のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2020年6月13日(土)きょうのみことば

 

ルカの福音書 7章6~9節

"そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。ところが、百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありませんので。
ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいとは思いませんでした。ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒やしてください。
と申しますのは、私も権威の下に置かれている者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」
エスはこれを聞いて驚き、振り向いて、ついて来ていた群衆に言われた。「あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。」"
 

  ローマの百人隊長は、自分の部下に対して強い権限を持っていました。命令違反を犯したならば、百人隊長の一存で死刑に処すこともできました。

 そのような位置関係にあった百人隊長でしたが、その僕が病に倒れたときに、何と我がことのように、家族の一人のように心配し、その癒しのために主イエスに願うことに決めたのでした。

 ところが、それはイエスに来てもらうのではなく、そのおことばだけくださいと言うのです。しかも、ユダヤ人の友人を介してです。それは、ユダヤ人であるイエス様を気遣ってのことでした。それはユダヤ人は異邦人とは交わらないのが常識であったことを、百人隊長はその宗教的慣習を尊重してへりくだったのです。

 ここに、彼のイエスへの信仰を見ます。病に倒れる僕を見捨てず、我がことのように愛し、そして、神を恐れ、当時のユダヤ人の律法を尊重して、神の御子イエスのことばだけで十分であると信頼したのです。

 主は彼のその信仰、そして神への恐れと僕への愛をご覧になって称賛されました。

 

 きょう、私たちも自分の中にあるのは、どんな思いか探られます。自分のことのように隣人を愛する愛はあるだろうか。神を恐れ、聖書のことばを実践し、へりくだっているだろうか。何よりも、「ただ、おことばをください」と主のことばに信頼しているだろうか。

 

"これこそ悩みのときの私の慰め。まことにあなたのみことばは私を生かします。"
詩篇 119篇50節