のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

私たちを見なさい

"ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。"
使徒の働き 3章1~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 エルサレム神殿の美しの門でいつも、通りがかりの礼拝者から施しを受けていた足の不自由な男性がいました。彼は生まれつき足が悪く、まだこの地上を歩いたことがないのです。しかも、生まれつきですから、この先、足が良くなって歩けるようになるとは全く考えていなかったことでしょう。

 だから、日々の養いを他人に縋る他なかったのです。彼はいつものように、美しの門の前で祈りに来る人々に物乞いをしていました。

 そこに、イエスの弟子ペテロとヨハネが来たのです。当然、足の不自由な男性は、この二人が誰なのかは知らなかったでしょう。だから、彼らが誰かよりも、もらえる金銭の額の方が大事だったはずです。そういう意味で、二人の方を彼は見た。そして、施しを求めたのです。

 すると、二人はまず彼に何と言ったか。それは「私たちを見なさい」でした。それは、足の不自由なこの男性が見ているものが変わらない限り、彼の人生に祝福がないことをペテロとヨハネは悟っていたからでしょう。

 それで彼の視線を施しで得られる金銭から最も価値のある方向へ向けるために、まず「私たちを見なさい」と誘導したのです。

 足の不自由な男性は、いつものように、ここで何かもらえると思いました。その視線はやはり金銭です。そこで、使徒ペテロがこう言います。

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 ペテロはまず彼が期待した金銀がないことを告げます。それは足の不自由な男性にすれば期待外れです。それはこれまでの彼の価値観で言えば失望へと向かうでしょう。

 ところがペテロは、そうではなくて真の祝福の源であるお方を指し示すのです。それが、ナザレのイエスでした。ペテロは自分がいつも見ているもの。いつも自分が祝福を得ている確かなお方を指差して、その名前によって立ち上がるように彼に命じたのです。この言葉は確かにペテロの言葉ではありますが、いける神の御子キリストの名前によるキリストの宣言でもありました。

 またペテロは、この宣言だけでなく、彼に手を添えて、彼の人生初となる地上に立つ助けを忘れません。祝福された人生の主であるイエスの名前によって立ち上がるために、ペテロは彼の松葉杖となったときに、彼の足が強くされ、これまで使っていなかったためにすっかり衰えていた足を始め歩行をさせるための骨が太くされ筋肉が盛り上がって、彼は何と地に立ったのです。

 しかもそれだけではありません。彼は躍り上がって、何と神を賛美しながら家に帰ったのではなく、ペテロもヨハネと一緒に神殿に入って礼拝者となったのです。かれの視線はもう金銭ではなく、彼を愛して死なれ復活された御子に、そして、その御子を与えるほどに彼を愛しておられる神に変わっていました。

 ここに、人生の大転換があります。私たちは人生にとって必要なものを見失って歩んでいる者です。その見誤りに気づかず、そこに価値を置き続けている限り、本当の意味で祝福の人生の旅路に立つことはできません。

 しかし、その視線をあなたを愛して十字架に死によみがえってくださったキリストに向けるなら、あなたは新しく生まれ変わることができるのです。その際、ペテロが手を貸してくれたように、教会があなたのことをキリストの救いを歩んで行けるようにサポートしてくれるでしょう。

 今日、あなたの価値をキリストに置いて、このキリストの名によって立ち上がってまいりましょう。