日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

2020年7月9日(木)きょうのみことば

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列王記第二12章

1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。
2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。
3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。
4 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮に献げられる金のすべては、
5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」
6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。
7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」
8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。
9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、主の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、主の宮に納められる金をみな、そこに入れた。
10 箱の中に金が多くなるのを確認すると、王の書記と大祭司は上って来て、それを袋に入れ、主の宮に納められている金を計算した。
11 こうして、勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らは、それを主の宮を造る木工と建築する者たち、
12 石工、石切り工に支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。
13 ただし、主の宮のための銀の皿、芯取りばさみ、鉢、ラッパなど、いかなる金の用具、銀の用具も、主の宮に納められる金で作られることはなかった。
14 その金は、工事する者たちに渡され、彼らはそれと引き替えに主の宮を修理したからである。
15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。
16 代償のささげ物の金と、罪のきよめのささげ物の金は、主の宮に納められず、祭司たちのものとなった。
17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。さらに、ハザエルはエルサレムを目指して攻め上った。
18 ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、主の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。
19 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。
20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。
21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。

 

 たった7歳で南ユダ王国の王となったヨアシュは、その後家来たちの謀反によって殺されるまで40年間治めました。しかし、信仰者としては甚だ疑問があったようです。2節の言葉はそのことを物語っています。

2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。

 ヨアシュは、いつも主の目の前にかなうことを行った。でもそれは祭司エホヤダがヨアシュを「教えた間」と、あえてその部分が強調されているようです。そもそも、幼いヨアシュを王座に着けたのは祭司エホヤダでした(2列王11:19)。そのことを国民は見ていました。ヨアシュも子どもの頃から、祭司エホヤダがそばにいて教育者となり、補佐役となって彼を支えてきました。

 確かにアタルヤの圧政で滅ぼされかけたダビデ一族の生き残りのヨアシュであり、祭司エホヤダが教育者としても良かったのですが、ヨアシュが王となり、さてまつりごとを行おうかといういうときに、思う様にいかない。そんなことが、この12章の前半部分に記されています。

 特に神殿修繕費を神殿にささげられたものの中でそれを使って修繕するようにと、祭司たちに命じても祭司たちが言うことを聞かなかったように、そこに王国の首長としての求心力の無さを見ます。しかし祭司エホヤダが考案した献金箱をつくり、そこにささげられたお金で修理する方法は問題なく用いられました。

 そこにアラムの王ハザエルが攻めてきます。ところが、これまで先祖たちが聖別して神にささげたもの、また王宮に蓄えてきたものをヨアシュは簡単にハザエルに与えて難を逃れます。一見、戦争せず平和的に解決して良かったように見えます。でも、ヨアシュはこのあと家来たちに殺されることになったのです。

 ヨアシュの何が間違っていたのでしょうか。それは、やはり祭司エホヤダあっての王であり、祭司エホヤダあっての信仰者だったということです。つまり、エホヤダの助言の中で動くうちはうまくいってたけれども、エホヤダを離れてヨアシュ自身の判断には、エホヤダにあった信仰と、その信仰によって神から与えられる知恵がなかったのです。また、神への畏れもなかったと思われます。先祖たちが「聖別してささげた物」(18節)を敵に渡すことは果たして正しかったのか。聖別したということは、それは神のものとなったということですから、それを、たとえ王とは言え、勝手に流用してはなりません。

 おそらくヨアシュは、祭司エホヤダにその確認すらすることも嫌だったことが考えられます。親離れ的にそのように思う気持ちはわかりますが、だからと言って、神のものを盗んで良いというわけではありません。それで他国との平和を築けたとしても、そのような外交はまたいずれ同じ場面で、同様の要求がされるでしょう。つまり他国の軍事力に負けて、その国の金蔓となったことを意味しています。

 私たちも、信仰の自立は大事です。親がクリスチャンの場合は親を通しての信仰があるでしょう。またそれがあなたに影響力のある先輩クリスチャンかも知れません。牧師かも知れません。でも、私たちが自分自身できちんと神様と向き合って、神様のことばにいつも聞いていなければ成長はありません。周囲の助言がうるさいと思う様になって、いきなり自立しようと思っても、このヨアシュのように単に人間的な浅知恵での対処療法で、一見平和的な解決に見えたとしても、実は根本的な解決に至っていないばかりか、その判断がこのあとの状況を悪化させることになってしまうのです。

 そうならないためにも、今、与えられている環境の中でへりくだってみことばを聴き、たとえ尊敬する先輩クリスチャンに対してだったとしても、その人間に依存しない、ただ、その人が愛し仕えている神への思いを学んで、人ではなく神を意識していくことです。まず一人で神に向かって祈ること。そこに私たちの信仰の自立の一歩があるのです。