日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

ステパノの殉教

"うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」
人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。
しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。"
使徒の働き 7章51~60節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 キリスト教会が始まったと言われるのが聖霊が降臨したペンテコステの日だと言われています。

 それは、イエス・キリストが復活された日曜日から50日後にあたります。そこに教会が誕生してイエスの弟子たちによる宣教が始まったのです。

 その弟子集団はそれまで師であり、主であるイエスが一緒だった生活から、今度は目には見えないけれども聖霊なる神が内住し、ともにあり、日々その助けの中で生かされるという新しいスタイルに変わったのです。

 聖書の「使徒の働き」は、まさにその様子をリアルに伝えています。そのリアルな宣教は、実はこのステパノの殉教から始まったといえます。

 キリスト教会にとって最初の迫害は、ローマ帝国ではなく、ユダヤ教徒からのものです。そもそも、この当時、クリスチャンたちもまだユダヤ教徒の一派のように、ユダヤ教の習慣を守りながら過ごしていました。

 それが最初のキリスト教会であるエルサレム教会の姿です。エルサレム教会は最初のペテロの説教で3000人もの人が救われて弟子に加えられました。ステパノもその中にいたのかも知れません。

 そのうち教会内で問題が起きてきます。食事の配給のことでした。そこで、使徒たちがもっぱら祈りとみことばに専念できるように7名の執事を選び、その中の一人にステパノがいたのです。

 ステパノは、教会内でお世話をする働きだけでなく、外においてもクリスチャンとして活動しました。彼は聖書をよく知っていた人で、誰も彼との信仰的な議論に勝てる人はいなかったことが6章の後半に記されています。何よりも聖霊に満たされていたので、誰も太刀打ちできなかったのです。

 そこで妬まれ、神を冒涜したなどと言いがかりをつけられてユダヤ議会で裁判となるのです。そこでもステパノは聖書を順にイスラエルの歴史として語りつつ、ユダヤ人たちが神から遣わされてきた諸々の預言者たちを殺し、最後に遣わされた罪なきイエスをも殺したことを論証したのです。

 その論述の最後がこの場面です。最後までステパノは聖霊に満たされていたので、彼らからの言いがかり、脅しを恐れることなく、聖霊が話させてくださる通りに語ったと言えます。

 聖書には神に誠実に従ったことで死ぬ人が多々出てきます。神に従うことでリンチにあい殺されもする。

 誰だって痛い目に遭いたくないです。リンチに会うのは嫌です。そんなふうに死ぬのは避けたいです。しかし、キリストを信じて得た永遠のいのちを持つクリスチャンたちは、肉体の死を怖がっていては宣教ができません。

 現在、色々なことで死を覚悟しなければならない場面があると思いますが、私たちも日々聖書に親しみ、みことばを身につけて聖霊に満たされた歩みがしたいものです。

 ステパノはまさに主イエスの十字架を再現するようにして、天に召されました。イエスを信じた者はその最期もイエスのように生きるのです。

 聖霊が共にある生活。それこそイエスが共にある生活です。今もなおイエス様は生きて私たちとともにいるのです。それは、あの大宣教命令で約束されたように、聖霊がイエスの霊として内住している。これこそ、クリスチャンにとって何よりの喜び、祝福です。

 

 神があなたの中におられて、あなたが行くにも帰るにも支え、守り、天の御国までも一貫してあなたのことを神の子どもとして愛していて下さるからです。だから、私たちも恐れることはありません。ステパノのように、この地上で御使いのようだと言われるくらい、神の恵みに溢れて今日も歩ませていただきましょう。

 

詩篇 121篇
1,私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
2,私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
3,主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。
4,見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。
5,主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。
6,昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。
7,主はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。
8,主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。