のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎2020年5月14日(木)きょうのみことば

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「徴用するソロモン」

【列王記 第一 9章15節】

"ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と自分の宮殿、ミロとエルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを築き直した。"

【列王記 第一 9章20~21節】
"イスラエル人ではない、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、
すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が聖絶できなかった人々の子孫を、ソロモンは強制労働に徴用した。今日に至るまで、そうである。"

  役務者を徴用することは、以前もありました。

 

"ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。"   列王記 第一 5章13節

 主の神殿を建てるにしても、その他、城壁や国の事業を行うにしても、主の民に徴用はふさわしいのでしょうか。

 かつて、ダビデが神殿建設のための備えをしていたとき、ダビデに仕える者たちは、みずから進んで自分にできる最善を主にささげました。

 

【歴代誌 第一 29章1~19節】

"ダビデ王は全会衆に言った。「わが子ソロモンは、神が選ばれた、ただ一人の者であるが、まだ若く力もない。しかしこの工事は大きい。なぜなら、この宮は人のためではなく、神である主のためのものだからである。
私は全力を尽くして、私の神の宮のために準備をしてきた。すなわち、金製品のための金、銀製品のための銀、青銅製品のための青銅、鉄製品のための鉄、木製品のための木、縞めのう、色とりどりの象眼細工用の石、あらゆる宝石、大理石などを大量に準備した。
そのうえ、私は、私の神の宮に対する喜びとして、聖なる宮のために準備したすべてのものに加えて、自分の宝としていた金銀を、私の神の宮のために献げる。
建物の壁をおおうため、オフィルの金の中から金三千タラントと、精錬された銀七千タラント、
金製品のための金、銀製品のための銀、あらゆる職人の手仕事のためのものを献げる。今日、自ら進んで、その手にあふれるほど主に献げる者はいないか。」
すると、一族の長たち、イスラエル各部族の長たち、千人隊と百人隊の長たち、さらに王家の執務の長たちは、自ら進んで、
神の宮の奉仕のために、金五千タラント一万ダリク、銀一万タラント、青銅一万八千タラント、鉄十万タラントを献げた。
宝石を持っている者は、これをゲルション人エヒエルの手に託して主の宮の宝物倉に献げた。
民は、長たちが自ら進んで献げたことを喜んだ。彼らが全き心をもって、自ら進んで主に献げたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。
ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。

富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。
私たちは、父祖たちがみなそうであったように、あなたの前では寄留者であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために宮を建てようと私たちが準備したこの多くのものすべては、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
わが神よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで献げました。また今、ここにいるあなたの民が、自ら進んであなたに献げるのを、私は喜びのうちに見ました。
私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民が心にめぐらす思いをとこしえに守り、彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。
わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの命令とさとしと掟を守らせて、すべてを行わせ、私が準備してきた宮を建てさせてください。」"



 少し引用が長いですが、ダビデも仕える者たちも、自ら進んで自分の力をささげ、しかも全ての栄光を主に帰しました。

 しかし、ソロモンは神のための働きを義務としたことは、決して良い結果を生み出すとは思えません。神へのささげものは義務ではささげものにならないからです。

 

"「あなたがたの多くのいけにえは、わたしにとって何になろう。──主は言われる──わたしは、雄羊の全焼のささげ物や、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。"
イザヤ書 1章11節

 

 主が喜ばれるささげものとは、何でしょう。それは父ダビデ詩篇に書き残した、このみことばにあるとおりです。

 

"神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。"  詩篇 51篇17節
 

 その砕かれた心が神に受け入れられる供物なのです。その心をもってささげる礼拝こそ、また奉仕こそ、真の礼拝、真の私たち神の民とされた者たちの姿です。

 今日のあなたの全てを、この砕かれた心をもって、主にささげて歩もうではありませんか。

 

"ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。"  ローマ人への手紙 12章1節

 

"一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。"
コリント人への手紙 第二 9章7節


"神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章9節


"それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。" ヘブル人への手紙 13章15節