のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

神の御前に覚えられている祈りと施し

"さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。
彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。
ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、「コルネリウス」と呼びかけた。
彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなって言った。「主よ、何でしょうか。」すると御使いは言った。「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。
さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。
その人は、シモンという皮なめし職人のところに泊まっています。その家は海辺にあります。」
御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリウスはしもべたちのうち二人と、彼の側近の部下のうち敬虔な兵士一人を呼び、
すべてのことを説明して、彼らをヤッファに遣わした。
翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。
彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。
すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。
その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。
そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。
しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」
このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。"
使徒の働き 10章1~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 ユダヤ人ではないのに神を恐れ、神を信じているが故に、いつも祈りと施しをしていた人がいました。

 それはローマ帝国の軍人コルネリウスでした。その祈りと施しは、決して無駄なことではありませんでした。それは神様がきちんと聞いてくださっていたからです。

 いつもささげる祈りも施しのような奉仕も、いつもが続くとマンネリ化したり、そこに感動や信仰的な思いが薄れることがあります。そして、代わり映えのしない信仰生活に感謝が失われて、形だけの信仰生活になっていきます。そして、祈っても意味がないとか、奉仕してもちっとも嬉しくないとか、あきらめムードのクリスチャン人生になります。

 しかし、今日のみことばは、そんな私たちを励まして力付けてくれます。それは、祈りも施しも、必ず神様が見ていてくださっておられるということです。

 

 神の御前に、必ず覚えられて、そこに神様が生きて働かれるのです。このあと、コルネリウスはシモン・ペテロに会うように導かれていきます。そこから、異邦人であっても救われることの実証となるのです。

 もともとはユダヤ教徒としてのコルネリウスでしたが、ここでペテロを通してキリストへの信仰へとかえられるのです。

 まさに、このことは、以下のパウロのみことばがぴったりです。

 

"神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。"
ローマ人への手紙 8章28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 コルネリウスこそ神を愛する人でした。そこに主が関わってくださって、更にキリストの救いへと導かれたのです。

 

 私たちも、全く同じことはできないかも知れませんが、神を愛し、いつもささげる祈りこそが、またそこから溢れる奉仕こそが、何よりも大切であることを、覚えていきましょう。