のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

見ゆるところによらず、信仰によって歩むべし

民数記 14章1~25節

"すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。
イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。
なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」
そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」
そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。
すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」
しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。
主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。
わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。しかし、わたしはあなたを彼らよりも強く大いなる国民にする。」
モーセは主に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。
『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。
どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、
わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。
平地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、明日、向きを変えてここを旅立ち、葦の海の道を通って荒野へ行け。」"

 カナンの地のから帰って来たイスラエルの偵察隊のうち、ヨシュアとカレブ以外のものたちは、カナン人を恐れ、カナン攻略は無理であると嘆きました。

 そればかりか、あの奴隷として苦役を舐めたエジプトにいた方がマシだったと、かつての生活を懐かしんだのです。しかも、カナンの地への侵攻に前向きなヨシュアとカレブを殺そうとしました。

 つまり、彼ら偵察に行った者の中で、同じものを見たにも関わらず、ある者は不可能だと思い、ある者は可能だと確信したわけです。

 同じものを見、また体験しても、その受け取り方が全く違ったのです。

 このようなことはよく起こります。教会で何かを決めるとき、ある人は無理だと言い、ある人は大丈夫だと言う。私も以前、教会が新たに土地を購入して会堂を建てるという計画に参加したことがありました。そのとき、購入する候補地を決める場面がありました。

 その土地は、当時、ゴミ捨て場としてつくられた場所のすぐそばで、住宅地と言えるほど人が住んでいませんでした。そこで、ある人は、そんなゴミ捨て場に移転して何になるのかと言い、ある人は、これから多くの人々が移り住み、新しい住宅地になる可能性があるので良いのではないかと言いました。

 そこで、結果的には後者の意見が採択され、現在では住宅地となり、ゴミ捨て場であった広大な場所も埋め立てられて、大きな公園となり、多くの市民の憩いの場となっています。

 ここで、大切なのは何でしょうか。いつも綱渡りすることを神様は求めておられるのでしょうか。いつも、危なっかしい方を選ぶように導いておられるのでしょうか。

 そうではありません。大切なことは、いつもともにおられる神様を信頼しているかです。その中で、必要なときは、神様を信頼しているからこそ踏み出す一歩がある。その一歩がときには、周囲の目から見て無謀に思えることもある。ただそれだけです。

 何でも危ない方を選べば良いという問題ではありません。神を信じ、神のみことばに聴いて歩むことが最善であり最高の選択ができるということなのです。

 あなたにとって、今日生きるためのチャレンジはあるでしょうか。ある人は、病院へ行って手術を受けなければならないかも知れません。それはとても緊張を伴う一歩になるでしょう。ある人は、進学や就職のために踏み出す一歩があるかも知れません。またある人は近所の人に福音を伝えようとすることかも知れません。

 どんな緊張を伴うような出来事があったとしても、そこにともにいてくださる神を感じ、その神に信頼するならば、どんな困難をも乗り越えることができるのです。そのとき、大切なことは、あなたを愛してやまない神様に祈り、聖書を開いてみことばをいただくことです。そうすれば、確かな神様からの答えをいただくことができるばかりか、そのみことばがあなたの霊性を高めるための霊の糧としても用いられ、あなたの踏み出す一歩に力と勇気を与えるものとなるのです。

 さあ、今日もその一歩を踏み出すためにも、神様に祈り、みことばに聴いてまいりましょう。

"「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。"
ヨハネ福音書 14章1節

"わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることができません。
それは、わたしが父を愛していて、父が命じられたとおりに行っていることを、世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。"
ヨハネ福音書 14章30~31節