためには全世界に福音を宣べ伝える必要があります。

  待ち望む私たちは、ただ待つのではなく、主が来られる時まで、主の福音を地の果てにまで伝える責任があるのです。

  その使命をもう一度確認しましょう。今日から始まる受難週には、もちろん主イエスの十字架への道を覚え、その苦しみに心を重ねるものです。しかし、それだけではありません。

  その苦しみは、何のための苦しみなのか。どうして主はその苦しみを耐え抜かれたのか。それを思う時、私たちはこの受難にある産みの苦しみという側面を再度あらためて確認し、だからこそ、主の王としての来臨を待ちつつ、大胆に宣教するものでありたいのです。

  ぜひ、あなたもエルサレム入城された主イエスがもう一度、新しい天のエルサレムとともに来られ、新しいエルサレムで完全な愛ときよさによるキリストのご支配を待ち望もうではありませんか。

  

"しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」"
使徒の働き 1章8節

"また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」"
ヨハネの黙示録 21章1~4節

【祈り】

キング牧師

 

われらが疲れ果てし時の神よ
われらが黙して涙する時の神よ
われらをここまで伴い来り
み力にて光に導きたまいし神よ
願わくは
われらをとこしえに守りたまえ
ああわが神よ
願わくは
われらが汝に出会いし所より
足を踏みはずさざらんことを
この世の酒に酔いしれしわが心が
汝を忘れざらんことを
願わくは
汝のみ手におおわれ
われらがとこしなえに
わが神と
わが祖国に
真実ならんことを

 

「御国が来ますように」