のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

人にではなく神に

"私たちの勧めは、誤りから出ているものでも、不純な心から出ているものでもなく、だましごとでもありません。
むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。
あなたがたが知っているとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、貪りの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。"
テサロニケ人への手紙 第一 2章3~5節

 人の顔色を見て態度を変える人のことを風見鶏のようだと言います。私たちはなるべく批判されたくないし、人気者でいたいです。

 また、福音を語るときに喜んでもらいたいのは事実ですから、皆さんの表情が明るくなるような話を語りたくなります。しかし、それが行き過ぎると真理から外れていってしまうことがあるので注意が必要です。

 それは、みことばを語るときも語る相手は人であっても、あくまで神のために、神の栄光のために語るべきだからです。そこでは、たとえ相手に嫌な顔をされたとしても恐れず語らなければならないのです。

 それを説教者がせずに誰がするでしょうか。説教者は預言者的であり、同時に祭司的でもあり、使徒的でもあります。大切なことは、軸足を常に神に置いていることなのです。

 現代のキリスト教会には、人間の多様な価値観に寄り添うように、その立ち位置を変化させている向きがあります。結婚という制度を同性でも認めるべきだという、社会を混乱させ崩壊させるようなことが常識になりつつあり、それを認めるべきだという教会が増えています。

 そのことにNO!と言うことすら憚られる時代に入っています。男女差別をなくすことは大切なことです。しかし、男女の区別は必要です。

 このことは一例にすぎません。私たちは物事の判断や価値基準を人間に合わせて行ったときに起きる危険に気がつかなければならないのです。それは、神ではなく人間を喜ばせることだからです。みんな仲良くとは聞こえは良いですが、神を抜きにした価値基準は、社会秩序を破壊するのです。なぜならば、それは明らかにサタンの策略だからです。

 神ではなく人間を喜ばせることは、人間が喜ぶのではなくサタンが喜ぶのです。人を甘い言葉で誘惑し、神から遠ざけ、いや神にも従っているように思わせて、福音を骨抜きにしようとしているからです。

 使徒パウロもそのことを懸念して、このみことばをテサロニケの教会に書き送ったのでした。

 私たちも、そのような人にへつらうような時代に入っていることを自覚し、時が良くても悪くても正しく聖書から、神の栄光のためにみことばを語っていこうではありませんか。

 

"みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。"
テモテへの手紙 第二 4章2~5節