のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

自らの信仰を吟味せよ

"彼らはわたしに向かって叫ぶ。『わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています』と。"
ホセア書 8章2節

 イスラエルは主の目の前に悪を行い続け、主の御心を悲しませました。しかし、彼は自分たちがどれほどの罪を犯しているのか、全く自覚していないのです。

 かつてヤロブアム1世がレハブアムと決別して北イスラエル王国を築いたとき、ヤロブアムは北はダン、南はベテルに金の子牛像を置き、それがエジプトから連れ上った神だと言って、主への礼拝に偶像を取り入れました。そこにバアル礼拝も加わり、主を礼拝しながら他の偶像も取り入れていたので、主は悲しまれたのです。

 しかし、イスラエルの民たちは、主への礼拝をやめたわけではないので、罪を犯しているという自覚が麻痺していたのでした。

 このような罪は、現代を生きる私たちクリスチャンも犯す可能性があります。毎週、主を礼拝している。毎日、ディボーションしていることで安心して、それと同時に他の神を拝むことはないにしても、金銭に執着したり、好色に支配されていたり、名誉欲に溺れているならば、それは、このイスラエルの民と同じです。

 私たちも、主に対して、私たちはあなたを知っていますとのうのうと言うでしょう。しかし、その心が主から離れていることがないか、吟味が必要なのです。本当に主を知っていると言えるのか。主を知るとは主を愛することと同義です。

 それは、本当に主を愛しているのかということです。主を愛しているならば、主の言葉を愛します。主の言葉を愛するとは、主の命じたことに喜んで従うことです。それは重荷とはなりません。なぜならば、愛する方のことばだからです。

 ですから、私たちが本当に主を愛しているかどうかを吟味するとしたら、主のみことばに従うときに嬉しいか、それとも苦しいかが、一つの目安になるでしょう。

 今日も新しい一日が始まります。あなたは主のみことばに素直に従えるでしょうか。あらためて、私たち自身の心の深いところを吟味しつつ、心から私は主を知っている。愛していると告白し、実践していこうではありませんか。