日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

受難節 第27日 金曜日

"愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。
もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。
さばきが神の家から始まる時が来ているからです。それが、まず私たちから始まるとすれば、神の福音に従わない者たちの結末はどうなるのでしょうか。
「正しい者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。」
ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。"
ペテロの手紙 第一 4章12~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 私たちは日々キリストの苦しみにも与る者です。キリスト者という理由で誹謗中傷があり、神を信じていることで、この世の常識や文化とすれ違うことも多々あります。

 使徒ペテロがいた時代には、もう既にローマ帝国による迫害が始まっていたようです。しかし、ペテロはキリストのゆえに苦しめられていることを「喜びなさい」と言っています。それは、なかなか難しいことかもしれません。

 ここで大切なことは、キリストがまず私たちのために、あの十字架の道を歩み、人々から蔑まれ、いたぶられ、鞭打たれ、恥辱の中、十字架に釘付けにされた、その苦しみがあるということを知ることです。

 その打たれた傷によって、私たちが癒やされた。そのキリストの痛みが私のためであったことを知るとは、神がそのようにして愛してくださったことをいみしています。神の愛を知った者は、その愛のうちに生きるものとされるからです。

 そのとき、御霊がその上にとどまってくださり、私たちのとるべき態度、行動、意思がきよめられ、苦しみの中にあることさえも、神の賜物として受け入れることができるのです。

 この世は、このペテロの時代以上に終末に向かっているでしょう。このときこそ、私たちのために苦しみを通られたキリストをただ愛し、このお方と一体である喜びに与ってまいりましょう。

 

祈り

 

愛する主よ

 あなたは私の苦しみを全てご存知です。

それは、あなたがまず私たちが通るべき苦しみの道を通り、私たちの罪を贖ってくださったからです。

 あなたは、私たちの罪の代価をご自身の命をもって支払ってくださったことにより、それを信じて、あなたのいのちに生きる私たちの生き方さえも、その十字架でお示しくださったことを感謝します。

 今、私はあなたの愛のうちにいます。どうか、あなたへの従順によって受けるあらゆる苦しみを喜ぶものとならせてください。私はあなたのものです。そして、あなたは私のものです。