日本メノナイト 白石キリスト教会

おもに聖書からのメッセージをお届けします。

あなたの腰から生まれる子

"しかし、あなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から生まれ出るあなたの子が、わたしの名のために家を建てるのだ。』"
歴代誌 第二 6章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 エルサレム神殿が完成し、奉献式を行うソロモン。彼は、統一イスラエルの王として、代表して祈りをささげます。その祈りの中で、彼は多くの大切なことを語っていますが、今朝、特に注目したいのは、父ダビデが生前、神様から言われていたこのことです。

"しかし、あなたはその家を建ててはならない。あなたの腰から生まれ出るあなたの子が、わたしの名のために家を建てるのだ。"

それはまず、ダビデ自身が神殿を建ててはならないということです。その理由としては、ダビデは多くの血を流したことだと主は言われました。神の神殿を建てる者は、人の血を流す者であってはならない。武力が正当化されるということがあってはならないからです。

 そもそも、神様は人を殺してはならないと命じられています。その原則は変わりません。むしろ、これまで罪の世界の中で、そのような方法しか取れない人間の罪深さ、弱さを見過ごしておられたのではないでしょうか。

 私たちも暴力ではなく、いつも他の人と和解できるよう、平和を保つよう努力しなければなりません。

 

 第二のこととしてはダビデの腰から生まれる者が神殿を建てるということです。それがソロモンだったと言えます。その名前も平和という意味ですから、血を流さない人として相応しいと言えます。またソロモンは外国と争わずに、平和的に交流を進めた人でした。そのことは評価しなければなりません。

 しかし、そのために多くの外国人妻と結婚して、その国々の宗教も認めることになっていきます。そして、今回はイスラエルの王として立派な祈りをささげ、神のために神殿を奉献しましたが、すぐに多くの妻たちの神々にも仕えるような偶像崇拝も行うのです。

 ここに、ソロモンの平和主義の限界を見ます。平和は大切なことですし、主の御心なのは確かでしょう。しかし、信仰を曖昧にしては元も子もありません。

 神は唯一です。それは主だけです。ここに、曖昧さは必要ありません。

 では、その外国人の妻たちに、自分たちの神を捨てさせて、主なる神だけを拝むように命じるのでしょうか。でも、強制でその人の信仰が本当に変わるでしょうか。

 恐らく、そこに亀裂が生まれるのではないでしょうか。それは、それほど人の心の中を変えることは難しいし、人の心の中まで、私たちが支配することはできないからです。

 では、どうすれば良いのでしょうか。神でないものを神とする人たちに対して、どのように平和を構築できるのでしょうか。やはり、ダビデのように攻撃して、力づくで支配するのが関の山なのでしょうか。

 いいえ。ここであらためて神様がダビデに言われた言葉を振り返りましょう。

それがダビデの腰から出る者が神殿を建てるということです。

 ここで神様が言われたダビデの腰から出るとは、ダビデから生まれるという意味ですが、必ずしもソロモンのことだけではありません。それは、ダビデの子孫という意味もありますので、そのあとのレハブアムとか、ソロモンの子たちのことでもあるし、バビロン捕囚後に第二神殿を建設したゼルバベルのことでもあります。

 しかし、その神殿も一時的であり、その後、第二神殿はイエス様が人間として来臨されたとき、当時のヘロデ大王により増築され、かなり立派な建物となりました。

 ところが、そのあとその立派な神殿も崩壊するのです。つまり、どの神殿もそのかたちを失うのです。

 ところが、神様はその神殿が一時的であることをご存知でした。というのも、その大きな神殿は実は、神による真の神殿の雛形に過ぎなかったからです。

 その真の神殿とは、まさにイエス・キリストご自身です。イエス様はご自分のことをこう言われています。

 

"イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」
しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。"
ヨハネ福音書 2章19~21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そうです。ダビデの腰から出たお方、ダビデの子孫として来られた方であるイエスこそ、真の神殿だったのです。

 イスラエルの民がエルサレムの神殿を通して全知全能の神を礼拝したように、私たちは今、このキリストを通して父なる神様を礼拝します。また、実はそれだけではありません。そのようにキリストを通して神様を信じる私たちもまた神の神殿であるとも言われているのです。

 それは、キリストを信じる者のうちには聖霊なる主が住んでくださるという、特別な出来事が私たちの中に実現したからです。それはそもそも神の子イエス様のうちにあったことでした。ですから、私たちも聖霊が与えられたことにより、私たちも神の子どもとされ、神の宮でもあるのです。だから、神様は私たちを通して、この罪の世にご自身の栄光を現すのです。

 だから、もはや私たちは自分の栄光のためではなく、神の栄光を現すためにいかなければなりません。神が喜ばれるように歩まねばなりません。

 なぜなら、そこには真の神殿でありダビデの腰から出たお方の血が流されたからです。ダビデは多くの人の血を流したために神殿を建てることを禁じられました。しかし、真の神殿であるイエス様は、多くの人の罪のためにご自分の血を十字架で流されて、多くの人がこのキリストの犠牲により礼拝する者とされる道を備えられたのです。

 ここに、神の神殿建設の神秘があります。私たちは、この神様の神殿建設に今、置かれています。今度はあなたという神殿が整えられていく番です。しかし、それもまたのちに来る新しい神の国の前味であり、新しい天地において、その偉大な神の宮において全ての神の民と愛するお方を礼拝することに向かっているのです。

 その大きな神のプランにあなたは招かれています。あらためて、その大きな恵みの中に置かれている素晴らしさを、今日も味わって歩んでまいりましょう。