のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎2020年5月11日(月)きょうのみことば

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ダビデ契約にある約束のために」

 

【列王記 第一 8章22~26節】

"22 ソロモンはイスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって両手を伸べ広げて、
23 こう言った。「イスラエルの神、主よ。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。
24 あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに約束したことを、ダビデのために守ってくださいました。あなたは御口をもって語り、また、今日のように御手をもってこれを成し遂げられました。
25 そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。
26 今、イスラエルの神よ。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたおことばが堅く立てられますように。"

  神は真実であり、偽りのないお方です。ソロモンの父ダビデとの契約は、ダビデの代やそれに続くソロモンだけでもなく、永遠というスパンの中で与えられる、まさに現代の教会、さらにその先にある完成された神の国を指差すものでした。そこに立つお方こそ、神の御子であるキリストなのです。

 

 ソロモンは完成した神殿奉献に際して、そのダビデ契約に基づく主なる神の誠実さに訴え、その言葉通り遂行されることを願ったのです。

 しかし、それは同時に、ソロモンをはじめ全イスラエル民族が守らなければならないことでもありました。

「あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。」

 または、『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』

 これらのことばは、イスラエルの民が守るべき約束も語られています。それは、まず心を尽くして神の御前に歩まねばならないことです。かたちだけの信仰ではなく、心を尽くすことが求められています。

 それは、私たち人間はすぐに形式的になりやすいものだからです。実際、イスラエルの民も、主からいただいた律法が単に義務となり、律法主義となり、書かれていることを表面的にでも行うことに重点が置かれるようになりました。私たちも形式的に主を礼拝したり聖書を読んだり、祈るならば、ここで言われているダビデ契約に対して契約不履行ということになります。

 そして、もう一つは信仰者ダビデのように子孫たちも歩まなければ、同じく不履行ということになるのです。しかし、ここで主は、守らなければ呪われるという言い方はせずに、もっと積極的な、そのように歩むならば祝福される、そのように生きるならば、イスラエルの王座が尽きないと約束されたのです。

 それは、主がこの契約で求めておられるのは、イスラエル民族が嫌々ながらする礼拝、表面的にだけ装っている信仰生活ではなく、心からの礼拝、主の愛に応える愛を告白する交わりなのです。主はご自分の民たちと一つになりたい。それが主の私たちへの愛です。

 それは、神がまず愛してくださったからこそ私たちもそのようにできるようになるのであって、私たちのそのままの中からは出てきません。

 ですから、イスラエルの民も、今雲が満ちて主ご自身を現されたという神のイスラエルへの愛をしっかりと知り、体験することを通して、彼らもまた神を愛する生き方へと変えられていくのです。

 今日、あなたもあなたという神殿に主が満ちておられることを知らなければなりません。私たちという土の器に黄金に輝く主が満ちてくださる。そのとき、私たちは、主の律法を守らなければならないではなく、愛する主のために、主が喜ばれることを実行したい。そう願い、そのように生きるように導かれていくのです。

 そのことを私たちが実行できるように、神ご自身が働いてくださるように愛して、信頼して、願っていきましょう。

 私たちが主のためになすべき業を成し遂げることができるように、その力すら主に与えられることを祈って与えていただこうではありませんか。