のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎「心を盗む」 サムエル記 第二 15章1~18節

f:id:kinokunizaka66:20190824080239j:image

"その後、アブサロムは自分のために戦車と馬、そして自分の前に走る者五十人を手に入れた。
アブサロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者がいると、アブサロムは、その一人ひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、
アブサロムは彼に、「聞きなさい。あなたの訴えは良いし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」と言っていた。
さらにアブサロムは、「だれか私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか。訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。
人が彼に近づいてひれ伏そうとすると、彼は手を伸ばし、その人を抱いて口づけしていた。
アブサロムは、さばきのために王のところにやって来る、すべてのイスラエルの人にこのようにした。アブサロムはイスラエルの人々の心を盗んだ。
四年たって、アブサロムは王に言った。「私が主に立てた誓願を果たすために、どうか私をヘブロンに行かせてください。
このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし主が私を本当にエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は主に仕えます』と言って誓願を立てたのです。」
王は言った。「安心して行って来なさい。」彼は立って、ヘブロンに行った。
アブサロムはイスラエルの全部族に、ひそかに人を遣わして言った。「角笛が鳴るのを聞いたら、『アブサロムがヘブロンで王になった』と言いなさい。」
アブサロムとともに、二百人の人々がエルサレムを出て行った。その人たちは、ただ単に招かれて行った者たちで、何も知らなかった。
アブサロムは、いけにえを献げている間に、人を遣わして、ダビデの助言者ギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反は強く、アブサロムにくみする民が多くなった。
ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエルの人々の心はアブサロムになびいています」と言った。
ダビデは、自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブサロムから逃れる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの都を討つといけないから。」
王の家来たちは王に言った。「ご覧ください。私たち、あなたのしもべどもは、王様の選ばれるままにいたします。」
王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。しかし王は、王宮の留守番に十人の側女を残した。
王と、王に従うすべての民は、出て行って町外れの家にとどまった。
王のすべての家来は王の傍らを進み、すべてのクレタ人と、すべてのペレテ人、そしてガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。"

   アブサロムのクーデターは、単なる軍事クーデターではありませんでした。国民に、父ダビデに対する不満を持たせて、自分の方に心をなびかせることから始まりました。そのことを聖書は、「心を盗んだ」と証言します。

  かつてピンクレディが歌っていたウォンテッドでも、「盗んだ心返せ〜」とありました。「私の胸の鍵を壊して逃げて行った。あいつはどこへいるのか....。」

  この歌を参考にすると、人の心を盗むときには、同時にその心の鍵を壊しているということもできます。

  では、その盗まれた心は、どのように返せるのか。また、壊された心の鍵は、どのように直されるのか。ここが今後の課題になるでしょう。

  ところがアブサロムの場合は、民衆の心を盗むときに、心の鍵を壊して強奪したというよりも、相手に鍵を開けさせて、相手の方から心がなびくように、上手に開けていることがわかります。

  最近観ていたテレビ番組で、鍵もなく暗証番号も不明となった古い開かずの金庫を、プロの鍵師のような人が開けるというのがありました。

  その鍵師も、開かない金庫をドリルとか工具で鍵を壊すのではなく、きちんとダイヤルを回しながら音を聞き分け、ダイヤルの回す感触を確かめつつ、何時間もかけて壊さずに開けたのです。

  つまり人の心を鍵を壊さずに開けるのも、時間をある程度かけなければならないということです。

  アブサロムは、そのために少し時間をかけて、丁寧に相手自身が自分に心の戸を開くのを待ちつつ、優しく寄り添ったのでしょう。

  アブサロムは、そのようにして4年の歳月をかけて、ようやく事を起こします。その策略によりダビデはこれからエルサレムを追われて都落ちします。昔サウルに追われたように、今度は自分の息子に追われて、ユダの荒野へ下るのでした。

  サタンも私たちの心が主イエスから離れるように時間をかけて誘惑してきます。サタンの誘惑は巧妙で絶妙です。そのことは認めなければなりません。アブサロムがクーデターを起こすのにそうしたように、サタンも力づくで強引なことはしません。むしろ隣人のように寄り添い、神よりも主イエスよりも、自分に従う方が楽だし得だという思いにさせるのです。

   今日、あなたの心の鍵は大丈夫でしょうか。敵はその鍵を強引に開けようとはしません。私たちが心を許し、自ら開けることを願いながら、あの手この手で誘惑をしかけてくるでしょう。

  しかし、もしあなたがあなたの王を思い、真剣にあなたの王として来られたキリストを愛しているなら、その心はキリストの支配に満たされます。

  民衆は、アブサロムの言葉にまんまと乗せられて、ダビデ王への不信感を煽られて心をアブサロムに預けてしまいました。そして、ダビデを都から追い出してしまいます。でも、私たちはそうであってはいけません。

  主イエスがあなたを愛し、あなたのために命を捨ててくださったことを忘れてはならないのです。

  私たちの心は常に、この主にだけ向けられなければなりません。

  今日、キリストをもう一度あなたの王として、お迎えしましょう。悪いものに支配されないように、あなたを愛しあなたのために血を流された真の主をあなたの心にお迎えしましょう。

 

"群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」"
マタイの福音書 21章9節