"その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。"
このたとえ話の中でイエス様は、天のお父様の御心を教えてくださいました。
これまで愛するアブラハムの子孫たちのために、これでもかというくらい、多くの預言者たちを遣わして来た天の父ですが、ことごとく迫害され、殺されてきました。
その旧約最後のしもべであり預言者がバプテスマのヨハネでした。しかし、彼さえも当時のイスラエルを代表するヘロデによって殺されました。
そこにイエス様が遣わされたのです。このイエス様をお遣わしになったとき、天のお父様はどんなお気持ちだったのでしょうか。それが、このたとえ話で言われている主人の言葉なのです。
『私の息子なら敬ってくれるだろう』
「わたしの息子である御子キリストなら受け入れ、そのことばを聞き、信じてくれるだろう」と天のお父様はお考えになり、期待を持ってイエス様を遣わされたのだということがわかります。
この御心の深さを、今日ともに考え味わいましょう。
あなたのために、御子をさえ惜しまずに死に渡された方である天の父。実に神はそのひとり子をお与えになったほどに、あなたを愛してくださった。
その御子ならあなたは受け入れてくれるに違いないと、あなたの救いのために送ってくださったのです。
あなたは、今日、あなたのために来てくださった御子キリストを信じますか。既に信じているから関係ないという答えは間違いです。信じるとは信じ続けること。受け入れるとは受け入れ続けることです。
天のお父様は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と思われた。それは御子キリストを敬い続けてくれるだろうという意味です。
今、あなたは主イエスを敬い続けていますか。このイエス様を愛し続けていますか。
あなたの心の戸の外に追い出していませんか。都合の良いときだけ、戸を開けていませんか。しかし、主はあなたの心の戸をいつも叩き続けておられるのです。
それは、その主を送ってくださった天のお父様が、今日なら「敬ってくれるかも知れない」と思い続けてくださっているからではないでしょうか。
あなたを想う天のお父様の御心の深さ、そのご愛を思い続ける一日とされていただきたいと思います。
"わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」"
ヨハネの福音書 6章40節