のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

危機のときこそ主を礼拝する大切さ

歴代誌 第二 20章1~19節

"その後のことであった。モアブ人とアンモン人、および彼らに合流した一部のアンモン人が、ヨシャファテと戦おうとして攻めて来た。
すると、人々は来て、ヨシャファテに次のように告げた。「海の向こうのアラムから、大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツェツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。」
ヨシャファテは恐れた。そして心に決めて主を求め、ユダの全土に断食を呼びかけた。
ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。実にユダのすべての町から人々が来て、主を求めたのである。
ヨシャファテは、主の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って、
こう言った。「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神ではありませんか。あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には勢いと力があり、あなたに立ち向かえる者はだれもいません。
私たちの神よ。あなたは、この地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、とこしえにあなたの友アブラハムの裔にお与えになったのではありませんか。
彼らはそこに住み、あなたのため、御名のために、そこに聖所を建てて言いました。
『もし、さばきの剣、疫病、飢饉などのわざわいが私たちを襲うなら、私たちはこの宮の前、あなたの御前に立ちます。あなたの御名がこの宮にあるからです。そして、私たちは苦難の中からあなたに叫びます。あなたは聞いて、お救いくださいます。』
ところが今、アンモン人、モアブ人、およびセイル山の人々をご覧ください。かつてイスラエルがエジプトの地から出て来たとき、あなたは彼らの地に入って行くことをお許しになりませんでした。それで、イスラエルは彼らを避け、彼らを滅ぼさなかったのです。
ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが私たちに相続させてくださったあなたの所有地から、私たちを追い払おうとしてやって来たのです。
私たちの神よ。彼らをさばいてくださらないのですか。攻めて来るこの大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。」
ユダの人々はみな主の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちもともにいた。
ときに、主の霊が会衆の中で、アサフ族の出であるレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタンヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。
彼は言った。「ユダのすべての人々、エルサレムの住民、およびヨシャファテ王よ、よく聞いてください。主はあなたがたにこう言われます。『この大軍のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。
明日、彼らのところに攻め下れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前、谷の外れで彼らに出会う。
この戦いは、あなたがたが戦うのではない。堅く立って、あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。ユダとエルサレムよ、恐れてはならない。おののいてはならない。明日、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにおられる。』」
ヨシャファテは地にひれ伏し、ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して、主を礼拝した。
ケハテの子孫、コラの子孫であるレビ人たちは立ち上がり、大声をあげてイスラエルの神、主を賛美した。"

 これまで主に信頼し続けてきたヨシャファテでしたが、ここで大きな試練に出合います。それは、1節。

「その後のことであった。モアブ人とアンモン人、および彼らに合流した一部のアンモン人が、ヨシャファテと戦おうとして攻めて来た。」

  ユダ王国に他国の連合軍が攻めて来たのです。これは神に与えられた約束の地に展開するユダ王国にとって、その国土が侵略される由々しき事態です。

 もしここで、一般の国であればどうするでしょうか。恐らく軍隊を整えて、防衛戦争の支度をするでしょう。攻めてくる他国の軍事力には、同等かそれ以上の軍事力によって立ち向かおうとするでしょう。もし侵略者の軍事力に敵わなかった場合でも、他の国に使者を送り、加勢を願うでしょう。

 しかしヨシャファテはそうではありませんでした。確かに彼も人間です。攻められれば恐れます。誰だって命を狙われれば恐怖を覚える者です。そこは、ヨシャファテも正直です。でも、だからこそ、武力ではなく主に祈るのです。それも、自分だけで祈るのではなく、彼の兄弟姉妹として全国民に断食をもって真剣に主に祈ることを求めたのです。

 主イエスも言われました。

"二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」"
マタイの福音書 18章20節


 ヨシャファテの時代には主イエスの名によって祈るのではありませんが、みんなで心を合わせて主に祈ることは何よりの力となります。

 私たちもやはり、困難にぶち当たった時に、いつも何に頼っているのかで、その対応が決まります。普段から神ではなく物質に頼っているならば、その物質がその人の解決手段となるでしょう。しかし、それは本当の解決にはなりません。お金に執着しているならば、お金で解決しようとするでしょう。しかし、お金には限界があります。しかも金銭で支えられている関係ならば、それがなくなった時にその関係は崩れるでしょう。

 そもそも人間同士を繋ぐ手段として金銭は相応しくありません。もし、夫婦が互いの経済力だけで一緒になっていたら、困難があった時にその経済力が役に立たないとわかった時点で、その関係は解消するでしょう。

 これは金銭だけではなく、そもそも人と人を繋ぐものは、そんな物質では無理なのです。物質に依存するのは、神なき世界では当たり前かも知れませんが、神であられる主は生きておられます。

 神の存在は空想でも思想でも哲学でもありません。世界のはじまる前からおられる歴史的事実なのです。

 ヨシャファテはこれまでずっと信頼し、そのみことばに聞いて守られて来た主を求めた。ただ、それだけです。いつも信頼を置いているお方に頼った。ただそれだけです。

 しかし、そのただそれだけのことが、彼らを救い祝福をもたらすのです。そのためにも、彼らは攻めてくる他国の武力に対して、慌てて武力を整えるのではなく、まず主を礼拝します。ここに真の解決があるからです。それは戦争に勝つためにかたちとして礼拝行為をしているのではありません。

 彼らの心からの信仰のゆえに彼らは真剣に神なる主を礼拝したのです。

 私たちもこの信仰に学びたいと思います。どんなときでも先ず主を礼拝する者でありたいと思うのです。それは、取ってつけたように昨日、今日でできることではありません。日頃から主を信じ主を愛する生き方が、この危機のときに現れるからです。

 だからこそ、平時にこそ主を愛して主に祈ることを始めましょう。もし、まだ神を信じていない方がおられるならば、今日、神を信じましょう。今は神さまはご自身を御子イエス・キリストによって現してくださいました。ですから、この御子イエスによって神を信じ、まずこれまで神を信じていなかった罪を悔い改めて、神に立ち返りましょう。そのとき、あなたにも神が臨んでくださり、あなたの人生もこのヨシャファテに対する主のように、危機の中にあっても必ず守りの御手が述べられるのです。

 主はヨシャファテにレビ人ヤハジエルを立て聖霊に満たして、彼を通してみことぱを与えてくださいました。このように私にもあなたにも主を信じる者は、このように神のみことばによって生かされ、危機の時にもみことばによって行くべき道を示されます。

 今日もあらためて主に祈り主に頼る歩みを確認して、もし既に危機にある人がおられるならば、ぜひ、そういう時こそ全てを神に任せて先ず祈り、聖書を読み、礼拝をおささげしましょう。主は必ずあなたにとって、最も相応しい解決を与えてくださいます。

 次の20節のヨシャファテの言葉を今日の私たちへの主のことばとして信頼して歩ませていただきましょう。

"こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャファテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ、私の言うことを聞け。あなたがたの神、主を信じなさい。そうすれば、あなたがたは堅く立つことができる。主の預言者たちを信じ、勝利を得よ。」"
歴代誌 第二 20章20節