コリント人への手紙第一10章13節
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
巷には様々な悪霊の働きがある。この世の考え方、この時代の精神がまかり通っている現代、そこに起こる様々な試練の中で、その悪い霊が働く。それは、その試練を神でないものに頼らせ、自分自身に頼らせて、私たちを神から引き離そうとする。それは偶像礼拝に通ずる。
主イエスの十字架の苦しみは、私たち罪人の贖いのための業であるが、神の前に正しく歩む完全な人間イエスとして、究極の試練であった。それは父なる神から見捨てられるという、神の御子としても、罪のない完全な人間にとっても、最も恐ろしい場面にイエスは置かれた。
しかし、その中に置かれてもイエスは「わが神、わが神」(マルコ15:34)と祈られた。これは、本来、神に裁かれなければならない私たちの身代わりの叫びであるが、同時に、この究極の試練に打ち勝つ祈りでもある。試練の中をどう生きるのかが、このイエスの姿に現わされている。
それは、神を仰ぐこと。神に「わが神」と呼びかけ、ひたすら神を愛する者として全うすることこそ、試練を単なる災難にせず、神に喜ばれる生き様である。そのイエスをわが救い主と仰ぐとき、この生き方が私たちのうちに起こる。それは、私たち自身の力によるものではない。主を信じ仰ぐときに与えられる聖霊が、私たちをそのように造り変えてくださるのである。
今、あなたに試練があるならば、益々、この主イエスの十字架を仰ぎ、十字架の主イエスと心を合わせようではないか。聖霊よ、どうぞ我らを憐み、我らのうちに住んで、我らを主のものとして造り変えてください。
《10世紀フランスの祈り》
キリストよ、あなたは十字架の上で叫ばれます。
「わたしの民よ
わたしはあなたがたにどんな悪いことをしたか。
わたしがあなたにしなかったどんな良いことがあるか。
わたしに耳を傾けよ。
あなたにとって何の意味もないことなのか。
わたしの悲しみに似た悲しみがあるかどうか
よく考えてみよ。」
キリストよ、あなたをあがめ、あなたを賛美します。
あなたの聖なる十字架によって
あなたは世界を贖ってくださいました。