のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

●黙想「気前がいい神」マタイの福音書 20章1~16節

f:id:kinokunizaka66:20190705054422j:image

"天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。
彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。
彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。
そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』
彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。
また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』
彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』
夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』
そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。
彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。
『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。
あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』
このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」"

  神様の気前の良さは半端ではありません。このぶどう園の主人のように、労働者の働きに応じた報酬ではなく、どの人も同じ賃金で雇い、日没間近に雇い入れた者にもきちんと同じだけの賃金を支払うというのです。

  このたとえ話の、主人に不平を言う労働者の気持ちはよくわかります。最初に雇われた自分と遅くに雇われた人の賃金が同じだと知ると、なんだか損した思いに満たされるものです。

  しかし、主人は言います。

『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。
あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』

  主人は契約通りの支払いをしただけだと言います。何も不正をしておらず、全ての人に1日分の労賃を払うという、もともとの主人のコンセプトはぶれていないのです。むしろ、労働者の方がぶれているのです。それは、自分がもらう分で感謝できずに他の人との比較をしてしまったからでした。

  しかし、そもそも、この人たちは何もしないで立っていた人たちです。他の仕事をしていたところから引き抜かれたのではありません。何もしないで、仕事もせずにいたところを主人に声をかけられて、このぶどう園で働かせてもらい稼ぐことができたのです。それは報酬というよりもギフトです。

  確かに働きはしました。それは1デナリ貰えるという契約があって、1デナリ貰えるという恵みに与って、その感謝のゆえに働いたはずなのです。しかし、その恵みよりも、自分の働きに立った途端に、感謝がなくなり妬みが起こる。

  これが私たちの姿です。私たちは自分の業に立ってしまいやすいものです。自分のがんばりで救いを手に入れるような自惚れが起きてくるのです。特に他のクリスチャンと比較して、頑張った者の方が祝福されるのは当たり前だと思います。

  ところがイエス様は言われます。「あなたが救われたのは、あなたの頑張りではない。わたしの気前の良さだけだ」と。それは日没間近に雇い入れた者だけでなく、「あなたに対しても気前がいいはずなのにわからないのですか」とです。

  主は気前の良い方なので、私を選び救ってくださった。私に声をかけてぶどう園で働かせてくださっている。それはやがて訪れる天の御国への永住権を約束された恵みの契約が先にあっての話です。しかも大切なのは、本来、神様に声をかけられるはずのない者がその恵みに与っている事実に感謝することです。その恵みを忘れずに喜んでぶどう園のために働くことです。

  そして、主人の気前の良さにより、同じぶどう園で働く仲間が与えられていることを大きな恵みとして、さらに感謝すべきではないでしょうか。

  それが教会であり、天の御国の前味だからです。今与えられている恵みに感謝できない人は、後に来る天の御国においても感謝できないのではないでしょうか。

  今日、あなたを選んでくださった神の気前のよさに感謝しようではありませんか。神の国というぶどう園で働かせていただける恵みに喜んで参加していこうではありませんか。

"まことにあなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです。"詩篇 84篇10節