のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

●2019年12月24日 イブ礼拝 

説教題「クリスマスの主役はイエス・キリスト
聖書 マタイ2:9~11

 
 すっかりサンタクロースばかりのクリスマスが街には溢れていますが、クリスマスの主役はイエス・キリストです。

 

 イエス様がお生まれになったころ、東の国の博士(学者)たちは空に輝く不思議な明るい星を見つけました。「何だろう。あの星は。」博士たちは、いろいろ調べて「ユダヤ人の国に偉大な新しいお王様が生まれたしるしである」という結論に達しました。それで博士たちは「さあ、王さまを拝みに行こう。」とらくだに乗って旅に出かけました。当時の旅はとても危険だし、簡単ではありません。でも博士たちはいのちをかけて新しい王様を拝むために心に決めたのでした。何か自分たちの利益になるからという動機ではなく、自分の財産やいのちを賭けても価値あることとして出かけたのです。


 長い旅をして、ようやくイスラエルの首都エルサレムに着きました。そこで「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいますか」と声が当時のイスラエルの王さまだったヘロデ王にまで届きます。ヘロデは、その知らせを聞いて恐れたことはひた隠しにして、博士たちには、もしわかったら教えてほしいと願い、さも信心深いかのように振る舞いました。自分も行って拝むからと。しかし、その裏には「自分を差し置いて新しい王様なんてとんでもない。きっと殺してやる」という陰謀があったのです。ヘロデは主役を奪われることを恐れたのです。


 一方、新しい王様がベツレヘムにいることを知った博士たちは、ヘロデのもとを立ちます。そしてベツレヘムに向って行くと、これまで博士たちを導いてきたあの明るい星が照り輝いているではありませんか。それが、博士たちには、その下にイエス様がいらっしゃるというしるしだったのです。
 その星を見て、博士たちはどうしたでしょうか。それはこのことばです。
その星を見て、彼らは「この上もなく喜んだ」のでした。
 この上もなくというのは、特別な表現です。普通の喜びではない。尋常じゃない喜びに満たされたということです。原語を直訳すると「喜んで喜んだ」となります。とても言葉で表すには限界がある表現なのです。しかし、そのくらい嬉しかった。博士たちは、まだイエス様に会っていないにも関わらず、もう喜びがこぼれるくらい嬉しかったのです。これが、イエス様を信じた人のしるしです。真の神様に出会う。この神様を信じて礼拝する生活には、あふれるほどの喜びが与えられます。これが、イエス様が来られた理由です。暗い世界に喜びを与える。暗い人生に希望を与える。これがイエス様です。

 

 この世界は、争いに満ち、また悪がはびこり、権力者はその権力を神様からいただいていることを忘れて、自分の金もうけや保身のために利用しています。罪が見過ごされて、子供たちの将来に希望の持てない時代に入っているのではないでしょうか。
 このときのイスラエルヘロデ王がそうでした。自分の王座を守るために妻や息子さえも殺し、厳しい掟がある国なのに、その罪が見過ごされていました。なぜでしょう。それは、その後ろにはローマ帝国があり、ローマ皇帝がいて、ローマ帝国の属国であるイスラエルの支配のためにヘロデを利用していたのです。ヘロデもそのローマ帝国の力を利用して、エリコという町に冬の宮殿(別荘)を建てるとか、「桜を見る会」(それは安倍首相)とか、好きなことをやっていました。でも民衆、特に宗教指導者たちから文句が出ないように、エルサレムの神殿にお金をかけて大きく立派にする工事をしていました。戦艦大和を造ったり、東京オリンピック開くのと同じです。そのように民衆の関心ごとを自分の悪事から反らすのです。そして羊飼いのように弱い立場の人たち、東方の博士たちのような外国人を差別して蔑み、社会の格差を生んでいました。そういう人たちは力がないので文句が言えないのを良いことに、しわよせの犠牲にしたのです。今の日本と全く同じです。まさに、そのような、絶望的な、この世の闇、暗黒の中にキリストは来て、その最も弱い立場の人たちを、世界で初めのクリスマス礼拝に招いてくださったのです。


 そして、今日、ここでも神様は私たちをこの礼拝に招いてくださいました。それは、私たちも力がなく、今の社会のしわよせを受けている者たちだからです。抗議をしても届きません。しかし、どんなに人の目に絶望と思えることがはびこって、暗闇に見えても、大切なことは何でしょうか。それは、私たちのために来てくださった主なるイエス・キリストを信じ続けること。その私たちの暗闇を取り除くためにイエス様が代わりに本当の暗闇を味わってくださった。それが十字架の死です。天のお父様から見捨てられる。これこそ真の暗黒です。真の光であるお方が、真の暗黒を経験された。だから、イエス様が十字架にかかられたときに、全地は暗くなったと聖書は証言しています。
 しかし、そのキリストは三日目に復活され、天に帰られ、もう一度、この世界に来ると聖書は預言しています。それは、信じている私たちを救うために来るのです。クリスマスはまさにこのキリストの誕生だけでなく、もう一度来られる主の日に備えるときなのです。このろうそくの火は雰囲気づくりのものではありません。イエス様という真の光が来られたことで、この光が世界を作り変え明るくする。私たちを明るくする。罪から救いへ、死からいのちへと広がることを象徴しているのです。
 博士たちは、もともとは神でないものを神として拝んでいた人たちでしたが、イエス様を自分の人生の主役であると信じて、この上もない喜びの人生がはじまりました。

 ぜひ、今年のクリスマス。あなたも、博士たちのように心の中心に、あなたの人生の主役としてイエス様をお迎えして、この上もない喜びの人生を味わおうではありませんか。