のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

為政者への主のことば

エレミヤ書 21章12節

"ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに、公正にさばきを行い、かすめられている者を、虐げる者の手から救い出せ。そうでないと、あなたがたの悪行のために、わたしの憤りが火のように燃えて焼き尽くし、消す者はいなくなる。"

 主は預言者エレミヤを通してユダ王国に、またそれを治めるゼデキヤ王に告げられました。バビロンに降伏せよと。そのまま都エルサレムにいれば主のさばきによって死ぬ。だから敵であるバビロンに降伏して捕囚となれと告げられたのです。

 これは、主にとっても悲しむべき決断でした。かつて、統一イスラエル王国を治めたダビデに約束した契約によれば、この王国は永遠に続かなければならなかったからです。しかし、その主の憐れみにを軽んじて、その子孫であるユダ王国は主のみことばを軽んじて、バアル礼拝を取り入れてしまい、主のみことばよりも自分たちにとって都合の良い方を選んだのでした。それによって、ユダ王国の国民も主への信仰を軽んじるようになり、正義ではなく不正が蔓延り、不道徳も蔓延したのです。

 時々、主への信仰に立つ王も現れましたが、王が改革しようとしても、もう国民に蔓延してしまっていた不道徳が改められることはなく、病のようにダビデ王朝を蝕んだのです。

 しかし、この主の決断は何もユダ王国に限ったことではありません。私たちの国家、また社会においてもしかりです。主ははダビデ王朝だけではなく、全ての為政者に対して神の御旨に立ち、公正なさばきと弱い者を憐れむ平和な国づくりをするように求められているからです。そのために必ずしも信仰者ではないにしても、その責任と権威を為政者たちに与えているのです。

 パウロもこう言って、為政者たちへの服従を一般論として語っています。

"人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。
したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐ろしいと思いたくなければ、善を行いなさい。そうすれば、権威から称賛されます。
彼はあなたに益を与えるための、神のしもべなのです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。
ですから、怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも従うべきです。
同じ理由で、あなたがたは税金も納めるのです。彼らは神の公僕であり、その務めに専念しているのです。
すべての人に対して義務を果たしなさい。税金を納めるべき人には税金を納め、関税を納めるべき人には関税を納め、恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。"
ローマ人への手紙 13章1~7節


 このように神は全ての為政者に対して特別に正しい政治を行う権威と責任を与えて、この世がまだ神の国ではないにしても、悪が蔓延り切ってしまわないよう配慮されているのです。

 だからこそ、その権威を神から授かっている為政者たちは謙虚に神のみことばに聞いて、国民を正しい道に導かなければならないのです。

 そのくらい重たい権威と責任を与えられた為政者たちは、その重さを自覚して、神からいただいている権力を保身や自らの欲望を満たすために横領してはならなりません。

 今、私たちが暮らす社会、所属する国家日本はどうでしょうか。国民に寄り添い、公正なさばきを行い、弱い者を救うために汗をかき、力を尽くしているでしょうか。

 今日も祈りましょう。彼らが神から与えられている権威の前にへりくだって、自らの誤りを認め反省して、正しい政治運営ができるように。

 私たちは、そのためにいつも祈り執りなす必要があります。

"そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。
そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。"
テモテへの手紙 第一 2章1~3節