のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

2020年7月20日(月)きょうのみことば

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ルカの福音書 10章17~24節

"さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」
エスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。
確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
ちょうどそのとき、イエス聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。
すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。」
それからイエスは、弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。
あなたがたに言います。多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けませんでした。」"

  イエス様は、これまでの預言者たちが求めていたメシアでした。彼らはこのキリストに会い、このキリストのことばを聞きたかった。でも、それは叶いませんでした。しかし、その祝福に弟子たちは与ったのです。

 しかも、イエス様から直接、病を癒し、悪霊を追い出す権威をも授けられて、弟子たちは遣わされました。そして、その派遣先で主の権威によって、今まで経験したことのない驚くべき神の奇蹟を目の当たりにしたのです。それも、その不思議な業が自分から出ていることに驚きました。しかも、彼らに与えた主の権威によって悪魔が天から落ちるのを見たとイエス様は言われたのです。

 それは、恐らく私も、そのような不思議なことが目の前で、しかも自分が行なっているとなると、驚きます。また驚くだけでなく、いただいた権威が素晴らしいのに、何か自分の弟子としてのスキルが向上してできるようになったかのような錯覚にも陥る可能性があると思います。

 だから、イエス様は驚きながら帰ってくる弟子たちにおっしゃいます。

「しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 これが私たち主を信じるものたちの喜びなのです。その喜びにある素晴らしさの故に、イエス様ご自身も嬉しくなって続けて言われました。

「ちょうどそのとき、イエス聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。
すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。』」

  無名で無学で小さく弱い存在の弟子たちが選ばれたという神の知恵。主イエスというお方がどのようなお方なのか知らされた奇蹟。また、このお方に権威をも授けられて、神の業を行うという、一般的な人間の常識ではありえないことが彼らに示された。それは、本当に特別なことなのだと。

 私たちの信仰の歩みは、イエス様の権威が授けられた歩みです。だから、祈りの中で多くの不思議な体験をさせられることが多々あります。それは素晴らしい経験です。でも、喜ぶところはそこではない。ただ、ただ天に名前が記されている、神にあなたが覚えられていることこそ、何よりの恵み、何よりの喜びなのです。それは、イエス様が「知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。」と言われた言葉の中に、私たちが持つべき自覚があると思います。

 それは、まず私は決して知恵ある者、賢い者ではないということ。そして、そもそも幼子のような無力な者であることを弁えることです。そのような私がただ一方的な主の憐みによって救われた。だから、そこに感謝が溢れます。自分を低くすることによって、神様からいただいている、この立場、このいのちがどれほどの恵みかをもっともっと味わえるのです。そこから湧いてくる感謝こそ、いのちある信仰生活の原点です。

 今日もただ天に名前が記されている、この恵みに感謝をもって歩んで参りましょう。

詩篇 100篇
1,全地よ主に向かって喜びの声をあげよ。
2,喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3,知れ。主こそ神。主が私たちを造られた。私たちは主のもの主の民その牧場の羊。
4,感謝しつつ主の門に賛美しつつその大庭に入れ。主に感謝し御名をほめたたえよ。
5,主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまでその真実は代々に至る。