のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎ イザヤ書 40章1~11節「慰めよ、慰めよ」

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"「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」
荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
このようにして主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに主の御口が語られる。」
「叫べ」と言う者の声がする。「何と叫びましょうか」と人は言う。「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。
主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
シオンに良い知らせを伝える者よ、高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」
見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。
主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。"

主は「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」と語られます。イスラエルの苦難は元々は自業自得でした。しかし、主は羊飼いのように民を慈しみ、もう一度、主の牧場の羊として励まし、力を与えます。何よりも主の牧場の新しい牧草で養われるのです。

 その牧草とは、主のみことばです。主は苦難を通って罪を悔い改め、主の憐みにすがる民を顧みて、ご自身の栄光で照らされます。そのとき、民は主のみことばによって生きるのです。

 

"このようにして主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに主の御口が語られる。」"
イザヤ書 40章5節


"草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」"
イザヤ書 40章8節


"主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。"
イザヤ書 40章11節


使徒ペテロも、イザヤの預言を引用しています。

"「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。"
ペテロの手紙 第一 1章24~25節
"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"
ペテロの手紙 第一 2章1~2節


 大切なことは、主のみことばを慕い求めること。そして、そのみことばの乳によって成長し、すでに得ている救いを達成することです。主はみことばの乳を慕い求める者を決して見捨てません。

 今日、あなたのことを主はみことばをもって「慰めよ、慰めよ」と憐んでくださり、その苦難から立ち上がらせようとしておられるのです。私たちにできることは何でしょうか。

 それは、愛する主のみことばを慕い求めて、そのみことばの乳をしっかりといただき成長することです。

 あなたは、主のみことばによって慰められ生かされるのです。神の招きに応えてまいりましょう。