日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

●葬儀説教 「あなたの創造者を覚えよ」伝道者の書12章1〜14節

f:id:kinokunizaka66:20190911003247j:image

12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

12:2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。

12:3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

12:4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

12:5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。

12:6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。

12:7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

12:9 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。

12:10 伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。

12:11 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。

12:12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

 

序論              

 今朝は、神のもとに帰られたH兄を偲びつつ、そのいのちの造り主なる神を礼拝する式であります。ご遺族の皆様に置かれましては深い悲しみの中にあることと存じますが、今一度、いのちの主である神の言葉、聖書に聴いてまいりたいと思います。

  聖書は、神が土地の塵から人をかたち造り、神がいのちの息を鼻から吹き入れて、人は生き物となったと言います。
  

1.ちりは地に帰る
 今日お読みした聖書の言葉。伝道者の書という書は、伝統的に古代イスラエル王国のダビデ王の子のソロモンが書いたと言われています。確かではありませんが、絶対にソロモンではないとも言い切れないので、本日はソロモンが書いたという前提でお話いたします。

  ソロモン王と言うのは古代イスラエル王国の中で最も栄えた王様です。イエス・キリストも「栄華を極めたソロモン」と言っているほどに、ソロモンの繁栄振りは半端ではありませんでした。
 その贅沢三昧を尽くしたソロモンが晩年に、この伝道者の書を書いたとすると、神無き人生はすべて空しいという言葉には説得力があります。でも、それはソロモンに限らず、結局はどんな人も、どんなに長生きをしたとしても、また財産を沢山蓄えても、体力は衰え、やがて死ぬのです。人間の死亡率は100%です。今日の聖書のことばは、その人間のからだが弱り果てていく様を見事に言い表しています。銀のひもは切れ・・・というところは、心臓が止まって体が朽ちていく様子が描かれています。いくら金の器のように見えるように健康で立派だったとしても、いつかは必ず、壊れ砕かれるときが来るという喩えです。
だから、今のうちに好きなことを何でもやって悔いのないように生きようという人もいます。ソロモン王もその一人でした。
 しかし、その最後は,なんの喜びもないという日が訪れるんだと聖書はいうのです。誰も死に勝てる人はいません。みんな塵になってしまうのです。

 

2.霊は神に帰る
  しかし、このソロモンは一つ気がついたことがあります。それはこの言葉です。
「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」
 確かにからだは土に戻るけれど、霊は神に帰る。それは、今生きているうちから備えておくべきことがあるということです。これはとても大切な視点です。人間の終わりは死ではありません。神の前に出て申し開きをしなければならないのです。だからこそ、伝道者は1節のことばをもって、この伝道者の書の結論として宣言します。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」
 若い日というのは、なるべく早くということです。それは明日ではなく今日という意味です。つまりすぐにでも、あなたを造られた神様を覚えよう。信じよう。神様の存在、その大きさ、素晴らしさに気づこうということです。あなたを形づくり、あなたにいのちの息を吹き入れて生きる者とされたお方に信頼し、このお方の愛の中で生かされるとき、今、まだ、この地上にあるうちから天国の喜びに満たされる歩みがあるからです。
 ですから、この地上での命があるうちに、神に立ち返ること、この神様を信じて歩むことこそ、私たちにとって何よりも心強い、どんな苦難にあってもたとえ死んでも神がともにある、天国が保障された人生なのです。
 そのためにキリストは、目に見える人間の姿でこの地上に来てくださり、私たちの罪、そして人生の重荷をすべて引き受けて十字架で死んでくださったのです。このキリストこそ私たちを神のもとに引き上げてくださる救い主です。このキリストを信じるとき、どんな境遇の中にある人も神の子どもにしていただけるのです。死んだ後に神の前に出るとき、神の子どもとして迎えられるのです。それは祝福のときです。それは本当の安らぎのときです。
  H兄は、そのキリストを23歳のときに信じ洗礼を受け、神の子どもとされました。だから、そのからだは倒れても、H兄ご自身は天に凱旋されたのです。それは一時の別れと言う寂しさはありますが、もう一度H兄に会える希望があることも同時に覚えたいと思います。そのとき、きっとまた手を取り合って、互いに主の前で涙を拭っていただきながら、悲しみの涙が喜びの涙に変わることを現実のこととして味わうことができるのです。

 

結論
 ですから、今日、お読みしたこの1節のみことばはHさんからのメッセージでもあると思うのです。今、恵み深い天の父なる神の前で、Hさんは安らぎつつ、81年の人生を振り返り、「あなたの若い日にあなたの創造者をおぼえなさい」と仰っているのではないでしょうか。そして、また天国で会って、お話しましょう。歌を歌いましょう。いっしょに神の国で礼拝しましょうと待っておられると思うのです。
 この葬儀式は、Hさんとの別れを確認する場ではありません。Hさんと再び会うための約束の場であります。神様がそのように備えてくださったと信じます。私たちもHさんのように「あなたの若い日に」神を覚え、イエス・キリストを信じて神の子どもとなって、今度は神様の前でHさんと再会しようではありませんか。

 

祈り

 恵み深い父なる神様。今御前にH兄が、この世の旅路を終えて、あなたのみもとに召されました。私たちは、あなたのご支配と摂理とを信じ、ただ、深い御旨をかしこむ者です。H兄は、今、御前で主の栄光に仕え、御名をほめたたえておられることを信じます。願わくは、愛する者と相分かれて悲しみと痛みをもつご遺族の上に、あなたの豊かな慰めを与えてください。また、人には一度死ななければならない定めのあることを厳かな事実として受け止め、救い主イエス・キリストを信じて、主の恵みの中を歩む者としてください。私たちもこの世を去ったとき、永遠の御国において、聖徒たちの交わりに連なるものとしてください。ご慈愛に富んでおられるあなたの御名をあがめ、救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。