のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

神がイスラエルを愛したので

2Chr. 9:1 ときに、シェバの女王は、ソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試そうと、非常に大勢の従者を率い、バルサム油と多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。
2Chr. 9:2 ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。ソロモンが分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。
2Chr. 9:3 シェバの女王は、ソロモンの知恵と、彼が建てた宮殿と、
2Chr. 9:4 その食卓の料理、列席の家来たち、給仕たちの態度とその服装、献酌官たちとその服装、そして主の宮に上る階段を見て、息も止まるばかりであった。
2Chr. 9:5 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵について聞き及んでいたことは、本当でした。
2Chr. 9:6 私は自分で来て、自分の目で見るまでは、彼らの言うことを信じなかったのですが、なんと、私にはあなたの知恵のすばらしさを半分も知らされていなかったのです。あなたは、私が聞いていたうわさを上回る方でした。
2Chr. 9:7 なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。
2Chr. 9:8 あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、その王座にあなたを就かせ、あなたの神、主のために王とされました。あなたの神はイスラエルを愛して、これをとこしえに確立されたので、あなたを彼らの上に王として与え、公正と正義を行わせるのです。」
2Chr. 9:9 彼女は百二十タラントの金と、非常に多くのバルサム油と宝石を王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほどのバルサム油はかつてなかった。
2Chr. 9:10 また、オフィルから金を運んで来たヒラムのしもべたちとソロモンのしもべたちは、白檀の木材と宝石を運んで来た。
2Chr. 9:11 王はこの白檀の木材で、主の宮と王宮のための通路を造り、歌い手たちのための竪琴と琴を作った。かつてユダの地で、このようなものが見られたことはなかった。
2Chr. 9:12 ソロモン王は、シェバの女王が王のもとに携えて来た物以外のもので、彼女が求めたものは何でもその望みのままに与えた。彼女は家来たちを連れて、自分の国へ帰って行った。

 

 主の宮と王宮を建て終えたとき、そのソロモンの名声は当時の世界に広がりました。その名声を聞きつけて、どうしても直接会ってみたいという人も多かったと考えられますが、その中でシェバの女王のことが聖書に記録されています。

 彼女はエルサレムに着き、ソロモンの知恵と、そのソロモンが宮殿、もてなしの料理、仕える家来たちの姿、給仕する者の態度、服装、献酌官たちとその服装、そして神殿に上る階段。そのすべてを目の当たりにして、大変驚かされました。

 

 シェバの女王の好奇心は予想をはるかに上回って、満足以上の感嘆するしかありませんでした。

 7節の「なんと幸せなことでしょう…」と二回も繰り返して感嘆していることは、その驚きをよく表しているでしょう。でも、その感嘆の理由があえて、短いことばで表現されています。それは、やはりソロモンの知恵とその存在に対する称賛です。何よりもそのソロモンを選び王国を祝福し確立させたのが主(ヤハウェ)であるという告白は、神に栄光を帰するソロモンの姿を想像させます。

 

 今日のみことばから二つのことを今日、覚えたいと思います。

一つは、このソロモンへのシェバの女王の感嘆のことばから導かれる、現代の私たちの幸いは何かということです。それは、すなわち私たちの神の知恵、それはすなわち主イエス・キリストです。実は、このソロモンの存在はその1000年後に現れるメシアである主イエスを指し示すものでありタイプです。

 ゆえに私たちも、真の王であるキリストのみことばを日々聴く者として、「なんと幸せ」な者であると自覚させられるのです。このシェバの女王のことばは、ソロモンの家来たちがどれほど幸せか、私もその一人でありたいというシェバの女王の心が見えてきますが、それがソロモンを超えて、指し示される真のイスラエルの王であるキリストに仕える私たちクリスチャン、教会への感嘆であるということです。

 今日も、こうしてみことばから励まされていること自体、なんと幸せなことかあらためて味わい感謝したいと思います。

 

 そして、もう一つは、「神はイスラエルを愛して」ということです。神様がソロモンを選んで王としたのは、イスラエルを愛してくださったからであるということです。これは、現代の霊的なイスラエルである私たち教会のことにも適用できます。神様が御子イエス様を王として私たちに与えてくださったのは、それは私たちを愛してくださったからであるということです。神は、私たちを愛しているからこそ、私たちを幸せにするため、なんと幸せな者として生かすために、御子キリストをこの世界に遣わし、私たちの王とされました。しかし、私たちは、このお方がご自分の国に来られたにも関わらず、受け入れず、リンチを加え、殺しました。

 

 しかし神はそのキリストの死を私たちの罪の贖いための犠牲としてくださり、私たちに対するさばきをその御子の上にくだされたのでした。そこには測り知れない、神様の私たちに対する愛のご配慮があることを忘れてはなりません。そこに神様の苦痛があったことを知らなければなりません。なぜならば、それが愛するということだからです。それが愛のしるし、愛の証しであるからです。

 

 神は御子を遣わし、その御子をなだめの供え物として十字架の上に磔にすることで、ご自身の愛を明らかにしてくださったと使徒ヨハネは宣言します。まさに、そこに神の愛が私たちにはっきりと示されたからです。

 今日も神様はあなたを愛しておられます。そして、その愛のしるしであるキリストを遣わされた御心を示してくださっています。そして、そのキリストから、そのキリストの知恵とみことばを聞く「なんと幸せなもの」として招いています。

 

 主の愛のうちにとどまりましょう。