のりさん牧師のブログ

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イスラエルの喜び

"これらすべての、戦いに備えて集まった戦士たちは、ダビデを全イスラエルの王にしようと、全き心でヘブロンに来た。イスラエルの残りの者たちも、ダビデを王にすることで心が一つになっていた。
彼らはダビデとともに三日間そこにとどまり、食べたり飲んだりした。彼らの兄弟たちが彼らのために用意したのである。
彼らに近い者たちも、イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らくだ、らば、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう、ぶどう酒、油、牛、羊などが数多くあった。イスラエルに喜びがあったからである。"
歴代誌 第一 12章38~40節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 サウルとの戦いのためダビデについた者たちは、ダビデのユダ族だけでなく、イスラエルの全部族から集結しました。

 そこにはサウルのベニヤミン族からも集まり、また祭司の家系であるレビ族からもアロンの家の者たち、後にダビデ王家をささえる祭司となった若きツァドクもいました。

 このように全イスラエルから多くの人々がダビデの下に集まって来ましたが、彼らは一つとなっていたと聖書は記録しています。それは、「ダビデを王とすること」と言う一つの目的によってでした。しかも、彼らには喜びがあったとも伝えています。

 一つの目的のために群れがまとまる。しかもそこに喜びがある姿は、現代でいうところの主の教会にも適用できるのではないでしょうか。

 私たち主を信じて従う者たちも、非常に多くの人々で構成されています。そこには一歩間違うと混乱が起こりかねない者たちかも知れません。

 しかし、そう言う者たちであっても目的を一つにするときに、その群れは一つになることができるのです。それは、イスラエルの民たちがダビデを王とすることによってであったように、主イエスを王として崇め、このお方こそキリストであると告白し従う時に、私たちも主の教会として一つとされるのです。

 そのとき私たちの中にあるのは大きな喜びです。主の民にとっての喜びは主こそ私の王としてお迎えする時、信じて従う時なのです。

 今日もこのダビデを王として集まった全イスラエルのように、私たちもイエスこそ我が王、我がキリストであるとあらためてお迎えし、このお方に従って参ろうではありませんか。

 そこに大きな喜びがあるからです。

 

詩篇93篇
1,主こそ王です。威光をまとっておられます。主はまとっておられます。力を帯とされます。まことに世界は堅く据えられ揺るぎません。
2,あなたの御座はいにしえから堅く立ちあなたはとこしえからおられます。
3,主よ川はとどろかせています。轟音を川はとどろかせています。激しい響きを川はとどろかせています。
4,大水のとどろきにまさり力強い海の波にもまさって主は力に満ちておられます。いと高き所で。
5,あなたの証しはまことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よいつまでも。

 

マタイの福音書 2章9~11節

"9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。"

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会