のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎2020年6月3日(水)きょうみことば

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列王記 第一 20章41~43節

"彼は急いで目から包帯を取った。そのとき、イスラエルの王は彼が預言者の一人であることに気づいた。
彼は王に言った。「主はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」
イスラエルの王は不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に戻って行き、サマリアに着いた。"

 イスラエルの王アハブは、主によってアラムとの戦いに勝利しましたが、アラムの王の言葉に引き寄せられてしまい、彼らを聖絶しなければならないという主の御心に逆らうことになりました。

 そのため、主は預言者を通してアハブにさばきのメッセージを告げたのです。

 一見、アハブは敵を滅ぼし尽くさず、和平を結び、良いことをしたのに、どうして主はそれを認めずに、アハブをさばくのかという思いにさせられます。

 聖絶というのは、この当時のイスラエルにおいて、主がご自身のさばきを行うときにイスラエルを用いて行った特別な手段です。それは、当時のパレスチナに広まっているバアル礼拝、モレク信仰が淫らなこと、また子どもを生贄にするという恐ろしい内容を含む慣しがあったため、それがイスラエルに蔓延しないように、そうさせた可能性があります。

 いずれにしても、その聖絶のことで私たちは私たちの疑問によって、この箇所で主が教えようとしていることを見失ってはいけません。

 大切なことは、主のみことばに素直に従うという主への従順であり、みことば通りに主が戦いに勝たせてくださったことへの感謝なのです。

 しかしアハブ王は、アラムの王を助けたことにより、みことばを軽んじて、しかも忠告に来た主の預言者の言葉に腹を立て、自分の宮殿へ行ってしまいました。

 もともとアハブは、その妻イザベルによってバアル礼拝をイスラエルに取り入れた罪に問われなければならない人です。しかし、主はそのアハブを愛し、彼が主に立ち返るように導いて来られました。この戦いにおいても預言者を通してこのように言われています。

"ときに、一人の神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「主はこう言われる。『アラム人が、主は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ主であることを知る。』」"列王記 第一 20章28節

 この戦いは、アハブをはじめイスラエル人たちがバアルを捨てて主に立ち返ることを願って、この戦いを用いられたのです。それにもかかわらず、彼はみことばに従わなかったのです。

 その主の救いのタイミングを蔑ろにしてはなりません。

 すべてに時があるように、主の憐みのタイミングを自ら後ろに投げ捨ててはならないのです。主の御腕が短くて救えないのではありません。

 私たちがうなじのこわい民であるので、みすみす、その時を自ら逃すことがあるのです。しかし、きょうもう一度、今与えられている時を大切にしましょう。全ては主の御手の内にあり、今は恵みのとききょうは救いの日であるとされている今、神が与えてくださった救い主イエス・キリストを信じて、神の下さっている憐みを受け入れていこうではありませんか。

"私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。"
コリント人への手紙 第二 6章1~2節