のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

受難節 第29日 月曜日

ヘブル人への手紙 7章
1,このメルキゼデクはサレムの王で、いと高き神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。
2,アブラハムは彼に、すべての物の十分の一を分け与えました。彼の名は訳すと、まず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。
3,父もなく、母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司としてとどまっているのです。
4,さて、その人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えました。
5,レビの子らの中で祭司職を受ける者たちは、同じアブラハムの子孫であるのに、民から、すなわち自分の兄弟たちから、十分の一を徴収するように、律法で命じられています。
6,ところが、レビの子らの系図につながっていない者が、アブラハムから十分の一を受け取り、約束を受けたアブラハムを祝福しました。
7,言うまでもなく、より劣った者が、よりすぐれた者から祝福を受けるものです。
8,十分の一を受けているのは、一方では、死ぬべき人たちですが、他方では、生きていると証しされている人です。
9,言うならば、十分の一を受け取るレビでさえ、アブラハムを通して十分の一を納めたのでした。
10,というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだ父の腰の中にいたからです。
11,民はレビ族の祭司職に基づいて律法を与えられました。もしその祭司職によって完全さに到達できたのなら、それ以上何の必要があって、アロンに倣ってではなく、メルキゼデクに倣ってと言われる、別の祭司が立てられたのでしょうか。
12,祭司職が変われば、必ず律法も変わらなければなりません。
13,私たちがこれまで語ってきた方は、祭壇に仕える者が出たことのない、別の部族に属しておられます。
14,私たちの主がユダ族から出られたことは明らかですが、この部族について、モーセは祭司に関することを何も述べていないのです。
15,もしメルキゼデクと同じような、別の祭司が立つなら、以上のことはますます明らかになります。
16,その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。
17,この方について、こう証しされています。「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」
18,一方で、前の戒めは、弱く無益なために廃止され、
19,──律法は何も全うしなかったのです──もう一方では、もっとすぐれた希望が導き入れられました。これによって私たちは神に近づくのです。
20,また、神による誓いなしではありません。レビの子らの場合は、神による誓いなしに祭司となっていますが、
21,この方は、ご自分に対して言われた神の誓いによって祭司となられました。「主は誓われた。思い直されることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」
22,その分、イエスは、もっとすぐれた契約の保証となられたのです。
23,また、レビの子らの場合は、死ということがあるために、務めにいつまでもとどまることができず、大勢の者が祭司となっていますが、
24,イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。
25,したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。
26,このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。
27,イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。
28,律法は、弱さを持つ人間たちを大祭司に立てますが、律法の後から来た誓いのみことばは、永遠に完全な者とされた御子を立てるのです。

 

 

 油注がれた者とはメシアのことですが、旧約聖書で油注がれた者には、王、預言者、祭司があります。民の先頭に立って神に祈り、民を代表して神に犠牲を献げるものです。

 主イエスこそ、まことの王であり、まことの預言者であり、真実に永遠の大祭司です、

 私たちは神に近づきたいと願います。しかし、教会の礼拝に連なっても、神のみもとにまでは行けないような、ふさわしくないように感じることがあります。しかし、そうではありません。主イエスは私たちを神のみもとにまで至らせてくださいます。私たちを完全に救い、私たち自身を神の神殿としてくださるのです。

 

ヘンリー・スコット・ホランドの祈り(1847〜1918)オックスフォード大学神学教授。

 

我らの神よ

洪水が高く押し寄せてもしっかりと立ち続ける杖としてのあなたの十字架にすがらせてください。

あなたがあなたの苦しみと血の汗によって贖うために降りてきてくださったのは、

他のどこでもなくて、この世であり

この世の悲惨、この世の滅び、この世の罪だったのです。

 

 

【参考文献】

小泉健『十字架への道』日本キリスト教団出版局、2019年