のりさん牧師のブログ

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2020年9月17日(木)きょうのみことば「罪の赦しを得させる悔い改め」

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ルカの福音書 24章44~48節

"そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」
それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
あなたがたは、これらのことの証人となります。"

   復活された主イエスは、弟子たちの心を開かれました。それは、宣教の旅をしてきた約3年半で主イエスが弟子たちに語ってきたこと、行ってきたことを理解させるためでした。それが昔から旧約聖書に表されていたことだった。だから聖書を悟らせるためにと仰っているのです。

 それが「わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければ」ならないということ。つまり、それは旧約聖書に書かれているキリストについての預言は成し遂げられるということでした。その中心的なことは、「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえ」るということです。では、その死と復活から何が始まるのか。それが、罪の赦しを得させる悔い改めに導く宣教であるということです。

 それを弟子たちに託されたのです。もちろん、主イエスが3年半の中で語られてきた教えも大変重要です。それは新しいキリストの律法に生きることは、モーセの律法を成就された主イエスを信じる者の生き方だからです。

 だからこそ、そのキリストの教えに生きるものとされるためには、罪の赦しを得させる悔い改めが必要なのです。主イエスは宣教を開始したときに、こう言われました。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」

 また、ご自分が来られた目的についてもこのように言われました。

"わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」"ルカの福音書 5章32節

 取税人ザアカイの救いなどがあったことは、その実例でした。

 それは、キリストの教えに従う生き方の入り口は、神に対する罪の悔い改めだからです。それは、罪の悔い改めによって神と和解し、アダムが犯した罪から始まった「死」ではなく、第二のアダムであるキリストにある永遠の「いのち」をもたらすということです。

 主イエスは、そのことを宣べ伝えるように命じます。ただ弟子たちは、すぐには行かず、エルサレムの宮に集まり祈っていました。それは、受肉した主イエスを天に送り、霊としていつも弟子たちの中に住むことのできる聖霊をいただく必要があったからです。それは同時に天に昇られ天の父の右におられるキリストが共にいてくださるということでもあります。それは、「見よ。わたしは世の終わりまでいつもあなた方とともにいます」という約束のとおりです。

 私たちは、この聖霊の助けによって福音を語ることができるのです。

 

 こうして、罪を悔い改めてキリストの福音を信じた私たちは、この弟子たちの仲間に加えられました。そして、聖霊が与えらるているので、大胆に私たちも、この福音を宣べ伝えるキリストの復活の証人として立たされているのです。

 だから、今日も罪の赦しを得させる悔い改めの必要を宣べ伝えていくのです。そのためにキリストが十字架に磔になり、死んで墓に葬られ、三日目によみがえられたのですから。

"そして、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。
エスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。"
ルカの福音書 9章22~23節