のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

人間の限界

"イスラエルの出ではない、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民すべて、
すなわち、この地に残されていた人々、イスラエル人が滅ぼし尽くさなかった人々の子孫に当たる者たちを、ソロモンは苦役に徴用した。今日に至るまで、そうである。
しかし、ソロモンはイスラエル人を自分の労働のための奴隷とはしなかった。彼らは戦士であり、彼の補佐官の長であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。
ソロモン王には監督をする長が二百五十人いて、彼らは民を指揮していた。
ソロモンはファラオの娘を、ダビデの町から彼女のために建てた家に連れ上った。「私の妻はイスラエルの王ダビデの家に住んではならない。主の箱が入れられたところは聖だからである」と彼が考えたからである。"
歴代誌 第二 8章7~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

ダビデの後を継いだソロモンは無事に神殿奉献を行い、そこでの礼拝を整えましたが、主がダビデに約束された「永遠に続く」王国を治めるには、やはりソロモンにも限界があることに気付かされます。

 他国との戦争も極力行わず、政略結婚によってパワーバランスをとってきたこともその要因の一つですが、ここに外国人たちを苦役に服させたことが果たして良かったのか考えさせられます。

 一般の国ならばそれは常識かも知れませんが、しかし人道的にも、また新約の光に照らして考えるときに、苦役に徴用することは、やはり一つの人間の罪であることをここに見るのです。

 というのも、この旧約時代であっても、ここで徴用をやめて、苦役ではなく、イスラエルの神を伝え、信仰に導き割礼を施しイスラエル人として迎えることもできたはずです。

 そうするならば、強いられて苦役をさせられて敵意を持たれることなく、彼らの心も平和的に掌握できたのではないでしょうか。

 また、もう一つは、エジプトのファラオの娘と結婚しながら、実は不味いとわかっていたと言うことです。偶像崇拝者と結婚したことに後ろめたさを覚えていたからこそ、ソロモンはダビデの家に彼女が住むことをやめさせたのです。

 この悪いと分かっていてもやめない罪。それは必要悪なのだと見過ごす罪こそ、私たちにおいても信仰生活が足元から崩れる要因になることは、簡単に想像できます。

 今日のみことばは、二つの警告がありました。

 一つは人との関係の構築は、命令や強制ではなくキリストの愛によって赦しつつ、その恵みに預かることができるように最善を尽くして恵みを与え導くということです。二つ目は、悪いと分かっている罪があるならば、悔い改めて、主の前に捨てて行くということです。

 このことを今日、心に刻み主の喜ばれる歩みに踏み出してまいりましょう。