のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎レビ記 22章18~19節「傷のない雄によって神に受け入れられる」

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"「アロンとその子ら、またすべてのイスラエルの子らに告げよ。だれでも、イスラエルの家の者、またはイスラエルにいる寄留者がささげ物を献げ、誓願のささげ物あるいは進んで献げるものとして、全焼のささげ物を主に献げる場合、
あなたがたが受け入れられるには、それは牛、羊、あるいはやぎのうちの、傷のない雄でなければならない。"
 

 旧約聖書には、祭儀律法という、その時だけに有効な教えがありました。当時の礼拝において、動物の犠牲を必要としたことは、現代ではもう行われません。

 しかし、神の前に罪ある人間が出るためには、やはり罪の贖いが必要なことは、今も変わりません。なぜなら、神のきよさ、神の義は永遠に変わらないからです。

 だから、現代における傷のない雄として、その完成形としてイエスの十字架の犠牲があるのです。

 そもそも、動物の犠牲は不完全でした。だから繰り返し捧げなければならなかったのです。でも、イエスは真の人、真の神、真の神の子羊として、この地上を歩み、罪のない人間として、ご自身を神の前に捧げたのです。

 イエスの十字架は、正しく神を信じて歩む人間の模範でありながら、傷のない子羊として、罪のない捧げものとなられたということです。

 ここに、きょうのみことばの成就があるのです。

 きょうも私たちが、このように主を礼拝できるのは、動物ではなく、その完成である神の御子がアダムが成し遂げられなかった完璧な人間として、そのきよい生き方を通して、またそのような罪の傷のないきよい犠牲によって、新しいいのちを与えてくださったからです。

 この主をともに崇める聖日とさせていただこうではありませんか。

  

"11 しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、
12 また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
13 雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、
14 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。
15 キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。"
ヘブル人への手紙 9章11~15節