のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎2020年5月10日(日)きょうのみことば

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【列王記 第一 7章45~51節】

"そして、灰壺と十能と鉢である。ヒラムがソロモン王のため、主の宮のために作ったこれらのすべての物は、磨きをかけた青銅であった。
王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンの間にある粘土の地でこれらを鋳造した。
ソロモンは、すべての用具を配置した。非常に大量だったので、青銅の重さは量られなかった。
また、ソロモンは主の宮にあるあらゆる物を作った。金の祭壇と、臨在のパンを載せる金の机、
内殿の前、右側に五つ、左側に五つ置かれる純金の燭台、金の飾り花、ともしび皿、芯切りばさみを作った。
また純金の皿と、芯取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。至聖所に通じる神殿内部の扉のちょうつがい、神殿の本殿に通じる扉のちょうつがいも金で作った。
こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。"

 主の宮には、青銅や純金の器具、用具が造られ置かれた。

 青銅は錫と銅の合金であり、その配合によって色も異なってくる。銅が多く配合されれば10円硬貨のような赤銅色となり、錫が多いと銀色、等配合だと黄金色となる。しかし、いずれも銅が配合されているので、空気に触れ酸化してくると緑色を帯びてくる。

 ヒラムがソロモンのために磨きをかけたのは、そのためであろう。おそらく仕上がった青銅は、金に近い、黄金を思わせる色合いだったに違いない。

 そこに更に純金の器具、用具が造られた。純金は混じり気のない、精錬された黄金をであるから、おそらく現代の24分率でいうならば24Kであったと思われる。それは錆びにくい、いや錆びないと言える。金もその配合する他の金属の配合率で錆びることがある。24Kは、ほぼ金のみの場合であるが、ほぼというのは、金そのものは大変柔らかく加工しやすい金属であるが、その分、器具や用具にするには強度がないため、どうしても他の金属を混ぜなければならないからである。

 いずれにしても、ソロモンが父ダビデから用意されて造った神殿の用具類は全て黄金色に輝くもの。しかも錆びない純金と、酸化して錆びて変色しても磨けばもとの輝きに戻る青銅で造られ納められた。

 しかし、これはいったい何を意味しているのだろうか。

 純金は、その錆びない性質、いつまでも変わらない美しさを維持する性質から、他の金属とは異なることから、神の不変性、永遠性、聖性を表していると言って良いだろう。それは、神の家を建てあげるためには、神ご自身が絶対に必要であり、同時に、純金がそうであるように、他に並ぶべきものがないお方の宮のためであるから、純金はそのことを象徴していると言える。

 一方、青銅はどういう意味だろうか。青銅は古来、このような装飾品だけでなく、武器や鎧にも使われてきた金属である。しかし前述したように、変色しやすく、また鉄に比べて強度は遥かに劣り、兵器に使用する、または農具に使用するとなれば、到底鉄にかなわない。

 そのように、実は本来、中途半端な金属であり、製品としては役に立つとは言えないのである。

 しかし、磨き上げれば何度でも美しく、その色を取り戻す。特に腕の良い職人であるヒラムによって磨き上げられた青銅は純金に見紛うほどの輝きを持っていたことであろう。

 ここに、私たちへの適用ができるように思われる。それは、その青銅こそ神に仕えようとする私たち人間を表しているということである。

 神の民は、自らの貧しさを認め、変色しやすい金属であるが如く、その心も制御できない弱さを知らなければならない。金属であるから、一見、鉄と同じように用いられることがあっても、鉄のような強度がなく、役立たずであることを思い知る。

 しかし、腕の良い職人である主イエスによって磨き上げられれば、青銅が純金の輝きに戻るように、私たちも神の子の姿へと変えられていくのである。しかし、神の御子になるのではない。御子の似姿へと変えられるのである。青銅は純金にはなり得ない。だからこそ、そのようなものが神の国に招かれている。神の祝福へと招き入れられている恵みに気づかされる。

 それは純金の器具と一緒に主の宮の宝物庫へ納められる。つまり、御子がおられる神の国へと入れられるのである。

 今日も主が私たちを磨き上げてくださることを喜ぼう。腕の良い職人である主イエスが私たちの価値を引き上げてくださることに感謝しよう。

 そして今週も、武器や兵器のような人を傷つけるものではない、神の宮の器具、用具、道具として神の愛ときよさを現す主の器として、その業のために仕えて行こう。

 

"わたしは青銅の代わりに金を運び入れ、鉄の代わりに銀、木の代わりに青銅、石の代わりに鉄を運び入れ、平和をあなたの管理者とし、正義をあなたの監督者とする。
あなたの国には暴虐はもう聞かれず、あなたの領土には暴行と破滅は聞かれない。あなたは、あなたの城壁を救いと呼び、あなたの門を賛美と呼ぶ。
太陽はもはや、あなたの昼の光とはならず、月の明かりもあなたを照らさない。主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの輝きとなる。
あなたの太陽はもう沈むことがなく、あなたの月は陰ることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
あなたの民はみな正しい者となり、永遠にその地を所有する。彼らは栄光を現す、わたしが植えた枝。わたしの手で造ったもの。
最も小さい者も軍団となり、最も弱い者も強国となる。わたしは主。時が来れば、速やかにそれをする。」"
イザヤ書 60章17~22節