日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

2020年8月5日(水)きょうのみことば

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「ただイエスを愛し、イエスに信頼する」

ルカの福音書 14章25~35節

"25 さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。
26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
28 あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。
29 計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、
30 『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。
31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。
32 もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。
33 そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。
34 塩は良いものです。しかし、もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。
35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられます。聞く耳のある者は聞きなさい。」"

   イエスの弟子は、イエスのようであるべきです。それは、天の父への絶対的な愛と信頼です。そこには、いつも真の平安があるのです。

 もし、そうであるならば、自分の計画や予算で安心しようとは思わず、神の御心に聞くことが第一ですから、この世の人の価値観とは全く違います。

 だから、塔を建てる場合の予算立ても、戦いに備える作戦も、一見、それは当たり前のことだろうという常識ですが、イエス様への献身は私たちの常識を覆します。

 主イエスも当時の宗教指導者たちから憎まれました。それは、イエス様の常識は彼らとは違っていたからです。安息日についての教えなども、当時の常識としていたことと、イエス様の教えと行動は全くかけ離れていました。

 そして、彼らから嫌われ、理解されず、厄介な者として疎まれ、妬まれて十字架へ追いやられ殺されました。

 その生き方について来る覚悟はあるのか。あなた自身がそういうふうに疎まれ、殺されることを受け入れているのか。そうイエス様は言われたのです。

 イエス様は大変厳しいお言葉を語られました。でも、このイエス様の言葉から、あの言葉を思い出します。

「あなたは、〇〇を健やかな時も病める時も、命の日の限りこれを愛し、堅く節操を守ることを約束しますか?」

 これはもちろん結婚式のとき、新郎新婦が互いに約束することです。これは、つまり、いつも相手のために死ねますかということです。しかも、この結婚式で引用される聖句にこのような言葉があります。

"夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。"
エペソ人への手紙 5章25節


 このみことばによると、私たちがイエス様の弟子として主を愛し隣人を愛することは、まずキリストが教会を愛し、教会のためにご自身を献げられたようにとあるように、そのために死ぬことを良しとするということです。

 それは、つまりわたし(イエス)のために死ぬ覚悟があるかという問いは、「わたしを愛しますか」と同じ問いだということです。

 あなたは、主イエスのために死ぬ覚悟はあるでしょうか。つまり主を愛しているでしょうか。

"私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。"
ヨハネの手紙 第一 4章10節